写真40左 仙台長町(1995-1997) |
いくつかのチームによる委員会システムで事業を進めていったのですが、 私は土地利用委員会のメンバーとして参加していました。
地図の右下に見える部分は奈良時代の役所跡で、 今は農地と宅地になっていますが、 将来は公的な緑地にするという構想があります。 右上に流れているのは広瀬川です。
ところで我々が計画に参加する以前から、 エリアを南北に貫く南北幹線道路が入る予定になっていました。 ただ道路の構成をどうするかについては、 まだこれからというところでした。
ご承知のように、 仙台は杜の都と呼ばれて親しまれていたのですが、 それは昔の仙台の町が武家屋敷を中心とした町でその屋敷林が町全体を覆っていたことからそう呼ばれるようになったのです。 戦時中の空襲や大震災の結果、 現在ではその面影は全く残っていません。 今では道路が緑化されたことで、 それが杜の都の実態だと思ってしまっている人もいるようです。
このプロジェクトを進めるにあたり、 私達はかつての武家屋敷の緑を復活させることで本来の杜の都の姿に立ち戻ろうとうコンセプトをだしました。 つまり、 公共の緑ではなくて、 それぞれの宅地を緑化させることで街全体を杜の都にするのです。
この考え方は、 それまでニュータウンでやってきた街の環境骨格を公共の緑で整備するというやり方ではなく、 面的に街を構成するすべての要素の緑化を考えていくものです。
写真40右 仙台長町/道路の考え方(1995) |
写真41左 仙台長町/南北幹線のアクソメトリック |
また建物も、 南北幹線に近いところは低層で、 森の奥の方になるほど高層という構成にして、 全体としては空中庭園のような街を造ろうという提案です。
写真41右 仙台長町/賑わい軸(1997) |
しかし、 それ自体としては賑わいの出てくる空間ではありません。 賑わいのある商業系の建物は、 パッサージュをとってそこに計画しました。 とはいえ、 大規模な投資のできる時代にはならないだろうと考え、 この絵では建物は暫定利用を含む小規模なものとして、 親しみの持てるスケールをもった空間とし、壁は緑で覆い、 また樹木の中で賑わいがつく
れるよう なコンセプトにしました。 樹木の中に店舗の入口やショーウインドウが見えた りする空間が作れないかと考えたのです。
写真42左 多摩B-6若葉台(1998〜) |
写真42右 多摩B-6若葉台/模型 |
写真42右はその模型です。 集合住宅を含む複合的施設です。 進行中のプロジェクトです
から、 どういう形になるのかは分かりません。 おそらくこのような形にはならないでしょうが、 これからの郊外の開発のあり方や都市生活を考えていく上で、 どういう空間をイメージするかを提案したものです。
写真43左 多摩19住区次世代(1996〜)/骨格構造 |
写真43右 多摩19住区次世代(1996〜)I期/東山/初期の配置図 |
自然を尾根筋に残したのに対し、 道は谷筋に沿って通していきました。 写真43右は左より後に出来た図なので、 道路の線形は変わっていますが、 谷筋に道をとっていく考え方は同じです。 道が尾根にぶつかればトンネルを通し、 低いところは橋梁で通すようにしています。 この計画では、地形と道路、宅盤の高さをリンクさせないことによって大規模な造成 を避けるようにしています。
●で示した所は、 駐車場と集合住宅を一体化したユニットです。 この当時は住・都公団が分譲住宅から撤退する前で、 公団としてはこのようなユニットを事業化できないということで、駐車場と集合住宅を一体化する案はボツになってしまったのですが、 ここで考え ていたのは一体化することで開発面積をコンパクトにし、 自然を残すということです。
写真44左 多摩19住区次世代(1996〜)I期/東山/委員会案 |
写真44右 多摩19住区次世代(1996〜)I期/東山/アクソメトリック |
写真44右は、 山計画工房に描いていただいたこの段階の最終案です。 委員会当時に描いた案は多摩ニュータウン開発時の諸元をそのまま踏襲する形だったのですが、 今その枠組みを前提とする意味があるのかという疑問もあって、 コンセプトを明確に表現するために開発フレームの数字を一切はずして再度あるべき姿を描きなおしたものです。
委員会案と比べると、 開発密度はかなり下がっています。 それで事業が成立するかどうかは、 また別問題だと思います。 ただ、 今あえて郊外を選んで開発するのならば、 従来型の開発をやる必然性はないし、 その需要もないと思います。 やはりこれからは、 目的的に郊外環境を求める人にアピールできる開発を考えていかないとだめでしょう。
この案は、 道路同士は立体で処理し、 道路のための大規模な地形改変をしない計画にしています。 また、 車は幹線道路沿いに集中パーキングをするようにして、 そこから斜行エレベータで上に上げるように計画しています。
尾根の上では斜行エレベータステーションから100mを目安に住棟を屋根付の回廊でつなぐユニットを考えています。 引っ越し、 あるいはメンテナンスや障害者用に車は入れるようにしていますが、 通常は原則としては住棟への直接乗り入れを制限しようという考え方です。
写真45左 多摩19住区次世代(1996〜)II期/マスタープラン(1998) |
結局この第2ステージは、 郊外部での集合住宅は事業的に難しいという住・都公団の判 断ですべてを戸建てにすることでスタートすることになりました。 全体の骨格は変わらなかったのですが、 戸建てにすることで造成計画のあり方がかなり変わりました。 道路にしても地形とリンクさせないやり方は事業費がかさむことから、 従来型に近い形態になっています。
