ワイルド・ニューヨーク
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5。 新しい公共空間

 

 最後に今までお話してきた事を公共空間論に結びつけたいと思います。


公共空間とは何か?

 私は、 空間において複数の定義が「競合」している限りにおいて、 パブリック・スペースと呼べるのではないかと思っています。

 要するにパブリック・スペースは、 その空間を単一の定義に還元できない、 あるいは定義づけを拒絶している限りにおいて「公共空間」であると言いたいのです。


住宅/非住宅

 具体的な話をしましょう。 例えば、 ローカル・グループがどういう事をやってきたかというと、 一つは「住宅」と「非住宅」の境界をつぶしてきたということが、 面白いと思います。

 つまり「住宅」という概念の定義をもう一度わからなくしてしまっています。 そこにパブリック・スペースが立ち上っているのではないかと思うのです。

 今、 先進国には「住宅」についての定義がきちんとあります。 屋根があるとか塀がある事とか。 日本でも住宅統計調査をみると「住宅」の定義がきっちりと書いてあります。

 ところが、 実際には、 人々がそこから溢れ出てしまっているわけです。

 今ニューヨークではトンネルに住んでる人が沢山います。 また路上、 公園、 あるいは先ほど紹介したヴィークル、 シェルター、 トランジショナル、 SROといったものは、 住宅とは何か、 という定義の問題をあらためて社会に突きつけています。

 ノンプロフィット・グループは、 法律上住宅でない部分をどうするのか、 そこに実際住んでいる人がいるのに、 そこには補助金は要らないのか、 と一生懸命言ったわけです。

 ですから本来「住宅」というものは、 分かりやすい定義のようで、 本当は分かりやすくはないのではないか、 ローカル・グループの運動は住宅問題における公共空間を立ち上げているのではないか、 というふうに思うのです。


持家/借家

 住宅の権利や所有関係も非常に複雑になってきています。

 一般的には持家か借家かという分かりやすい二分法だったのですが、 ノンプロフィットはその間くらいの曖昧なものを沢山造っています。

 例えば「非営利賃貸」というのは利潤の無い賃貸です。

 「ミューチュアル住宅」はロワー・イーストサイドによくあるもので、 基本的には賃貸ですが、 借家人はその賃貸住宅を所有している会社の理事になっています。

 つまり賃貸だけれども、 その家賃や管理を決定する権限は借家人にあるということです。 ですから、 持家のような借家になっています。

 また「資産限定コーポラティブ」は、 今ニューヨークに沢山あります。 これは日本のいわゆるコーポラティブ住宅とは違う、 共同所有のコーポラティブです。

 厳密に言うと、 会社を創って住民がその株を買い「住宅を持っている会社」を所有しているというのが、 本来のコーポラティブ住宅の意味です。 ニューヨーク市はこれに補助金を出していますが、 そのかわり資産を限定し、 キャピタルゲインは認めないという事をやっています。

 ですから持家のような共同所有なんだけれども、 キャピタルゲインはありません。 これが持家と言えるのか、 という事で、 どう分類していいかよくわからない所有関係になっています。

 「コミュニティ・ランド・トラスト」は、 ランド・トラストという非営利会社が土地を持っていて、 土地は売らないで、 住宅を造って住宅だけを売ります。

 ところが、 この住宅を買った人は、 住宅を売る時にランド・トラストにしか売らないという契約を結びます。 それによってキャピタルゲインを制御し、 アフォーダブルな資源を保全するという作戦です。

 ですから持家ですが借地で、 かつキャピタルゲインは出ないという性格のものになっています。

 このように、 持家か借家かという、 非常に分かりやすい定義を一度壊してしまっているところが面白いと思います。


非営利組織/市場/政府:抵抗と共振

 さて最近、 日本でもNPO法ができ、 NPOが流行しているようです。

 NPOは分かりやすいもののように思われていますが、 実はこれも全然分かりやすいものではありません。

 例えばニューヨークのCDCを取材してみると、 220団体のうちほとんどがプロテスト・グループから出てきたグループです。 60年代の暴動の頃に、 日本風に言うと全共闘世代の方々がプロテスト・グループから始めたわけです。

