質疑
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まず、 密集市街地の整備の中にはいろいろな課題があるわけですが、 コンペとしてできるかどうかという話が当然出てきます。 コンペにあたっては、 設計コンペというしつらえをしなければなりませんが、 その中での限界があります。 応募する側が応募しようという気になるか、 あるいは、 審査員の先生方が本当に審査できるのかといったところがありました。
やはりコンペとして成り立つかどうかが議論になりました。 ですから、 作品を読んでいただいておもしろくないという面もいくつかあるかと思いますが、 そういった事情があることを言い訳させていただきます。
現実に、 生きたまちを取り上げるということは非常に難しいことです。 現に多くの人たちが住み、 生活されているわけです。 今回の西出東出のあと、 第17回のコンペをある都市でやっていますが、 そこはついに具体の地名を公表しませんでした。 神戸市は具体の地名を公表してコンペをやったという努力をくんでいただきたいということです。コンペの経緯
神戸市 大塚映二
今日は、 難波さんを中心にこのような企画をしていただいて大変ありがたく思っております。 わたくしが、 この地区を担当してから、 かれこれ3年あまりになるのですが、 地元に入って苦労しているところです。
コンペの原案づくり
コンペの原案づくりをしましたのは私です。 言い訳がましいお話が多くなってしまいますが、 少しご説明させていただきます。
神戸市長挨拶(図録より) |
緩やかなという言葉には、 いくつか、 我々の思いが込められています。 一つは、 空間の面での緩やかさです。 既存の街並みなり、 住まいを一気に変えるのではなく、 少しずつ、 協調建替が基本になるのかもしれませんが、 そういうやり方でやりたい。 それから、 時間的な面が二つ目にあろうかと思います。 急激に変えるのではなく、 ゆっくり時間をかけて、 変えていこうじゃないかということです。
それから三つ目は、 人の結びつきが複雑だと言いましたが、 過去いろいろと熟成されてきたコミュニティがあるわけですから、 それを一気に破壊するやり方はやめよう、 緩やかに発展させていこうではないかということです。 それから、 四つ目は、 法令の面でも緩やかな適用を考えよう、 全国一律ではなくて、 この地域にふさわしいやりかたを考えようということです。
これらの思いが今回のテーマには込められておりました。
さらに一点だけ申し上げますと、 若者に魅力のあるまちが今後の密集市街地のあるべき姿ではないかということが、 今日の発表者の方からもありました。 まさにその通りだと思います。 地元の住民の方が今一生懸命議論しておられます。 議論していく中で、 お年寄りの方から、 今のままで十分じゃないか、 結構住みやすいじゃないか、 車も入ってこないし、 静かやし、 別にこれでいいじゃないかという議論があります。 一方で、 その結果、 若い人がどんどん出ていっているじゃないか、 このままだったら、 年寄りばっかりが住む町になってしまう、 これではまちとしてはやっぱり死んでしまう。 若い世代が入るようなまちにしないといけない、 といった議論が進められております。
西出、 東出、 東川崎地区のまちづくり計画図(86年まちづくり協議会策定、 神戸市パンフレット) |
しかし、 我々としては、 外からこういった色々な方々のすばらしいアイディアをうけて、 地域の方々がそういうものを見て、 できれば地域の目標像を共有化していっていただきたい、 その素材になったらと考え、 今回のコンペを実施させていただいたということです。
今日、 非常に気分が落ち着いたのは、 一つは、 公団の中ではこういった議論がうまくかみ合あわないからです。 密集事業は事業という名前が付いていますが、 私自身はやはり都市政策だと思っております。 公団はやはり事業をする組織ですから、 事業をやるデベロッパーとしての公団では、 今日のような議論はなかなかできません。
一口に密集市街地と言いましても、 先ほど難波さんがおっしゃったように整理する必要があると思います。 今回の西出東出はああいった地区ですが、 地区それぞれで違った特徴があります。 それを一言で密集市街地とか密集事業とか呼んでいるため、 かみ合わないという面が確かにあります。
広い意味での密集地区では、 京都の町屋もありますし、 寝屋川とか豊中とかの木賃の密集もある。 それから、 大阪市内の戦前長屋のようなものもあるし、 旧漁村のようなものも含めて、 密集地区と一般的に呼ばれていますが、 その中身は非常に違っていて、 それぞれ、 対応が違う筈です。
