環境共生型都市デザインの世界
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京阪神の都市構造
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図1 京阪神都市構造形成の経緯
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図1は都市構造がどういうふうにつくられてきたかを少し概念的に整理したものです。 京阪神は三都物語と言われるように、 三つの都市それぞれに違った歴史的な発展プロセスがありました。
(1)明治初期まで
図の右上が京都で、 真ん中が大阪で、 左が神戸です。 間の二つの○は西宮や高槻と考えてください。 これは明治ですから神戸はそれほど大きくはなかったのですが、 概念的には三つの大きい都市があって、 その周りに農村地帯があり、 徒歩で圏域が構成されていました。 そのうち明治の始めに鉄道ができて都市がつながってゆきます。
(2)昭和初期まで
三つの都市がそれぞれ個性的な発展を遂げながらも、 鉄道や道路でつながり、 三つの大都市には周辺都市からの人口集中が始まります。
(3)昭和30〜50年代(高度成長期)
東京だと東北になりますが、 京阪神では中国地方や九州の農村部から人を集め大都市に人口が集中します。 大都市内に工場ができ、 内陸部だけでは工場に十分な用地を提供できなくなり、 臨海部を埋め立てて、 用途純化した工場地帯に工場を張り付けてゆきました。
都市内の住宅地はスプロールし都市が拡大します。 部分的にはニュータウンなど新都市開発も行なわれ、 外側に新しい都市核をつくっていった発展段階でした。
(4)現在
現在の都市が抱えている問題を書きました。
周辺の都市から大都市部への人口流入は減っています。 ほとんど人口が入ってこなくなったにも拘わらず、 都市は広がりすぎてしまい、 都心の中心部では人口空洞化がおこっています。 都市には更新が難しい密集地区だけが残っています。 郊外都市でも中心部の衰退が起こっています。
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図2 主要な市街地整備課題(地域の特性)
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では、 このようにしてできてきた京阪神地域の今の構造はどうなっているのでしょうか。
図2に示したように大阪、 神戸、 京都の都心があり、 その周辺に都市が形成されています。 臨海部には工場地帯が残り、 大都市の周辺には密集市街地、 北側のエリアには少しまとまった戸建あるいは集合住宅地が形成されています。
三つの都市圏がそれぞれ個性的ではあるけれど、 だんだん繋がってきている様子がお分かりいただけるかと思います。
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図3 京阪神の都市圏構造(クラスター構造)
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京阪神の都市圏構造の現況を、 自立可能な都市圏、 コンパクトシティとか生活のユニットという視点から分析的に整理したのが図3です。 阪神間であれば、 神戸、 阪神間の臨海部と丘陵部などに、 数十万人オーダーの人口をユニットにして、 鉄道を中心にした生活圏域がある程度できているという仮説に基づいて整理しています。
大阪都市圏の場合、 都心から外側に放射線状に鉄道があるので、 比較的整理が簡単です。 淀川があるため、 京阪クラスターは河川の南半分だけで一つのクラスターになっています。 淀川と猪名川に挟まれた阪急宝塚線とJR京都線にぶら下がるエリア、 地名で言えば吹田から茨木にかけてのエリアと豊中から箕面、 池田にかけてのエリアは、 千里中央を都市核に持つ二つで一つの構造になっています。
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