もうちょっと前向きな言い方をすると、 同じところにいたって夢が持てないから、 外へ出ていったと言うんです。 これは商人として当たり前の考えです。 ということは、 まちをしっかり守っていくには、 みんなが夢を持てるような地域を作っていかないと、 結局裏切り者がでてそのまちは駄目になる。 高松の丸亀町のまちづくりの原動力の一つはそこなんです。 彼らがいろいろ調査した結果、 大型店との競争に負けたんじゃなくて、 仲間がいなくなったから商店街が駄目になったことがわかり、 ここに居続けようというようなまちを作っていくところからスタートしたのが、 高松の丸亀町です。
そういう「裏切り」という言葉を二カ所で聞かされて、 記憶に残っています。 飯田の場合、 丘の上の再生は市民が提案したものですが、 丘の上の再整備について全力を挙げるという市としての基本方針がでていました。 それにも関わらず、 第一歩である再開発事業についての調査費用がつかない。 これは理屈ではなく行政システムが持っているある種の体質、 既存の流れから外れるものについての皮膚感覚での拒否感です。 そういうことを前提にしないで、 きれい事で車の両輪と言ってもだめなんです。
連載している途中に、 沖縄の那覇とか札幌をはじめとして行政の人からの問い合わせがありました。 彼らは「市民とのパートナーシップはどのようにやったんですか」という言い方をするんです。 私は元々パートナーシップなんてきれいな言葉で動いたとは思いません。 行政は行政の中で、 ある行政マン達があることを思って今までと違った方向に動きだし、 市民サイドは市民サイドで動きがあった。 それらがどこかでぶつかって、 パートナーシップと言われるものができあがったと理解していたので、 のっけから「パートナーシップのあり方はどうだったんでしょうか」と聞かれることに対して違和感を感じました。
こう言うと問い合わせてきた方が変だと感じるられるかもしれませんが、 決してそうではありません。 問い合わせてきた行政マンはかなり意識が高い人たちだと思うんです。 じゃあ、 意識が高ければいいかというと、 現実的はそうじゃない。 この辺のえもいわれぬ部分が、 まちづくりの難しさじゃないかと感じました。
裏切りが出て当たり前
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