今日も、 色々なお話がありましたが、 密集地区について一般的な課題とか、 問題点は、 もう整理できていて、 言い尽くされている面もあります。 にもかかわらず、 それを一体どういうふうにするのかというアウトプットが全然見えてこない、 それが一番の課題だと思います。 公団は、 今から密集事業が柱の一つだと言っていますが、 公団の人自身、 それから一緒にやっていっている人自身が、 そういうところとは非常にかけ離れたところで進んでいまして、 本当にその地区のことを理解してやっていくようなところがない、 ということが一つ問題としてあると思います。
一つ目は、 やはり、 道路、 公園を含めて公共施設をどう作っていくかということです。 密集事業そのものは、 新法も含めて、 最終的には道路等の公共施設をどう整備していくのかに狙いがあります。 ところが、 行政も、 公団も、 なかなか公共施設をどういうふうに整備していくかを前面に出せません。 しかも財政的に難しいということもあり、 そこをどうしていくかということです。
18mとかの都市計画道路には担保性があり、 しかも防災性も良いのですが、 なかなかできません。 じゃあ、 密集地区の中で4mとか6mの主要生活道路をどう作っていくのかということになると、 担保性も低く、 実際行政の方も、 それを全面的に出せないという面があります。 ぜひ、 そういうところは基本として、 骨格的な公共施設をまず打ち出していく必要があると思っています。
二つ目は、 受け皿住宅の問題です。 事業をしていく上で、 受け皿住宅が非常に難しいのです。 例えば先に作っておくと、 空き家の問題が出てきます。
それから、 戸建て住宅との関係と言いますか、 特にミニ開発との関係です。 金融公庫も融資の対象は100m2以上と言いながら、 条例が定めてあると実際には65m2ぐらいまで融資しています。 そういった戸建て住宅と整備との関係がいたちごっこみたいな関係がありますから、 そこらへんをどう評価するかです。 若い人たちが結構ミニ開発に入っていますから、 若い人が来るという面では評価できる部分もあるかと思います。
三つ目は、 戸建て住宅も含めて、 従後はどういうふうな形態が良いのかということです。 チマチマやって行くのが良いのかという話しにも関係しますが、 要するに、 コミュニティをどう確保していくのか、 形態とコミュニティとか、 ソフトの関係です。
それと、 誰を相手にすればいいのかという話が密集事業では非常に大きく、 今回の地区もそうですが、 土地所有者なのか、 借地権者なのか、 借家権者なのかです。 また大阪府下の例えば長屋地区のような地区ですと、 コミュニティがあるのでしょうが、 一般には、 実際にコミュニティがあるのかどうか、 実態をちゃんと把握する必要があるかと思います。
四つ目は、 、 どこまでをエリアにするのかという問題です。 先日も、 兵庫県下で行われている事業についてのヒアリングをしたのですが、 神戸の場合とか、 阪神間は区画整理とか耕地整理で基盤はある程度しっかりしているのですが、 大阪府下の場合ですと、 どこからどこまでをエリアにしたらいいのかが分かりにくいところがあります。
そういうところに資金を投じるのはとんでもないということをいう人もいるわけです。 また、 国も重点化して地区を限定してやろうとしていて、 それを起爆剤にして波及を狙うという戦略を採っていますが、 実際にそれがうまくいくのかどうかがあります。
それと、 今回のコンペの中でも、 タウンマネージメントのような話もありましたが、 実際にそのタウンマネージメントのエリアをどう設定するのかです。 駐車場にしても、 結局タコの足を食っているような面もあり、 本当に財源がエリア内にあるのかが問題だと思います。 確かに、 駐車場とか、 福祉サービスを財源にするとか、 福祉サービスの一環ですがコミュニティキッチンとか、 介護サービスとかそういったところを財源にするという話があるのですが、 本当にうまく機能するのか、 特に既得権の問題が難しいと思います。
最後に、 一番大きな問題として事業採算があります。 今スタートラインに着いているわけですが、 実際には、 スタートラインに着いているのは行政と、 公団も含めてある程度公的な事業者だけです。 実際に、 関西支社で密集市街地整備課が始まって、 業者が私どものところに問い合わせてくることがあったかというと、 全くありません。 再開発とか大規模な開発については業者は問い合わせに来るのですが、 密集事業については採算にのらないだろうということは、 業者の方も分かっているんだろうと思います。
