環境共生型都市デザインの世界
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快適さとは −世界各地の風景とともに−

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写真16 モロッコ
 ここからは先ほどの住宅からは離れ、 私が環境共生とか環境デザインというテーマでいつも見ていただくスライドをお見せしたいと思います。

 写真16はモロッコの写真です。 谷間に畑と緑がありますが、 これは決して自然にできた風景ではありません。 人が暮らしていくために畑をつくったりしていくことで、 結果的にできた風景です。

 これほど雄大なスケール感のある自然の一方で、 非常に細やかに、 その場その場の環境に手作業でつきあいながらできてきた結果として風景がある、 何かそのような発想をわれわれは忘れてきたんではないかと思います。

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写真17 ヴェニス
 写真17はご承知のようにヴェニスの写真です。 こういう所に行って、 朝陽とか、 海に沈んでゆく夕陽とかを見ると、 すごく幸せな感じに皆さんもなると思います。 そのときに感じる幸福感のなかで、 われわれ自身が生活できるようにするということが大切だと思います。

 ただ単に便利だとか、 便利という意味合いの強い機能性だとか、 そういったものばかりを追い続けていると、 こんな風景が世の中からなくなってしまったり、 忘れてしまったりするのではないかと考えています。

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写真18 ヴェニス
 何てことのない日常の風景です。 ヴェニスですが、 例えば神戸でも六甲アイランドでも尼崎でも、 どこに行ってもこんな風景はいっぱいあります。 しかしながら、 なぜかわれわれは、 こういう風景と日常生活でつきあっていないという気がしてなりません。 日常生活において、 こういう風景のなかに我が身をおける環境をつくりたいものです。 そして、 最終的には自然との共生というよりは、 都市に住んでいる以上、 人間と人間の共生のなかにいるんだという幸せ感を得られるようにしたいと思います。

 そして、 そのような環境をどのようにして確認しあっていくかが問題ですが、 そのベースにあるのは、 やはりこういう風景や空気のなかに身を置くということではないかと思うわけです。

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写真19 ヴェニス
 写真19もそんな風景です。 朝の空気は日常とは全然違います。 空気は空気ですが、 光の媒体でもあるし、 温度の媒体でもあるし、 何かある歴史みたいなものを運んできているような気もします。 普段見えていたものが、 違う空気のなかで違った見え方をするということがあります。

 逆光もなかなか面白いものです。 順光で見えていた風景と逆光で見えている風景とでは、 違ったものが見えます。 けれども、 結果的には同じものなんです。 そういう同じものでも違って見えるということ、 すべてのものがそういうものなんじゃないかと思うというところに、 幸せ感を感じるわけです。

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写真20 ヴェニス
 写真20もそのような風景です。 別に取り立てて美しい風景ではないかも知れませんが、 幸せを運んでくれる風景だと思います。 ここに身を置いていることを想像してください。

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写真21 ヴェニスの駅前の階段
 写真21はヴェニスの駅前の階段です。 バリアフリーとか福祉とか言って、 階段はなるべくやめようとか、 スロープにしましょうとか言いますが、 階段は決して上り下りするためだけのものではないのです。 人が座ったりするのに、 階段ほどいいものはないのではないでしょうか。

 この写真を見ていても何かとても幸せな気分になって、 何となくありとあらゆるもののなかで生きている、 いっしょに生きていると感じます。 そういうものが私が考える環境共生のベースにあるものです。 そういうわけで、 このようなスライドを見ていただいています。

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写真22 ミコノス島
 これはミコノス島です。 ミコノス島というと大抵は白い建物の風景ばかりが映し出されますが、 むしろ問題はその建物の背景にあるのです。 海だとか空だとか、 そのような背景があるからミコノス島がミコノス島であって、 あの白い建物の意味があるんだということです。 白い建物だけに意味があるわけでは絶対にありません。 しかし、 えてしてわれわれは、 あの白い建物を見てしまうという傾向がありすぎるように思います。

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写真23 紺碧のエーゲ海
 エーゲ海の海の色は本当にこのようにある瞬間は青いんです。 エーゲ海は鮮やかな海だという人がいますが、 これは一瞬の話です。 海の色は刻々と変わっていくわけです。

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写真24 夕日を浴びて輝くエーゲ海
 夕陽が海を照らすように落ちてきますと、 決してブルーではありません。 金色の海になっていきます。

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写真25 海辺のレストラン(サントリーニ島)
 そして、 そういう夕陽や海というような変わりゆく自然を楽しむために、 それらを見ることができるレストランができ、 そこで食事をします。

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写真26 海辺の仮設レストラン(ミコノス島)
 写真26は私が非常に好きな写真ですが、 海べりの砂浜とコンクリート護岸のあるところの境です。 朝から昼にかけては何もない砂浜でしかありません。 でも夕方になると、 レストランのウエイターがテーブルとイスを運んできて、 こういう風にセッティングをするわけです。 そして海を背景にした全体のなかで、 ある空間を楽しむというか、 時間を楽しむというか、 そういう環境をしつらえています。

