公共空間のありかたについて |
司会:
話題が「公共空間とは何か」に集中したようです。 私も事前に資料を読ませていただいたとき、 資料の「定義・還元・脱臭・滅菌・整理・分類の拒否」と「合意形成の拒否」という言葉が気になりました。 定義の拒否や合意形成の拒否を文字通り受け取ると、 一種の自己矛盾に陥ってしまうのではないかと思ったのです。
おっしゃっておられることの意味は、 競合の空間としていろんな考えを持つ人が安易に妥協するのではなく、 それぞれの領分を守って共存していくことが公共空間のあり方だということではないでしょうか。 そうした行為の中には、 公園の限定された使い方も許容せざるを得ないことも含まれると思います。
いろんな正義が複数存在していて、 矛盾したりぶつかり合いながらひとつの空間を作っていくのが、 ハンナ・アレントの言う公共性ではないかと思います。 その時には、 ある程度のモザイク化は避けられないだろうということでしょうか。
平山:
アレントは「人間は多数だ」と言っています。 「人間は多数であり、 一人一人違う、 しかし共通の空間を持っている。 それがパブリック・スペースだ」というのが私の理解です。 ただアレントに対する批判として「そんな空間はありえない」という指摘があります。 理論としてはある得るのでしょうが、 事実性がないということなんでしょう。
これは、 今おっしゃったように「ある程度のモザイク化は避けられない」という批判だろうと思います。 ただ、 私は事実としてはあり得ないかもしれないけれど、 アレントが書いたことは美しいと思います。
司会:
今日のお話をうかがいながら何となく思ったのですが、 アジアがアメリカ化しつつあるとすれば、 アメリカはアジア的なものに21世紀を託すことになるのかも知れない。 こんな感想で今日のセミナーを締めくくりたいと思います。
平山先生、 長時間にわたりありがとうございました。