それをいかにうまくやっていくのか、 ということです。 密集事業に派手さがないということ、 事業そのものが説明しにくいということ、 プラス評価されにくいということがありますが、 私自身は、 いかにアピールするかということだと思います。 何もしないというのでもなく、 アリバイでもなく、 積極的に何かするようなものにしたいと思います。
例えば、 密集で木賃アパートを持っていることを変えるような、 密集新法のようなものではなくて、 もっと強いものがあってもいいと思っています。 要するに、 持っていると悪ではないですが、 ペナルティになるということがあって、 密集が更新されていくということも必要です。 そういったような法的な支援がない限り、 実際にやっていることは建替促進であって、 道路を拡幅するために建替の気運が起こったときに、 それに対してアクションをおこすぐらいのことしかできていないというのが現状です。 更新を誘導するにはどうすればいいのかということを考えているところです。
色々な話がありましたが、 真野のまちづくりが一つの答えではないかと思っています。 そこで大塚さんに、 真野のまちづくりをどう評価されているのかをお聞きしたいと思いますが、 その前に、 少しお話させていただきます。
今、 公団の方が事業のお話をされていましたが、 そう事業、 事業と言わなくても、 密集市街地では、 まちづくりというような形も一つの手ではないかと思っています。
先ほど、 難波さんから路地の美しさという詩のような文章のお話しがありましたが、 密集市街地の中には、 もっと険しい面、 防災面とか、 人間の命とか、 財産を守るようないろいろな問題もあるし、 それからもちろん文化の問題もあると思います。
津名の漁村のように美しいまちの形態とか、 いろいろな集落の美しい形態は、 そういう美しい文章で語られても良いけれども、 西出東出とか、 戦後、 とにかく日本の成長の中で、 区画整理もできないまま、 都市計画も何もない中でむちゃくちゃをやってきた密集市街地は、 こんな路地の美しさで語られるものではないだろうと思います。 いい集落、 いい路地、 いい空間というものは残していかなくてはいけないと思うわけですが、 あんまりよくないものまで美化するのは反対です。
ですから、 密集市街地の中には、 やっぱりスクラップアンドビルドで改善すべきところがあるんですが、 いかんせん住宅は基本的にプライベートなものですから、 税金を使って改善する根拠が弱い。 住環境整備モデル事業なんてものは執行力の弱い事業手法で、 密集市街地のような険しい環境の中を改善していくには、 住宅地区改良事業によるしかありません。 法律でもっていくしかないということです。
どうしようもない密集市街地の中で、 公共の福祉のために、 市街地再開発事業により高層化し、 改善していくということはあると思います。 そういったことで本来はやるべきなんだけれども、 実際には、 住宅局レベルの事業は、 あまりにも事業手法が貧弱で、 税制面でもだめです。 権利関係の整理にしても200人も、 400人も権利者がいるような中でコーディネートをやっていくことは極めて難しい。 土地を買ったら税金がかかってくるような任意手法を使ってみても、 密集市街地の整備は進まないということです。
だから、 修復型でやっていくしか仕方がないというふうな格好でやっていくのと、 もう一方では、 低層高密はいいんだ、 憧れなんだ、 だから、 低層高密度の住環境を作っていこうというような「べき論」でやる部分がありますが、 もともとできないんだから、 密集市街地は結局は緩やかな方法でやっていくしかないというのが僕の答えです。
だから、 一つの方法として、 修復型の事業を事業、 事業といって、 税制面もしんどいのに、 積み上げていくということより、 部分的にちょっとずつやりながら、 まち全体の人間関係も、 コミュニティもとらまえて、 20年間まちづくりという格好で真野がやってきたということは評価すべきではないか。 事業化ではなくまちづくり化というような格好で取り組んでいくべきなんじゃないかと思います。
そういうような意味で、 今日のスタディ地区である西出東出では、 どういう具合に取り組んでいこうとしているのか、 せっかく同じ神戸市内に真野の取り組みがあるのに、 それをどう評価しているのか、 そういったあたりをちょっとお聞きしたいと思います。
真野については、 不勉強なもので、 また機会を改めてということにしていただきたいと思います。
