高度成長時代にはこのような価値観が、 工業化された「きれいさ」とイコールである、 というふうに押し付けられていたし、 それに飽き始めた(モノに対する欲求が充足されてしまったため、 工業的・画一的な美に対しても不満をもちだした)現代では、 「自然との調和」などを美しいと思うようになってきたのではないでしょうか。
理屈はよくわかりませんが、 「美しい」「快適」と思うような風景は何かというと、 次の2つだと思います。
そのため、 何が「快適」か、 何が「美」かというところの議論にはならなかったのだと思います。
でも、 もしかするとうちの子どもなどの年代になると、 都心で生まれ育って自然などというものはまったく見たことがない子どもたちが多くなれば、 都会の超高層ビルの直線美が素直に「美しい」と受け入れられるかも知れません。
長くなりましたが、 これから環境共生都市のデザインを考えていく上で、 建築家や設計者が努力することはもちろんですが、 それを使う人、 見る人たちの価値観も一緒に育てていかないと、 環境調和型の建築物が周りの人にあまり理解されないオブジェで終わってしまう可能性もあると思います。
(ここからは全体に関する感想です)
今回の会議の出席者を見ていますと、 ほとんどが建築関係、 デザイン関係の専門家や研究者(学生も含めて)であったと思います。
これでは、 上記のように一般の人々の価値観を育てることはできないのではないでしょうか。
やはり、 もっと参加者の範囲を広げていくべきだと思います。
次回は、 施主になる可能性の高い、 行政や企業の人々にも参加してもらい、 その次はそれを一般の人にも広げていくということも考えてはどうでしょうか。
地球環境関西フォーラム 中川さん
まず、 「美しい」とか「快適」という価値観は、 人によっても異なるとともに、 時代によっても異なると思います。
(1)人間の遺伝子の中に組み込まれた美しいと感じるもの。
参加者の年代からすると、 子どもの頃に見た美しい風景というのは、 田んぼや里山や小川など、 田舎の自然だと思いますし、 その頃の都会の風景は荒れていたり、 開発途上であったりで美しくないものだったと思います。
(2)人間が成長する過程において見慣れてきたものだと思います。
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