新聞記者から見たまちづくりの潮流
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経済効率を追いかけるか、
生活環境を重視するか

せめぎあう二つの流れ

改行マーク二つ目の問題としては、 現実の経済行動は、 中景という効率の悪いものを対象にしているのではなく、 もっと遠く、 遠景の部分で動いていることです。

改行マークこれは大型店の出店を考えれば一目瞭然です。 政策とか研究のレベルでは、 「大型店の出店」は都市化社会から都市型社会への転換期に逆行していると言われます。 しかし、 経済活動の側から見れば、 コストの安い、 より大きな商業施設を郊外につくっていくのは当たり前のことです。 現実の経済行為は政策や理念とは全く逆の方向に動いているわけです。

改行マーク理念とか制度として、 都心回帰とか中心部の重要性が言われても、 現実にそれを動かしていく産業は逆の動きをしています。 やっぱりまちづくりは大変で、 簡単ではないと言えます。

改行マークこれは二つの流れがせめぎ合いをしている、 まだどっちに流れが傾くかは決まってないということだと思います。


経済効率アップのための構造改革

改行マーク一つは、 経済性を高めていこうという動きです。 「構造改革」とマクロ的に言われますが、 私は「構造改革」じゃなくて単なる「制度変更」だと思っています。 象徴する言葉が「規制緩和」です。 今度の都市計画法改正もそうだと思います。 それに付随してくる分権論議も、 コミュニティをベースにして自治のあり方を考えて積み上げるのではなく、 既に国が持っている権限をどうやって地方公共団体、 自治体に分権化し効率を上げていくかという流れの中で語られていますので、 強いていえば官官分権です。 国の権限が都道府県までは降りるんですが、 都道府県に降りた権限が基礎自治体である市町村に降りるかというと降りません。

改行マークなぜ都道府県止まりかというと、 市町村に受けるだけの力がないことが原因だとされるんですが、 私はそうじゃないと思います。 市町村が権限を受けることを現実に可能にするには、 市民にその権限を委ねるしかありません。 その覚悟がないから市町村に権限が降りて来ない。 「よこせ!」という要求が市町村からでてこないんだと思います。 この問題は重要です。 市民に委ねることは、 まさにまちづくりの担い手をどう作ってゆくかに絡んで来るからです。


高齢化社会の生活環境重視

改行マークもう一方で、 少子高齢化は避けられません。 私なんか高齢化予備軍ですが、 社会構造の変化といえる少子高齢化はこれからも急速に進んでいきます。 今度の国会で通った交通バリアフリー法もその流れへの政策対応の一つだと思います。

改行マークこの議論に関連し皆さんもユニバーサルデザインという言葉をお聞きになったでしょう。 実は、 去年の12月にニューヨークのプラットインスティテュートの工学部長をやっていたブルース・ハナさんが日本に来られました。 シンポジウムで私が司会をやった関係でいろいろ話を聞きました。

改行マークユニバーサルデザインはノースカロライナ大学で提唱された「人にやさしいデザイ」ン、 一言でいってしまえば誰もが使いやすいデザインです。 私は最初、 またアメリカスタンダードか、 アメリカの使い方がこうなんだから世界がこう使うべきだという話かと思っていたら、 ハナさんに「ユニバーサルデザインはグローバルデザインじゃありません」と言われたんです。

改行マーク要するに、 身近なこととか小さなこと、 些細なことから使い勝手がいいもの、 誰もが使えるものをつくっていこうと。 まさにものづくりから始まっているわけです。 日本にも家電業界にユニバーサルデザイン委員会ができ、 今言ったような形での製品作り、 企業の壁を越えた製品作りをやっています。

改行マークではこれがまちづくりという形で、 間違いなく進んでいくだろう。 私はまだ取材していないんですが、 静岡県の島田市にはユニバーサルデザイン室というセクションがあると聞いています。 どういうことをやっているのか聞きに行きたいと思っています。 今各地で広がっている「歩くまち」というポストモータリゼーションの動きも、 まさにユニバーサルデザインの一環だろうと思うんです。 そういう状況をもたらしているのが少子高齢化であって、 生活環境を重視していこうという流れであります。


街は矛盾に満ちている

改行マーク最初の経済効率を追いかける流れと、 それに対する一つのアンチテーゼとして生活環境を重視していく流れ。 この二つが対立しながら、 相互に関わり合いながら混沌とした状態が続いているのが現状ではないか思います。

改行マーク対立し影響しあっている状況は、 新聞の連載で取り上げた高松に象徴されます。 長野県の飯田もそうでしたが、 銀行の融資姿勢が面白かったんです。

改行マーク高松に本店を置く百十四銀行は地方銀行の中でも有力行で、 不良債権も少なく、 ビッグバンがあっても大丈夫だといわれている銀行です。 お膝元の丸亀町の再開発には地権者でもあるし、 融資余力もあるわけですが、 地権者として参加もしないし、 融資もしない。 同じように長野の優良地方銀行である八十二銀行は、 飯田市の再開発に関して最後の最後までまちづくり会社の出資をためらって、 ある時期はまちづくり会社の設立の妨害までしました。

改行マークところが、 理由を聞いてもはっきりしないんです。 ただ両行は「都市化社会から都市型社会へといっても、 それは建設省がいってることで、 現実の経済行為はそうなってない」と口をそろえて言ったんです。

改行マーク要するに、 銀行は金貸しなんだから顧客から預かった金が焦げ付くのは絶対あっちゃいかんことです。 だから出資もしないし融資もしない。 頑迷固陋と言ってしまうのは簡単ですが、 手堅い銀行の経営者は現実を見て行動していく。 その銀行の目からみると都市型社会はまだお題目でしかないということを象徴していると思うんです。 ですから、 依然として経済効率を重視していくのか、 あるいは生活環境を重視する方向にまちづくりがいくのかは、 まだどっちに傾くか分かりません。 最終的にもはっきり白黒つくものでは決してなく、 せめぎ合った状態がまだまだ続くんだろうと思います。

改行マークこういう中で、 私は新聞記者ですから現実に起こっていることしか信用しないんです。 「べき論」とか「そもそも論」とかは体質的に受け付けない。 ですから、 都市とか街のあり方について規制緩和を礼賛する近代経済学者にも与したくないし、 「浪費なき成長」「なにもするな」「人間は清貧に甘んじてやってきゃいいんだ」という「べき論」にも与したくない。 どっちも現実的でないと感じます。

改行マーク街にはきわめて矛盾に満ちた人間が暮らしてるわけですから、 モラルあふれる心もあればエゴイスティックな心もあり、 いろんなものがない交ぜになっているんです。 それを前提にすると、 直線でこっち、 あるいはこっちというものでは決してないと思うんです。 そんな現実を見てしまうと、 今の体たらくの状態は変わらないとなってしまうわけです。 しかし世の中も捨てたもんじゃなくて、 そういう中でまだサクセスストーリーとはいきませんが、 多分この方向は一つの展開、 展望、 可能性があるという動きが現実にいくつかあります。 コミュニティを再建し地域社会をどういうふうに建て直していくか、 公共的な空間をどうやってつくっていくのかということに取り組んでいるまちづくりの活動が各地にでてきています。

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