西出東出で、 もっとこんなふうにやっていったら良いということがたくさんあると思います。 ですが、 住んでいる人に、 行政から一方的に押しつけるやり方でないやり方、 できることなら、 住民の方が合意できるやり方に誘導したいと四苦八苦している状況です。 もうしばらく見守っていただきたいというところが正直なところです。
宮西:
真野のコンサルタントやっています宮西です。 実は、 このコンペの図録の震源地は私で、 大塚さんは印刷費用を作り出すのに死ぬ思いをしたということです。
実は、 私も真野のまちづくりというのは、 一つの典型だろうとは思うのですが、 私は15年かけて60戸しか潰せませんでした。 2,500戸ぐらいある中の60戸です。 そのうちの7割ぐらいが不良住宅ですから、 まだまだいっぱいあるわけです。 しかし地震はそのうち700戸潰してくれた。 僕は15年かけて60戸しか潰せなかったのに、 地震は20秒で700戸潰したわけです。 すごいなと思ってしまったわけです。
いずれにしろ、 こういう密集市街地でも、 実際にやっていけば、 一戸一戸建て替わっていくということはあります。 真野地区では地区計画をかけていますから、 どの程度の建物が更新されているのかが全部捕捉されていますが、 年間1%ぐらいです。 最初、 真野地区の計画を作ったときに、 年間5%ぐらいの更新率で20年で100%、 そんなピッチかなと思っていたんですが、 そうはいかなかった。 それは、 そういうムーブメントを作り出せなかったということも当然あります。
こういう実態の中で、 やっぱり、 どういうふうに建て替えていくのかということが問題で、 10坪の敷地に3階建てというのは住宅にならないわけです。 震災後、 老夫婦二人暮らしで再建したいという話があって、 建築基準法を守るか守らないかという大議論をしたんです。 6坪じゃ家にならないんです。 足腰弱った老人二人が住むために2階建てを作るわけにはいかないんです。 平屋で6坪、 まあ、 違反建築で、 目一杯で建てて知らんふりしようかというようなことになってくるわけです。
そうじゃなくて、 できることなら3階建てで、 ワンフロアーずつ3軒が共同化してという話が通らない。 誰も賛同してくれないんです。 だから、 共同建替なんて真野で15年かけて4棟しかできていない、 それしかできていないんです。 そんなことが嘆きとしてはあるんです。
それで、 今回の東川崎でのコンペの作品ですが、 いろいろ議論がありますが、 これだけみんながエネルギーをかけてくれたものですから、 勉強する価値があるんではないかと思ったわけです。 もちろん、 手を抜いているものもありますが、 ものすごく手をかけているものもあります。 それは、 今の技術の集大成かもしれません。 こんなにいい教科書は他にないわけですから、 これはぜひ印刷して、 みんなに読んでもらって、 それで考えてもらっていいんじゃないか、 そのためのコンペだったんではないかと私は捉えたわけです。
今日の話の中で、 一番感じた話は、 九後さんが共働き子育て世代にとって密集市街地は魅力的だと言ってくれたことでです。 そういう話は前々から当然気がついていたわけですし、 真野でも若いやつを呼んでこないとしゃあないという話があるわけですが、 そのムーブメントはなかなか作れなかったわけです。
真野が始めた20年前はニュータウン作っていたわけですから、 どんどん人間を郊外へ持っていっていたわけです。 人間を郊外へ持っていく政策をやっている神戸市の中で、 改善事業をやっているわけで、 そんな矛盾した話なんてないわけです。 ようやくそうしたもやもやが晴れて議論ができる状況に今来ていると思います。
確かに人口も減っています。 今住んでいる人も大事ですが、 都市としてのバランスの中で、 どういうふうに密集市街地を考えていかなくてはならないのか、 これは密集市街地が老朽化してきたからどうのというような話ではないんだろうと思います。 ニュータウンは、 一言でいってしまえば60歳定年を前提として作ってきたわけで、 彼女がおっしゃったように子育て世代はあんなニュータウンで子育てはできないわけです。 じゃあどこがいいのかといったら、 密集市街地しかないわけです。
もう一つあるのは、 コミュニティの話で、 先ほど後藤さんはあまり路地を美化するなという話でしたが、 僕はあえていえば、 路地はコミュニケーションの一つの形態だったと思っています。 今までそういうことを抹殺してきたわけです。 そういう意味では、 もっと美化しなくてはいけない。 路地が表現として美化されるのではなくて、 そこで行われているコミュニケーションの形態を見直さなくてはいけないのではないか、 そういった意味で、 僕は路地をもっと語ってもいいんではないかと思います。
