リンゴ並木は大火の後、 幅30mの防火道路として造られた都市計画道路ですが、 車を通すための道として使われていました。 しかし今から15年くらい前に、 丘の上の旧市街地を再生していくために、 このリンゴ並木を見直そうという市民の動きがおこりました。 いろいろあった末に飯田市役所はリンゴ並木の計画の権限を市民に渡したんです。 これ大変なことだと思います。 議会もあるし、 市役所の中でも相当議論があったといいます。
市民に渡すことを可能にしたのは、 一つは飯田の特質でしょう。 丘の上の再生を最初に言い出したのは、 行政ではなくて飯田の市民有志だったんです。 彼らが丘の上をどうやって再生していくかという大まかな計画を市に提案しました。 そういう形で土壌がいくつかできあがっていたものですから、 市役所は市民に計画を委ねたのです。
「委ねた」と言ってしまうと簡単にできたように聞こえますが、 なかなか大変でした。 ワークショップが行なわれましたが、 一年目は大失敗でした。 各界の有力者、 PTAの会長とか消防団長を集めてワークショップをやったのですが、 建前の議論しか出てこなかったのです。
そこで二年目はリンゴ並木の世話をしている飯田中学校のグループと建築都市計画の専門家グループ、 まちづくり団体、 、 新聞で公募したグループの四つに分けて、 それぞれワークショップをやってでてきた結論を、 全体で検討してみるという形でやりました。
整備されたリンゴ並木をご覧になればわかると思いますが、 あれはとても道路じゃありません。 私はあそこを遊歩道だと間違えて歩いていて、 後ろからクラクションを遠慮がちに鳴らされた経験が二度あります。 要するに公園と間違えるくらいの道路に変わっているわけです。
これも道路構造令違反です。 一日千台を越える道路は車道と歩道を分離しなきゃいけないという政令があるそうですが、 リンゴ並木はピークで一日四千台が通る道路です。 そこの歩道と車道が分離されていないだけではなく、 車道を狭くして一車線にして、 しかもコミュニティ道路のように蛇行させて、 真ん中の中央分離帯のリンゴの周りには植栽をして、 水路を通して、 ベンチを置いて、 本当に買い物公園みたいになっているんです。
建設省はうんと言いやしない。 長野県の公安委員会も絶対うんと言いやしない。 そこで飯田市役所のまちづくり推進室のリーダーが足を運び、 説得の上に説得を重ねたんです。 建設省は比較的オーケー出すのが早かったらしいんですが、 警察はなかなかうんと言わなかったそうです。 それでもポストモータリゼーションのモデルとして、 これを認めようという言質をなんとか公安委員会から取って、 現在の姿に変わりました。
このプロセスからも、 まちづくりは闘争であると言えますが、 同時に、 行政と市民の関係についても考えさせられます。 行政と市民はまちづくりの車の両輪だとよく言われますが、 行政システムとしてそんなことが現実になるのは簡単ではない。 一方、 市民の側は市民の側で、 行政を馬鹿にしています。 車の両輪というのは理念としてはあるかもしれませんが、 現実にまちづくりを市民と行政が一緒にやろうとするときは、 両輪はあり得ないと思うんです。 強いて言えば、 一輪車だろうと。 行政の人間が市民に乗っかってしまうという形です。 しかし、 これは一輪車ですからこけるわけです。 危なくて仕方がない。 その証拠に、 飯田の場合も再開発の調査費が3年間つかなかったと聞きいています。
行政そのものは良い悪い別にして縦割りの仕組です。 市民と一緒にというと下手すると縦割りを否定してしまいます。 つまり既存の庁内文化からすると、 市民と一緒にやろうという連中は「裏切り者」扱いされます。 それを乗り越えるには、 一輪車しかないと思うんです。 こけるときは一緒にこけるしかない。 こけないためにはどうするかということになるんだと思います。 決して車の両輪といった安定したものではないんだろうと感じました。
行政と市民は一輪車
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