司会:
もうひとつ質問をさせて下さい。 平山先生は混沌こそが公共性のベースになるとおっしゃいましたが、 東京・大阪・香港などのアジアの街は混沌性を持っています。 そんなアジアの街の公共空間について、 何かご意見があればお聞かせ下さい。
平山:
確かにアジアの街には混沌性や活力を感じます。 しかし、 最近バンコクに行ってみたら、 ニューヨークと同じような巨大なアトリウムが出来ていました。 今、 アジアの国は都市と農村の対立というステレオタイプな図式を抜けて、 中産階級がかなり伸びてきています。 アトリウムの中にはマクドナルドとブティックが入っていて、 若者はそうした空間を好むという研究者のレポートもあるようです。 マニラでもそんな光景を見ました。 昔ながらのゴチャゴチャした街の中で、 囲まれたアトリウムだけがピカピカと輝いています。 都市に住む若い中産階級はそうした空間が好きみたいです。
グローバリゼーションの中で、 世界中に似たような空間が伝播していく面があるのではないでしょうか。 善し悪しは別として。
司会:
そうすると、 アジアの都市はアメリカを追いかけているということでしょうか。 一方で、 アメリカの都市はいろんな部分があいまいになってアジア的になってきたという印象を受けたのですが。
平山:
例えば、 東京の臨海副都心は隣町よりもバッテリー・パークに近いと思います。 また、 バンコクの巨大なアトリウムは、 その隣にある街よりもニューヨークやロンドンのアトリウムに似ているのです。 都市が隣接する地域とつながっているというより、 隣とは関係なくグローバルなフローでつながっているという感じです。 地理的な近さは関係なくなっています。
司会:
コスモス的な部分がグローバル化しているだけでなくて、 ケイオス的なものもグローバル化しているというわけですね。
グローバリゼーション時代の都市
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