約5年ぐらい前から鶴橋のまちづくり研究会のコンサルタントをしています。 鶴橋といいますと、 みなさんは焼き肉とか、 韓国のファッション、 雑貨を売っているところを思われるでしょうが、 すぐ南側の生野区のところは、 まさに非戦災の戦前長屋の密集住宅地です。 密集市街地の良さがまさに残っていて、 住んでいる方もまちづくりの時に、 下町の人情味豊かなまちをなくさないで欲しいとおっしゃっているんです。
実は、 今年のJUDIの関西ブロックのフォーラムのテーマが「環境共生型都市デザイン」ということになりまして、 これで、 ちょっと勉強してみようと思い始めたところです。 そういう目で今回のコンペのみなさんの提案に期待していたのですが、 どうも従来型の共同化とか協調建替とか、 そういう議論だけです。 それでなかなか進まない。
もちろんまだ勉強中ですから、 どうすればいいのかまだその方法は思いついていませんが、 例えば、 密集市街地の中で、 太陽光発電をしたら電気代が2割は減るということで、 それなら太陽光発電するには何軒ぐらいが一緒に建て替えたらできるのかから一つのグループを作ることから始められないかと思います。 あるいは、 いろいろなゴミのリサイクルでも、 何軒よったら地区外へ出ていくゴミがどれくらい減るのかとか、 それがどれぐらい資源になるのかといった話し。 あるいは、 自動車はあまり乗らないでおこうということで、 その代わりに自転車が使えるようなまちづくりにしていこうとか。 まだ試していませがから分かりませんが、 下町の長屋のおばちゃんは、 そういう話なら関心を持たれるだろうと思います。
要するに、 共同とか協調とかでこれだけ面積が増えるとか、 これだけのメリットがあるということよりは、 次世代のために、 地球に優しいまちづくりをしようとか、 そういうふうにみんなまちを作り替えていこうとか、 そういう話ならおばちゃんの中でリーダーが出てきて、 まとまっていくんではないかというような気がしています。
今までのまちづくりのやり方、 このコンペのどの案もそうですが、 そういうやり方だけでは密集市街地の作り替えなんてできない、 視点を変えなくてはいけないというふうに思います。
今後のまちづくりにどう生かせるか
このコンペをやって、 その後どう生かしたのかですが、 実はこのコンペは地元には完全にはオープンにできておりません。 中央線の計画、 あるいは共同化の計画について、 賛成反対がいろいろあって、 地元として議論出来る態勢が整っていないという状況です。
討論
事業としての困難さ
久坂(都市基盤整備公団):公団での取り組みの難しさ
去年の10月に都市基盤整備公団になって、 関西支社に密集市街地整備課という部署ができ、 その担当をしております。密集事業の課題
それでもどうやらやらなければいけないということですので、 事業をやる上での課題について五つのことを言いたいと思います。
事業化ではなくまちづくり化で
後藤(GU計画):
真野は何を教えてくれるのか
大塚(神戸市):
21世紀へ向けた新しいメッセージが必要
有光(環境開発研究所顧問):
53番「生地に未来を描く」(延藤安弘ほか) |
私はオープンスペースのことしか分からないんですが、 53番のプランは広場と道、 それからそれを利用する人たちの表情が多様な関係を持っています。
ちょっと道をずらすとか、 道と建物の関係をずらすとかして、 多様な空間が中央線沿いに展開していますし、 中央線以外にも、 長屋と戸建をかなりランダムに分散させたり、 工場があったりして、 いわば“町”らしいなという感じがしました。
この“町”らしいというものの対極にあるのがニュータウンとか団地ぽいプランで、 そういうのに比べると、 永年人が暮らした市街地らしい雰囲気、 人間臭さがあっておもしろいと思ったのですが、 専門の方からみて、 どうなんでしょうか。 制度上、 法律上の問題があるのでしょうか。 この53番を取り上げてちょっとお伺いしたいんですが。
江川(現代計画):
今日は、 一般的な話として自分自身の中でいつも考えている、 密集市街地をどうするのかということに対する自己確認がかなりできました。 基本的には、 密集は防災上の問題もあり自力更新できないシステムに陥っているなど、 いろいろな問題を抱えているのですが、 それをこのままほっておいていいのかといえば、 社会的によくないわけです。 ですから密集の改善は、 道路を作ったり下水道をつくたりすることと同じような意味だと思います。
問題は、 それを作り直したときに、 すごく気持ちいいと思っていた空間なりがなくなってしまうことです。 計画的にやるといつもそういう問題が出てきますが、 密集はそれが非常に顕著です。 つまり従前と従後がわかりやすいが故に、 そう簡単にできないという、 そういう環境にあると思います。