 テーブルとテーブルの間のせまさが何とも言えない感じです。 もっと広いほうがサービスもしやすいだろうと思うのですが、 これは彼らが経験的に発見した気持ちのいいスケールのようです。 私はこのテーブルとイスというこの風景だけでも結構好きなんですが、 次の写真27は思わず絶句してしまうほど、 とても幸せそうに見えます。

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写真27 至福の時(ミコノス島)
 たまたま一番乗りをした人がこのような時間を享受しているわけです。

 では、 ここで周りにテーブルがなく、 あの人たちだけのためにテーブルがあればどんな感じだろうかというと、 むしろこのくらいテーブルがあった方がいいような感じがします。 そこのところはなぜそうなのかは理屈では分かりませんが、 とりあえず快適だということは感覚として分かります。

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写真28 ウルムチ
 写真28は中国西部のウルムチです。 非常に暑いところです。 住宅の庭にはブドウ棚があり、 そこにこのような木陰ができています。 その木陰にベッドを出して子供が寝ていたり、 親が寝ていたりするわけですが、 気持ちのいい風が吹き抜けていきます。

 この家に冷房が入ったらどうでしょう。 アジアの集落を見に行きますと、 冷房がないから何かある種のアイデンティティのある景観や文化が未だに継続されているんだといつも思います。 こういう開放的な環境にエアコンが来たら、 あらゆる歴史的意味合いがすっ飛んでしまうような気がします。 その一方で、 われわれのようにエアコンという環境に身を任せて住んでみないと、 エアコンよりももっと快適なものがあることには気づかないのかも知れません。

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写真29 三峡ダムの近くの山で
 中国の三峡ダムの川のほとりの山を歩いているときに、 偶然見つけた木です。 敢えて環境共生といえば環境共生といえるのかも知れませんが、 素直にやればこういうことになるんだろうと思わせる写真ではないかという意味で、 私は好きな写真です。

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写真30 浮き桟橋(ペナン)
 海に渡っている浮き桟橋みたいなものです。

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写真31 シドニーのボートハウスに行く浮き床
 同じ橋でも、 写真31はシドニーのボートハウスに行く浮き床です。 もちろん建物も浮いてます。

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写真32 アプローチ(クリチバ)
 写真32はブラジルのクリチバで見た、 ある施設に至るアプローチの写真です。 湿地帯の上をデッキで渡るようになっていますが、 これは別に環境共生と言わなくても、 こうするのが一番気持ちのいい解決策だろうと思います。

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写真33 神への供物(バリ)
 写真33はバリの写真です。 彼らは農作物を神から委ねられて暮らしているわけですが、 その神様に感謝する儀式を毎日のように行っています。 この間、 浜なつ子さんの本を読んでいると、 昔は身近な日常生活の周りにいろいろな神様がいて、 そういう神様とともにわれわれは生きていたが、 最近はそういう神様を捨ててしまったんじゃないかと書いてありました。

 自然に対して、 ピリッとした雰囲気になる、 敬虔な気持ちになる、 そのような感覚を少し取り戻すと、 それが自分にとって単純に気持ちのいいものであるように感じることができるのではないでしょうか。

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写真34 アムステルダム
 写真34はアムステルダムの風景です。 最終的にはこれも競い合ってるのか、 共生しているのか、 共存しているのか、 なんだか分からないと言われればそれまでですが、 何だか人をとても幸せにしてくれる風景だと私は思っています。

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写真35 アムステルダム
 写真35もアムステルダムの写真です。 日本では少し信じられない風景かも知れません。 自転車と歩行者と市電がゴチャゴチャに、 何の仕切りもなく共存しています。 そこで、 市電が通ると不思議なことに人や自転車が自然に分かれていくんです。

 この道路は市電のためのものだとか、 自転車のためのものだとか、 人のためのものだとか、 そんなことは一切言いませんし、 このような状況で事故に遭う人もいません。 これで事故に遭う人がいないのは日本ではちょっと考えられませんが、 何かその辺りにとても考えるべきことが隠されているんではないかと、 私はいつも思っています。

 私自身がここに行っても、 事故に遭うことはありません。 何かその場の雰囲気で、 市電が来たら自然にふっと避けるんでしょう。 人間がもっている感覚をピリピリと研ぎ澄ませていなくても、 逆にその場の環境がわれわれの肉体のもっている能力を呼び出してくれる、 支えてくれる、 何かそういう風景をこの写真に見いだすことができるのではないでしょうか。 そこで、 環境共生でこの1枚といったら、 私はこの写真を見ていただきたいと思うわけです。

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