「俯瞰的に見る」と奥貫さんは言われましたが、 環境共生を地球レベルで評価するとか、 あるいは広域で見るというのは、 「達観的に見る」ということじゃないでしょうか。 人間活動も生物的に評価して達観的に見る。 上から見ると未来が見えると言われましたが、 そういう達観で見るということと、 先ほどの土井先生のお話にあった小さな環境域、 その集落やコミュニティのユニットが連なっていって琵琶湖になったり複合盆地世界としての大阪湾になったりという積み上げ型の部分がある。
コミュニティや生活のユニットでどういう生活になっているのかを積み上げていくことと、 俯瞰するという両方の視点を、 行ったり来たりしないといけないのではないか。 そういうことが、 皆さんのお話のなかで出ていたのではないでしょうか。
増田:
風景像という話で小西さんから質問がありましたが、 風景像も国見や達観、 風水ということと非常に近いと思います。 というのは、 先ほどランドスケープによる風景像のシステム図をお見せしましたが、 今までずっと、 風景や土地利用は仕組みとして細かく分割して見てきたわけです。 ものをダイレクトに総合的に捉えられないので、 ある部分に分割しながらものを見てきたのです。
それがどうも失敗してるんじゃないかという流れのなかで、 山の上から国見をするというのは、 全体像を全体像として、 総合的なものを総合的に捉えてみましょうということだと思うんです。 風景主義というのはそういう意味も持っていると思います。
全体と部分
堀口:
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