 ところがプロジェクトをやるとなると、 市役所と仲良くしないといけない。 その辺りで、 ケンカしながらも仲良くしなければならない、 という難しい事になっています。

 また、 日本のNPOもそうですが、 ニューヨークのCDCも役所から見たらエージェンシーです。 要するに市役所はアウトソーシングの機関として、 役所の政策を代わりにやってくれるものとCDCを見なしているわけです。 その辺の性格づけが非常に分かりにくくなっています。

 それから、 CDCは家賃を抑えた住宅を作ってホームレスに供給するといったチャリティの性格を持っているのですが、 一方でデベロッパーですから、 どうやってもビジネスです。 この辺のバランス感覚が難しいのです。

 あるいはまた、 ノンプロフィットという事で、 自由に自発的にやるのがNPOだと日本では理解されていますが、 実は全くそうではなくて、 ものすごく競争的な環境の中にあります。 補助金を取るのは全てコンペ形式ですし、 民間の資本を取ってくるためにも、 厳しい競争があります。

 さらに、 多くの組織はアマチュアのグループから出てくるのですが、 今現在そのほとんどが完全にプロ化しています。 それが良いのか悪いのかという議論があります。 プロ化が進んできてから、 ビジネスとして成立する部分だけに活動を限定するグループが増えているという傾向も指摘されています。

 要するに、 ここで申し上げたい事は、 ローカル・グループであるノンプロフィット・グループは、 非常に分かりにくい性質を持っているという事です。 そして重要なのは、 分かりにくいものこそが「パブリック」なのではないか、 という事です。

 例えばノンプロフィット・グループは、 「役所の協力を引き出したい」という考えと「我々は役所の下請けじゃない」というような二つの考えが競合している限りにおいて、 公的な性質を持っていると言えるのではないでしょうか。 そのどちらに偏って、 分かりやすくはなってしまうと、 新しい可能性がなくなってしまうような気がします。


コミュニティ/内部/外部

 また、 コミュニティ・グループについても難しい議論があります。

 例えばボストンではこんなことがありました。

 ヒスパニック系のグループが賃貸住宅を造って応募者を募ると倍率が非常に高かった。 ヒスパニック系コミュニティ以外の黒人が沢山応募してきたためだったのですが、 当選者は全員ヒスパニック系でした。 これに黒人が人種差別だと怒って裁判になり、 結局抽選はやり直しになりました。

 ヒスパニック系のノンプロフィットの言い分は、 自分達の街のためにやってきたのだから、 ヒスパニック系が当選して当然だと言うことでした。

 しかしそれに対して、 コミュニティの外にも沢山の困っている人がいるし、 補助金を使っている以上、 人種差別は許されない、 という反論は強い。 「誰の為に仕事するのか」と言うときに、 コミュニティの境界は単純には決まってないということを指摘できます。

 またニューヨークでは最近、 日本でも注目されているBID(Business Improvement District)という新型のNPOが出来ています。 商店街のNPOみたいな感じで、 不動産税をバックしてもらってそれでまちづくりをするというものです。

 CDCと非常に仲が悪いのですが、 それはBIDの関心が「街をキレイにする事」だからなのです。 実は、 先ほど紹介したように公園がきれいになったのは、 BIDの人達が一生懸命やってきた成果です。 すごくきれいになっている一方で、 BIDはコミュニティを良くするために、 という名目のもとで、 ホームレスがゴミを拾える時間を指定するなど、 ホームレスをとにかく追い出すという事を一生懸命やってきたのです。

 それに対してCDCや左派、 リベラル派からの強い批判がありますが、 BID側はそういうホームレスとかの問題は公共部門がやるべきじゃないか、 などという意見です。 要するにコミュニティをキレイにするという事は、 汚い物を排除するという事になりますが、 その辺りをどう考えるべきか、 ということがあるわけです。 日本では「BIDは素晴しい」というような紹介をしている研究者がいますが、 話はそんなに単純ではありません。

 あるいはまた、 ノンプロフィット・グループはコミュニティの中から出てくるのですが、 段々プロ化してくると、 あちこちとパートナーシップを組みますから、 法的な責任は地域の外に出て行くわけです。