もちろん、 病理の進行状態によって、 対処の仕方は当然違うんだと思いますが、 基本的にはほっておけないわけですから、 なおかつほっておけない場所が世の中には山のようにあるわけですから、 何かきっかけとなるような考え方を開発しなくてはしょうがない。 そのためにもっと柔軟な制度を作ったり、 もっと本来の目的にあったようなものにしようよということで、 こういった本を作って、 議論しようということはすごく意味のあることだと思います。
それで、 53番の空間がよくないのかというと、 いいと思います。 以前、 戸建て住宅団地の計画のコンペがあり、 僕も似たようなことを計画したことがあります。 その時は一等にはならなかったんですが、 入選して、 審査員が市長にこんなまちがいいんじゃないかと言ったそうなんです。
でも、 やっぱり制度がそういうものに合わないんです。 例えば、 敷地境界を消そうとか、 単純に言えばたったそれだけのことができない。 道路がもっている縁石をどうするのか、 敷地境界をどうするのか、 排水をどうするのかといった基準みたいなものに合わないんです。
物理的、 技術的には、 一つ一つ解決していけないものではないと思います。 でも、 戦後にある混沌としたものを整備しようと作ってきた技術には合わないわけです。
後藤:
ニュータウンの設計を日本は40〜50年ずっとやってきたけど、 どうしてこういうような道の作り方とか、 低層高密というような事例があまりできないのでしょうか。 非常につまらないグリットの道を入れて高層がぽんと建って、 あとは中層とか低層とか分けているでしょ。 そのあたり、 江川さんとかはどう思っておられますか?
江川:
ちょっとオーバーかも分かりませんが、 日本に限らず外国の計画的な住宅地づくりでも似たようなところはあったと思うのですが、 価値基準の共有化みたいなものを求めすぎたと思います。 いろんな人がいる、 いろんな人が生きてこそ楽しいということにはならなかったことが基本的な問題です。 あとは、 敗戦だとかいろいろなことでスピードで何かを解決しなくてはならなかったという背景あったんじゃないかと思います。 全てそういう社会的な要因の中で、 仕方がないという中で作ってきた計画技術だと思います。 経済によって豊かになるという発想です。
真野の例でおっしゃられたように、 時代はまさに変わりつつあるわけですから、 いろいろ議論していくことはいいことだと思います。
僕は、 空間的に気持ちがいいということが一番重要だから、 制度がどうであれ、 そういうものを実現するためにどういうことをしたらいいのか、 そのことによって戦後の技術が求めていた例えば安全性がスポイルされないという方法を考えていく必要があると思います。 先ほど岸田さんのおっしゃられたように段階的にやっていきながら、 整備していくということは、 ほっておくということとは違うということです。 つまり、 既存不適格なものでも当面安全にしながら、 より気持ちのいい形のものが実現できるような手だてを、 時間をかけて考えるということが必要だと思います。
密集をテーマにしたセミナーは、 セミナー委員の難波さんにがんばっていただいて毎年やっていただいております。 特に今年はコンペ案を材料に、 なかなかおもしろい話ができのではないかと思います。
今日は、 いろいろなレベルの話が出ましたが、 国とか、 国の政策決定のレベルにいる人たちがどんな話をしているのかというようなことは、 今日はあまり話題になりませんでした。 コンペの作品を材料にということですから、 現場で専門家としてどういうような考え方でやっていったらいいのかという話題が前面に出てきたのだと思います。
いろいろな議論の中で、 どのレベルでどの話をするのかということが大切で、 今日の話でも三つぐらいに仕分けができそうだと思いますので、 ぜひ整理をしていただければ重要な資料として役に立つのではないかと思います。
一つだけ申し上げたいのは、 木賃を所有して住宅賃貸の経営をしている人は、 その資産の質に関して責任をもたなければならいのではないか、 という点です。 居住する場を提供するのだから、 安全面とかに責任を持つ必要があるのではないかと思います。
例えば、 旅館とかをやっていますと、 消防法の安全基準などが変わると直さなければなりません。 既存不適格は認められず、 遡及的に適用され、 改善する義務が生じるのです。 集合借家の経営にあっても、 人の命に関わる商売をしているわけですから、 同じことではないでしょうか。
今日はどうもありがとうございました。
