ワイルド・ニューヨーク
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パブリックの概念について

 

司会(丸茂)

 とても具体的なお話をしていただきました。 これからは、 今後の新しい公共空間をどう構想すればいいのかについて議論していきたいと思います。

 今のスライドでは、 閉鎖的な公共空間の例がいっぱい出てきました。 世界都市あるいはポストインダストリアルシティという形で作られている一連の空間も、 いかに公共空間を豊かにしていくかというテーマがあったのでしょうが、 その一方そうした空間は監視と管理が強化された閉鎖的な公共空間になったと言えます。 クリーンにするためにいろんなものを排除する空間を公共空間と呼べるのかどうかという平山先生の問いかけは、 本質を突いた重たい問題提起だと思います。

 また、 公共空間の整理されていない、 分類しがたい状況、 おそらくそれは混沌という言い方が出来るのでしょうが、 混沌こそ公共空間だというご指摘は、 哲学的というか難しい側面があるのですが、 そういう問題提起がございました。

 議論に入る前に、 私の方からいくつか質問をさせていただきます。

 1960年代まで、 アメリカは福祉国家の理念を持っていたと思います。 その後、 新自由主義、 新保守主義が台頭してきて、 福祉的な予算がどんどん切りつめられていきました。 そんな働きを補完する形でCDCなどの市民ボランティアが出てきました。 20世紀後半のそんな流れの中で、 パブリックスという概念やスペースは縮小してきたとお考えでしょうか。 それともボランティア活動が拡大してきたという面から見ると、 パブリックという概念やスペースは拡大しているとお考えなのでしょうか。

平山

 公共空間がすごく減っているのは明らかです。 パブリック・スペースと呼ばれるものはたくさんあるのですが、 今つくられているのは分類された空間だと思います。 例えば、 アトリウムもパブリック・スペースになっていますが、 現実にはそこへアクセスできる人はメンバーシップ制になっているわけです。 そういう所を公共空間と呼んでいいのかは疑問です。

 また、 NPOも実は様々です。 公共目的のためのプライベートな組織であるのが面白いのですが、 ボランティアだからとひとくくりにして議論するのは危険だと思っています。 何をしているのか中身をちゃんと見ないといけない。

 同じNPOでも、 BIDなどは排他的な面を持たざるを得ません。 地域振興のためのNPOですから、 街をきれいにすることが目的になると、 そうした面が出てくるのはやむを得ないのです。 そうすると、 どうしても公共的な問題から遠ざかっていくことになります。 また、 コーポラティブのグループもプライベート性が強いでしょう。 ですから、 それぞれの目的に応じたNPOが存在するわけで、 全てのNPOが公共的なものではないと思います。 繰り返しになりますが、 非営利組織を全部まとめて議論の対象にするのは危険だと私は思っています。

司会

 限定された人たちのための空間はすごく増えているのに、 誰にでも開放されている空間は減っているということですね。 平山先生のお考えだと、 無限定に開放されている所こそ公共空間だということですね。

平山

 「いつでも誰でもアクセスできる」が公共空間の定義です。 しかし、 そうしておくと現実にはいろんな摩擦が発生してくるのです。 その辺が難しい。 トンプキンス公園でも、 ホームレス対市役所という単純な構図ではなかったのです。 周辺住民はとにかくホームレスにどいてほしかったし、 公園内でもパンク系のロックグループとホームレスの間に摩擦がありました。 現実問題としては、 どこまで許容できるかということがあると思います。 ただ再開された今の公園を見ると、 ちょっと整理しすぎではないかと思います。

司会

 誰でも受け入れる場所は、 ツーリストにとって危険な場所になりうることがあります。 誰でも行けるはずなのに現実には行きにくい場所になってしまう例がたくさんあり、 それを制限しようという動きが出てくるのは理解できます。 バランス論なのかもしれませんが、 公共空間の扱いは両刃の剣のように思います。

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