 例えば、 補助金をもらうと政府への責任が発生します。 あるいは民間の資本を使うと、 投資者の利益に配慮しなければいけないという法律上の規定があります。

 すると、 ノンプロフィットは一体誰に責任を負っているのか、 という議論になります。 その辺りも、 法律的にはもちろんはっきりしているのですが、 「よく分からない」というのが結論となっています。

 このような意味でも、 コミュニティから出てきたグループは分かりやすいようであっても、 実は分かりにくい、 複数の考え方が競合している状態にあると思います。


イデオロギー

 最後にイデオロギーの問題があります。

 10年前にCDCを調べ始めた時には、 困っている人を助けたりしているわけですから、 これはリベラル派だと思っていました。 ところがよく見ていると、 80年代の新保守主義を代表するレーガンもCDCが大好きなんです。 それは自立自助とかボランタリーな精神とかが、 保守派に合致するからなのです。

 そういう意味では、 良くいうと右からも左からも好かれているのです。 リベラル派は、 CDCは低所得者のために一生懸命やってるから補助金を入れてやれと政治的にいきますし、 保守派も、 自立自助の価値というものを全面的に掲げるノンプロフィット・グループというのは良いじゃないかと言うわけです。

 また、 ある学者は、 ニューヨークのノンプロフィット・グループはコミュニティ資本主義だと言っています。 要するに、 コミュニティの中の資本主義を再生させる、 マーケットを復活させるのがCDCだというのです。

 ところが、 別の学者は、 これは明かにミュニティ社会主義だと言っています。

 全然違う見解が同時に出てくるという事は、 その両面を含んでいるというか、 その両方の考え方が競合しているからではないかと思います。

 色々言いましたが、 とにかく、 これらは「わりきれないもの」だということです。

 グローバリゼーションに対するローカルの対応は、 複数の考え方が競合しているノンプロフィット・グループが担っているという点が、 非常に重要なのではないでしょうか。


分裂都市から新しい連帯へ?

 今現在、 ローカル・グループが一生懸命やっているわけですが、 限界は近いという事が指摘されています。

 どういうことかと言うと、 地域ごとに小さなプロジェクトをやっていて、 その一つ一つは非常に面白いけれども、 延々とそれをやっていてどうするのか。 グローバリゼーションに本気で対抗するのであれば、 政治力が無くてはいけないのではないか、 という批判があります。

 そういうわけで今、 プロジェクト・グループのアンブレラとして連合組織が増えてきています。 連邦レベルでは低所得者住宅連合などの組織がありますし、 ニューヨークレベルでも近隣住宅開発協会と近隣訓練資源センターという二つのプレッシャー・グループが形成されています。

 また技術的な面では、 グローバル・シティの開発利益を、 インナーシティのアフォーダブル住宅に直結できないかという事をやっています。

 例えば、 有名な所ではバッテリー・パークから5億ドルを交渉してとってきました。 これはバッテリー・パークの規模を考えればたいしたお金じゃないかもしれませんが、 グローバルな開発利益をインナーシティに振り向ける施策があり得る、 ということを示した点では意義は大きいのです。

 また、 去年(1999年)から始まったグランド・プログラム(Global Re-investment Affordable Neighborhood Development Program)は、 グローバルな金融市場からニューヨークのアフォーダブル住宅への投資を導き出すという新しいプログラムです。

 これは新型のファイナンス技術で、 ニューヨーク州が元本保証する事によって、 利回りが出るかどうかはわからないが元本割れは起こらない、 だからニューヨークのインナーシティに投資しませんか、 という仕組みです。 グローバルなマーケットにファイナンスを求めようというものです。

 長くなりましたが、 今日申し上げたかったのは、 グローバリゼーションに対するローカル・グループの反応にはいろいろあって、 それは公共空間という視点で考えてみると、 競合の空間であるという事です。

 すなわち「複数の考え方が競合している」という事が重要だと申し上げたかったわけです。

 最後にスライドを見ていただいて終わりたいと思います。 今日の話しの一部は建築学会の『建築雑誌』2000年10月号に書きましたので、 読んでいただけると幸いです。

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