今回、 都市環境デザイン会議のセミナーでプレゼンテーションされた方のひとりに私の作品について述べられている箇所があったため、 蛇足とは思いながらも一言述べさせていただきます。
私は現在、 フリーで建築の設計をしているものです。
本来提案される内容というのは、 それぞれの価値観が表現されていればおのずと多様性を帯びるものだと思われますが、 実際にはそうならない。
それは自らの価値判断に調停作業が加えられるからだと思います。
そこに「現実的らしきもの」というものを想定して客観的な一般性をもたせようとするのです。 「現実的らしきもの」というのも、 ひとつの価値観です。 ただし仮想の価値観です。 現実的という判断からしてすでに妥当性、 蓋然性を含んだ主観なのにそれをまたそれぞれ提案者が想定して枠組みをつくる。 それがある一定の微差の範囲に収まるというのはその正当性を主張する論拠にはならず、 それほどまでに「現実的らしきもの」という仮想の強固な枠組みが存在するということを示しているに過ぎないと思います。
出発点はコミュニティです。 理想と考えるコミュニティ。
おざなりにふれあい広場を設けましたとか、 ヒューマンな路地をつくりますとかではなく、 もっと本質をつきつめてそれをハードにおとしこむ。 私はコミュニティの源は日常的な密な接触にあると思います。
そのために
1は日常的に人が通り、 また他の行為を誘発できるゆとりがあるということ。 2は住戸内の生活の中心となる部分が街路に対してオープンで、 生活が外部にはみ出していけるような指向性をもっていること。
結果、 ハードとしては従前からの街路は車道として放棄し、 歩行者用街路をブロック内にとる構成となりました。 レベルによる完全な分離はそれを徹底した結果です。 歩車分離の必要性は自分の日常経験によるポリシーみたいなものです。 (説明は提案書の中で述べました)。 2については住戸計画に反映されています。 ここでは述べません。
そして住棟が歩行者空間をとり囲んでいる状況が城壁のようだったので比喩的にまたいささかの揶揄もこめて「FORTRESS」と名付けました。 あとは防災性能についてや高密度から起因する問題など、 他の問題への対応をどう考えていくかということです。 当然平行して考えているのですがそこでもし、 コミュニティの問題と抵触することがあれば、 もうプライオリティの問題です。 そのヒエラルキーの中で最大限の性能を引き出すよう詰めていく。
FORTRESSのできあがった経緯はざっとこんな感じです。
私の提案においてはブロック内に散漫に分散している密度をブロック外周に固めることでその密度を維持しようとするのが企図なのですが、 事実、 従前より計画戸数が減っているので氏の指摘は正しい訳です。 しかしこれは価値観の重心、 プライオリティの問題です。
つまり、 小林氏がいわれる「密集地の再生産がよいのか」という価値判断もあるとおりで何に重心を置くかというのはその人のオリジナリティによるもので優劣の問題ではないということです。
(だからこういうコンペを審査するというのも難しい問題で、 そこから「現実的らしきもの」という曖昧な価値判断が生まれてくるのも解る気がします)。
分かり切った話をくどくどと書き連ねたのは、 Webで公開されるにあたって、 自分の作品が誤解されては困ると考えた故です。
まとめ
鳴海:
反論
FORTRESS(39番)作者 岡村典明
以下はセミナー終了後、 作品掲載についてご連絡したことから、 セミナーの内容を知って寄せられた作者からの反論です。
密集市街地コンペに思うこと
この種のコンペでは、 いつも思うことなんですが、 提案されるハードがステレオタイプでどうも同じ枠内での微差を競っているようにしか見えない。 今回のコンペでは事業手法的なところが争点になっているので、 ちょっとピントがずれているかもしれませんが、 ハード屋なのでハードに限って書きます。 ハードというのはもちろん、 建物だけでなく道路など環境整備も含めます。
FORTRESSについて
今回の提案に当たっては、 そんな枠組みを作り出さず自らの価値判断のみをクライテリアとしてそれをハードに反映させること、 そうすることで何か新しいことができるのではないか、 ブレイクスルーが見出せるのではないかということを考えて臨みました。
1 みんなが安心して利用できる街路がある
というダイアグラムを設定しました。
2 街路に対して住戸が開いている
土橋氏の指摘について蛇足
さて、 土橋氏の指摘ですがここではいわばコミュニティの問題に高密度の問題が抵触しているわけです。
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