新聞記者から見たまちづくりの潮流
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まちづくりは闘いだ

改行マーク私が去年取材した中で、 非常に分かりやすかった長野県飯田市のケースをお話しします。 一週間ほど取材しましたが、 取材して感動したのは三十年間新聞記者やっていて初めてのことでした。 ここからいくつかのキーワードを抽出できると思います。 最初にお断りしておきますが、 この飯田のケースが全てなんて言いませんし、 言うつもりありません。 まちづくりはテーマによって違いがあるでしょうし、 街の規模とか置かれている構造、 状況によって違うと承知しています。

 関連ホームページ:飯田市

改行マーク大阪で育って大阪、 東京、 福岡で勤務していましたが、 新聞記者として地方都市のこともよく分かってるつもりでした。 しかし、 飯田へ行ってみてやっぱり全く分かってないと痛感させられました。

改行マーク飯田は江戸時代には三州街道きっての商業都市でした。 恵那山という難所を抱えるため、 恵那山を越える人は常に飯田に前泊しましたので、 ものと人が飯田に集まりました。 江戸幕府を経済的に支えたのは、 ある部分飯田商人だといっても過言ではありません。

改行マーク現在人口十万人ちょっとで、 天竜川の河岸段丘の上にできた「丘の上」と称する旧市街地、 いわゆる中心市街地から三十年間で60%以上の人が流出し、 高齢化率が三割を越えました。 その一方で下伊那地区の中心地区として膨大な郊外を抱え、 郊外開発がどんどん進んでいるという状況です。 典型的な地方都市と言っていいと思います。

改行マークここで何故感動したかというと、 一つは地域文化がまちづくりの中に色濃く息づいていることです。 私は商業を切り口としてまちを整備していく再開発しか見てこなかったのですが、 飯田の場合は「住む」がキーワードになっていました。 住むために必要な社会サービス、 公共サービスを開発していくという事業だったんです。

改行マークもう一つは、 再開発事業をきっかけにしてその次に飯田の丘の上の生活なり地域を支える産業をどう作っていくかという経済再生にまで踏み込んでいることです。 それがなかなかの取り組みで、 もう十何年続いています。

改行マークすったもんだした上に再開発事業は今年の1月の末に着工しました。 私は5年くらい前にこの中心人物だった人に「飯田は社会サービスの再開発をする再開発をやるんだ」と聞いたとき、 まずできないだろうと思ったんです。 理念あるいは理想としてはすばらしいけれど、 合意が得られないだろうと思いました。 しかし壁をクリアして、 着工までこぎ着けました。 その過程を聞いて、 私は「まちづくりは闘争である」ことを実感させられました。

改行マークたとえば再開発面積は1.3haでしたが、 1.3haに関わる全員の合意を待っていてはいつまでたっても事業にかかれません。 だから合意したところから分割着工していくという形を取ったんです。 しかし分割着工した場合、 第一地区は0.4haしかなく、 法定の再開発の最低単位0.5haに届かない。 まずここで引っかかります。

改行マークまた、 飯田は昭和20年くらいのはじめに日本の三代大火(酒田と鳥取と飯田)の一つで地域の8割を失ってるところですが、 耐火建築物の蔵がいくつか残っていました。 その蔵がたまたま再開発地域の中にあったんです。 ふつう再開発では既存の建物を全部撤去しなきゃいけないんですが、 この蔵は大火前の飯田の文化を象徴し、 それを継承するものです。 だから残そうとしたんです。 そして建設省とやりとりしながら結局認めさせました。

改行マークこの間行ってみたら蔵の位置が変わっていました。 二つあったのですが一つの蔵を残してもう一つの蔵は再開発地域から外に出していました。 それは単に歴史的建造物として残すんじゃなくて蔵をうまく使いたい、 歩ける拠点として使いたいからだと言います。 そのため一つは再開発地域の中に入れておいて、 もう一つは外へ出したんです。 ここでも制度違反をクリアしています。

改行マーク三つ目の問題として、 核店舗の問題がありました。 第二地区の地権者だった食品スーパー(キラヤ)が核店舗になるのですが、 第一地区、 第二地区と分割着工してゆくとキラヤは第一地区では地権者でないので第一地区については核店舗がなくなります。 第二地区も含めて全体として見てくれれば良いのですが、 県の都市計画部門がそういう発想をしてくれない。 かといって第一地区にキラヤに入ってもらうにはテナントとして保留床を買ってもらわなければなりません。 それはコストが高くつくうえに無駄な投資になります。

改行マークそこで飯田信用金庫という地元の信用金庫本店の駐車場部分と、 キラヤが土地を交換しました。 土地を交換すると不動産取得税が発生するんですが、 これも国税と話をして税金が発生しないように説き伏せたんです。 言葉で言えば説き伏せたとか説得したとか交渉したとかいう言い方になるんですが、 これはまさに既存の制度をどう変えていくかという戦いをやって勝ったんだと思います。

改行マーク幕末のベストセラーである福沢諭吉の『学問のすすめ』のなかに、 自由という言葉がでてきます。 日本で最初に「自由」という言葉を翻訳したのは福沢諭吉じゃないかと言われていますが、 あれをよく読んでみると“freedom”と“liberty”と二つでてきます。 “freedom”はまさに与えられた自由で、 “liberty”は勝ち取った自由です。 本来自由とはそういったもので、 与えられたものと勝ち取ったものでは価値が違うんですが、 日本語では同じになってしまいます。 まちづくりでも自分たちが必要なものは戦って取るしかないことを、 飯田のケースは示唆しています。

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