環境共生型都市デザインの世界
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美のリーダーが今いない

小林

 このテーマはとても範囲が広くて、 私の発言は今日の意図とはずれてしまうかもしれませんが、 一言申し上げます。

 最近、 何かと「情報」という言葉がちまたにあふれていますが、 私はそれを「文化」という言葉に置き換えた方がいいと思っているのです。 文化は目にはっきり見えるものばかりではありませんが、 それを維持していく力が大切だと思うのです。

 私達は今までモノ作りばかりをしてきたとよく言われますが、 モノはあることの表現であって、 決して量や大きさを重視するものじゃないんです。 私は建築の値打ちを、 最後まで使い切っていきたいという人の愛着でとらえていますし、 そうした愛着を生み出せる物に値打ちがあると思っています。 しかし、 値打ちの話になるとすぐに技術論が出てきてしまう。 環境問題もそうした問題のすり替えに使われているような気がします。

 午前中の日高先生のお話にも出ましたように、 自然界はものすごく厳しいルールで動いていますから、 人間が安易な価値観で入っていっても、 すぐに排除されてしまいます。 ですから百年後に何を残すべきかを問われたとき、 人間がいなくなれば環境のためには一番いいという可能性だってある。 しかし、 私は人間はただ自己繁殖すればいいとも、 滅びてしまえという存在でもないだろうと思っているんです。 我々は他者と一緒に生きていくために都市を作ってきたはずなのに、 物質の再循環の厳しい戦いの中になぜ今更入っていかなきゃいかなきゃいけないのだろうという思いがします。 もっとモノを作ることに対して、 その意味を深く考えていくべきじゃないでしょうか。

 美しいものを見たとき、 そこで人は何をしているのかを今こそ真剣に考えたいのです。 美しいものが人間にとってどういう意味を持つのか。 それをしっかり考えておかないと、 変なことになってしまいます。 たとえば今世間で騒がれているように、 制度もないのにITケーブルだらけになってしまいます。 そんな世の中になるとデザインをしている人間は本来は精神を表現するはずなのに、 ただのモノ作りになってしまうだろうし、 それはやはりおかしなことだと思います。

 日本は少なくとも木の文化を育ててきた民族ですし、 それによって日本独自の感性や精神性が形作られてきたはずなのに、 今それが根こそぎ崩れ始めようとしています。 日本人の心の拠り所がなくなっているような状況です。 しかし、 その状況の中で何をすべきかを答えられる人間がいない。 美のリーダーがいないのです。

 私自身もちゃんとしたことが言えているかどうか気になります。 生物的な問題をエネルギーで説明されると、 私はすぐに「やらない方がいい」と言いたくなるし、 やることがないと思ってしまいます。 しかし、 人間は何もしないで生きて死ぬわけにもいかないし、 やはり人間が欲を持っているからこそ環境問題にも関心が出てくるわけです。 最後は人間にこだわるということに立ち返りたいと思っています。

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