密集市街地整備の夢
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

プレゼンテーション6

よい空間を制度がつくれるか

兵庫県 難波健

 

密集市街地とのこれまでの係わり

 私は、 震災後の4月から4年間、 住環境整備を担当し、 改良、 密集、 街なみ環境整備事業等々の補助金行政をやっておりました。 そこでこの機会に4年間で印象に残っているものをちょっと整理してみました。

 まず、 震災後の密集市街地をどうするのかについて、 震災後のバタバタした中でしたが淡路の市町、 阪神間の市を集めて密集研究会といったものを立ち上げました。 復興事業の立ち上げは、 震災直後の意識でほとんど決まっていたと言えます。 若干あとで取り組もうかというところもありました。 それから木賃住宅の滅失戸数の推定に取り組みました。 正確なところは分からないままですが、 推定でだいたい5、 6千戸ぐらいです。 通常、 毎年5百とか6百戸の更新がありますから、 10年分が滅失したということです。 言ってしまえば、 密集事業が10年分早まったということにもなります。

 それから、 密集住宅市街地対策の検討として、 2年ほど続けてコンサルにお願いし、 市町の方に使っていただくためのマニュアルを作りました。 また密集新法ができましたので、 土橋さんに手伝っていただき防災再開発促進地区の指定のため、 都市計画基礎調査を使ったデータ的な調査を行い、 防災再開発促進地区の指定調査をやりました。

 復興事業としては、 淡路では非常に特徴的なコミュニティ住宅が建設されました。 災害公営がわりと画一的な建物として建設されたのに対してコミ住がユニークに造られたのは面白い現象でした。 コミ住は入居者の顔が見えていることとか、 いくつかの理由があります。 区画整理との合併施行となった築地の改良住宅でも、 大規模でかなりいいものができたと思います。 周辺整備についても改良の事業費でいろいろな環境整備ができています。

 それから、 湊川東部、 神前のミニ区画整理と密集事業の合併施行は、 神戸市の底力と言いますか、 実体にあわせて臨機応変にやっていく現実的処理が印象的でした。

 こういった形で密集市街地と関わってきましたが、 現在は、 都市計画をやっています。 また建設省がH9から5年計画で取り組んでいる防災総プロとタイアップした防災まちづくり共同推進会議にも参加しています。 この中では、 出火後のまちの焼け方とか、 焼け止まり、 あるいは避難路の確保などをシミュレーションし、 避難地の想定と計画をコンピューターでやってしまおうというシムシティみたいなものも取り組まれています。 我々行政は、 そういったシステムを作る方ではなくて、 シミュレーションの使い方だとか、 計画の実現の仕方についてアイディアを出しています。 実際に出来てどうなるのか、 よく分からない面もあるのですが、 まちについての防災面からのチェックが非常に厳密になりつつあるということを目の当たりにしているという状況です。

 


コンペ作品について

 今回のコンペの対象作品としては二つだけあげております。

画像mi35a
35番「前向きで柔軟な建替/共同化へ」(寺本晰子ほか)
 一つは35番で、 敷地整序型土地区画整理事業ということに着目して取り上げました。

 ステップ1、 ステップ2、 ステップ3と建替の計画を立て、 銭湯を地域の中心的なよりどころとして、 仮設住宅を建設し、 共同住宅に入る人と戸建に入る人を、 順次換地し、 敷地の整序を行っていくというものです。 これは制度としては、 関係者が納得すれば実際にできるようです。 補助事業ではなくて、 区画整理事業を使って土地を交換していくということで、 東京有楽町のマリオンはこの制度を使っているということです。

 住んでいる人は、 10軒ほど向こうの家が建替えしているなと思っていると次ぎは5軒ぐらい向こう、 3軒向こうが着工したなと思うと、 次ぎはうちをやらなくちゃ、 と地区住民が時間をかけて覚悟をしていくようなところがあるのではないでしょうか。

画像mi64a
64番「舫いのまち」(大谷宗之ほか)
 もう一つは64番です。 街並み誘導型地区計画を使ってきれいな絵が書かれています。 敷地の裏側に緑道があって、 2.7mの道路に接道していているという形を、 街並み誘導型地区計画で接道義務を緩和して実現すると書いてあるのですが、 これはどうもできないようです。 道路幅員を2.7mに緩和するには、 これではだめではないかというような話でした。 こういった、 路地の扱いがポイントだと思っております。

 できあがった図はニュータウンのタウンハウスのように描かれていますが、 通り抜け長屋のようなまちなみと考えれば、 けっこうコミュニティのあるまちができるかもしれません。

 


密集市街地の制度の変遷について

画像miz03
密集市街地整備促進事業の変遷(難波)
 図に密集住宅市街地整備促進事業の変遷としてまとめています。 これだけ制度がころころ変わっているのですが、 では制度の適用により事業が進んで密集市街地がなくなったのかというと、 先ほどの土橋さんのお話のように、 何も変わっていないんです。 では、 我々は補助事業で何をやっているのかということになってくるわけです。 そういった意味で、 制度の改善で果たして制度が使えるようになってきたのかを問いなすことが必要だと思います。

 例えば、 兵庫県でやってきたコミ住建設ですが、 これは制度としては74年からあるわけですが、 これまでに作ってきたコミ住は1,109戸です。 それから、 建替促進の制度は84年にスタートして98年までの15年間で現実に実施されたのは従前戸数で633戸、 従後で660戸です。 高々それくらいしか密集事業はやっていなかったという事実があります。

 ですから、 よい密集市街地をつくるためには、 今の制度自体の問題も出てくるし、 我々行政自身もどうしていいか分からないということもあるし、 そういった制度を使える人というのも少ないという状況だと思っています。

 


路地の美しさについて

 最後に、 密集市街地整備について思うことです。 1990年に名古屋であったセミナーに、 クリストファー・アレグザンダーが来て基調講演をしているのですが、 その中で「路地の美しさ」について次のようなことをいっています。

 こういうのが密集市街地ではないか、 我々がこれから求めていく密集市街地ではないかと思います。 それを作るための制度であり、 先ほどの2.7mが必要であればそれを作っていく制度が必要ではないかと思います。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