この段階でどういう街にするか、従来型の開発とどう違うのかを具体的な形に現わすた め、 建築計画、 クラスターの計画に二つの建築設計事務所に入ってもらっています。 一つは江川直樹さんの現代計画研究所、 もう一つは以前からこのプロジェクトでお世話になっていた山計画工房です。 この二つの事務所で、 街のあり方や住宅地の空間イメージを検討してもらいました。
写真45左はその段階のマスタープランで、 全体のプログラムを表しています。 まず、 グリーンで示している環境骨格をセットし、 それから骨格道路をセットしています。 その二つの骨格をフィックスし、 あとの部分は“インフィル”として自由度の高いスーパーブロックで処理していくというやり方です。
写真45右 多摩19住区次世代(1996〜)II期/クラスター構造図 |
スーパーブロックを一つのビレッジとして、 その入口にバス停や共用施設をまとめています。
また、 それぞれのクラスターの開発は、 それぞれの事業者が行います。 言い換えれば、 いくつかの事業者に共同で一つのビレッジを開発してもらおうという考えです。 したがってビレッジの中の構造をどうするかについては事業者が話し合って決めることになります。
マスタープランであらかじめ決めておくのは全体骨格だけで、 地区内の道路計画は事業者間の話し合いの結果が出てから考えていくシステムです。 言い換えれば、 これまでのような見込み開発ではなく、 実際の需要が発生してから取り組む「受注開発」に転換していこうという姿勢です。 そうすることで、 無駄な開発を抑えていきたいと思っています。
写真46左 多摩19住区次世代(1996〜)II期/クラスターのイメージ |
さらに、 共用施設、 共用空間を持つために人が集まってここで暮らす、目的的居住というあり方につながらないかと考えました。 したがって、 開発する前に住みたい人を募集し、 人びとが何を中心施設とするかを話し合ったり、 ディベロッパーと交渉したりするプロセスをたどるだろうと思われます。 つまりエンドユーザーが参加する双方向的街づくりのプロセスです。 そうしたクラスターの一つのイメージが、 この田んぼを持ったクラスターです。
写真46右 多摩19住区次世代(1996〜)II期/クラスター |
この作業ではこういうことを考えているということを示した上で、 より具体的なイメージ図を二つの設計事務所に託しました。
写真47左 多摩19住区次世代(1996〜)II期/クラスター(現代計画研究所 原図) |
写真47右 多摩19住区次世代(1996〜)II期/クラスター(山設計工房 原図) |
写真57右は山設計工房のイメージ図です。 明確なコアを持つクラスターではありませんが、 共用の道沿いに花壇があったり、 バーベキューが出来るコーナーを造って、 これを中心空間とするという図を描いていただきました。
写真48左 多摩19住区次世代(1996〜)III期/定借の場合、 500m2の宅地 |
写真48右 多摩19次世代(1996〜)III期/定借の場合、 1000m2の宅地 グループハウスのイメージ |
第1期の委員会段階で検討したときは集合住宅もあり得るという考え方でしたが、 第2期では集合住宅はなくなり、 戸建てを入れることでグループ構成を考えていこうということになりました。 また、 第2期ではそれまでの見込み開発から受注開発へ切り替える仕組み を探りました。
さらに、 昨年末から19住区全体で土地を売るのはやめて定期借地権方式でやれないかという試案が提示され、 そのイメージ図を描くことになりました。 写真はそのイメージ図です。
戸建て住宅を中心とすると、どうしても現況地形を生かすことが難しくなります。 定借でやるとすれば、 これまでのような200m2クラスの宅地分譲ではなく、 もっと大規模な面積 でもやれるのではないか、それによってもっと地形を生かした計画と することができるのではないか、という予想のもとに、 写真48左は500m2、 写真48右 は1000m2のユニットを考 えてみました。
コンセプトとしては元の地形を残すため、 住宅ユニットを分棟式にすることを提案しています。 また、 デッキを中心に自然との接点となる空間を作りながら建物を組織化することを提案しています。 それぞれの部屋にもプライベートのデッキをつくる等、 さまざまな外部との接点がある住宅の姿を考えました。 あえて郊外を暮らしの場とする以上は、 市街地の中では得られない生活の質を得られるのだということを明確に主張する絵を描いて欲しかったので、 これらの絵をベースに山計画工房にお願いしました。
また、 屋根面は全面ソーラーにしており、 建物が受けるエネルギーを最大限に使うことも考えています。
1000m2という大規模な敷地をお金持ちだけでなく、 そこそこのコストでみんなが 享受できるよう、 グループハウスを考えてみました。 これもデッキを中心とした構成となっています。 ここでは個室ユニット七つと共有施設で一つのエリアとしています。 共有施設棟は上階が個室で、 下が共有部分となっています。 中心となるデッキをはじめ共有施設が外部との接点にもなり、 共有の畑もあればプライベートな畑もあるという空間構成を考えています。
そこそこのコストで豊かな郊外ならではの生活が出来ることを示したいと思って提案しましたが、 グループハウスのような特殊解は避けたいという公団側の意向もあって、 この案はボツになり結局1000m2タイプは3世帯住宅という想定になりまし た。 全体を三つのユニットにしたほか、 デッキをはじめ全体の骨格の考え方については、 ほとんど変わっていません。