参加型都市環境デザインをさぐる
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SessionC1 参加型デザインの実践(レポート&トーク)

兵庫県村岡町

住民とのまちおこし

(兵庫県村岡町教育委員会) 中村典男
(都市環境計画研究所) 大矢京子

改行マーク村岡町は、 兵庫県北部の鳥取県境に近く標高340m内外で、 周辺は鉢伏山、 妙見山など1000m級の山々に囲まれ、 町の87%は山林の四季の美しい農山村地である。

改行マーク人口は7500人で、 主な産業は、 農林業と但馬牛の飼育、 高冷地野菜の栽培、 そして冬場の観光地として近畿でも有数のスキー場としてハチ北スキー場がある。

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村岡町の様子
改行マークしかし、 近年はスキー客も減少し町では新しい産業の創出と町の活性化を模索していた。 そこで、 町南部の福岡地区の八幡山公園を中心に地区の歴史的な町並みの保全・手づくり館・体験農場・中山城址をそれぞれ整備し、 町民や但馬周辺地域・関西圏からの観光客が1日から半日ここで村岡町の歴史を学び、 古老からものづくりを教わり、 農作物づくりを実際に体験するといった新しい文化産業の創出と自然体験・教育の場づくりを目指して「兎塚学びの里整備構想」が進められていた。

改行マーク平成2年から福岡地区のシンボル空間となっている八幡山公園の整備計画が提案され、 ムラ・マチ起こしの拠点づくりが始まったが、 計画を進めるに当たっては約1年間、 地区住民の方々の賛同と協力を得るために何度も意見交換会や説明会を開催し漸く実現の運びとなった。


神秘の森に“畏敬”を込めて

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公園の様子 福岡から約1km北の笠波峠の山中で、 まるで「恐竜の卵」のような石を見つけ出し、 同行した彫刻家と共に素晴らしい自然の造形物に、 驚きと感動を持った。 景観コンセプトから公園計画のテーマと空間提案を行い、 それを基本プランとして理念を引き継いだ彫刻家達が空間創造を具現化した。 地区の住民代表や若者の会などいろいろな人達との意見交換会や説明会の開催し理解を得た。 シンポジュウム開催期間中には、 町民自ら陶板制作に参加し、 野焼きイベントを行い、 作品を公園の中に記憶として残した。
 

改行マーク八幡山には、 地区の氏神様を奉る神社と、 5〜6世紀の古墳が5基、 杉木立の中に樹齢数百年のモミノキやオオモミジの巨木が現存し、 場所のもつ神秘性とあいまって歴史の重みと近寄り難い感動を得た。 ここでは偽物は決して通用しないこと、 住民の協力を得ながら、 この場を通して但馬地域の人々の交流から文化創出の拠点づくりを目指した。 地場の石を用い、 国内外のアーティストや村岡にかかわりのある様々な人々と交流をはかりながら公園づくりを行った。


三者協働の公園づくりからまちおこしへ

改行マーク公園は、 つかい手の地域住民の様々な交流と支援・応援を得、 事業を推進する行政と、 つくり手の作家や技術者・職人達の協働によってつくられていった。 時には、 設計者であるランドスケープデザイナーと作家達との造形性や機能・構造・管理運営などで意見のくい違いもあり、 そのことで多くの時間を費やし議論を交わす事もあった。 しかし結果として三者の意思と想いの共有化によって文化交流から創出の場である「創造の丘」は、 完成した。

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地区の人達が用意して餅つきを外国の作家達に体験させてくれた。 彫刻家から指導を得て石と格闘する子供達 町民の思いを託した陶板が、 町民の協力を得て“野焼きイベント”を開催 毎年氏子達により、 神事が行われる古墳の丘。
 

改行マーク約4年間で公園は一応の完成を見た、 その後毎年八幡山公園の石舞台で芸術・音楽祭が開催され、 文化 ・芸術の発信が行われている。 まちおこしは一時的な花火で終わらせるのでなく、 5年・10年と継続して行くことにより子供達に受け継がれ、 新しい町の文化となり、 歴史となって行く事を願っている。

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