会場からのコメント
|
鳴海:
今日の話への質問を受けるべき時間ですが、 なにぶん本で読んだだけですので、 あまりお答えすることが出来ないかもしれません。 ご意見やコメントがあれば、 お聞かせ願えればと思います。
去年、 ワシントンD. C.に近いレストンという新しい開発団地を見に行ったことがあります。 そこの「売り」はダウンタウンのようなメインストリートを作ったことでした。 ただ中低層の田舎町ではなく、 ヨーロッパの中高層の街のような印象でした。 歩道も4〜5mぐらいある広い通りを作っています。
今、 アメリカの中〜東部ではそんなまちづくりがブームになっているという説明を聞きました。 ですから、 田舎志向のまちづくりも都会志向のまちづくりも共にアメリカ人の心をとらえているのだろうと思います。
モエ会長が新しいところにつくるのではなく、 と主張している気持ちは分かりますが、 私の立場から言わせてもらうと、 今の中心市街地に欠けているいろんな努力が、 アメリカの新しいまちづくりに生かされているように思います。 ダウンタウンの再生のためにBIDがいろいろ苦労していますが、 そういった努力にも拘わらず、 投資効果やかけなければならない人材のエネルギーの膨大さを考えると、 郊外で新しい街を作った方がはるかにペイするということです。 商売としてはうまいやり方だと思います。
アメリカのまちづくりについてはよく知っているわけではありませんが、 ロス地震で被害を受けた人口1〜5万人の小さな街のメインストリートの復興事業については少しヒアリング調査をしました。 BID(Business Improvement District)はまちづくりのしくみの1つで、 そこではメインストリート沿道地区の土地所有者が賦課金を負担し、 それを財源として、 地区でまちの安全や清掃、 修景などの事業と予算を決め、 実際の事業はNPOに委託しています。 地域ごとにまちづくりに関わる主体やしくみが多様で、 行政やデベロッパーだけでなく、 地区の組織やNPOなどが、 それぞれの立場で関わっています。
ニューアーバニズムについて感想を言うと、 TODを提唱し、 サスティナブル・コミュニティづくりを進めているカルソープさんが神戸に来られたときに話をしました。 ビレッジホームスにしても、 多くのサスティナブルコミュニティには、 環境意識の高い特定層の人が住んでいるように思ったので、 「あそこにはどんな人たちが住むのか」と聞いたところ、 「ネットワークで生活できる人たちや、 ある程度ソフィスケイトされた人たち」という答えでした。 インテリ層が少々手間がかかっても環境共生型の生活に満足し、 それが地価を上げている。 それではということで職住近接型でしかも職場があるところで生活する「工場で働いている人たちや商店のおばちゃんなど、 ふつうの人は、 サスティナブルコミュニティでは、 どこに住むのですか」と尋ねたところ、 「それが問題なんですよ」ということでした。
環境に配慮した街や、 まちのデザインコードを細かく決めた街には、 そういうことに関心がある層が住んでいて、 その一方には生活環境や景観などのまちのデザインについて厳しい状況にあるインナーシティがある。
そのなかで、 インナーシティ再生のまちづくりの現場でも、 空間形成では、 新しい街づくりと同じコンセプトやデザインコードを適用していることは面白いと思いました。
今日の鳴海先生のお話は、 今年のJUDIセミナーへの問題提起という主旨もあったかと思います。
私は、 アメリカの反スプロール運動のお話をお聞きして、 私が数年前から関わっている富山の中心市街地活性化の話を思い出しました。 アメリカの都市の場合は郊外開発によって都市の真ん中にあった古い良いものが失われていくというのが問題ですが、 日本も一緒で、 郊外に大型店ができることで、 中心の商店街がゴーストタウン化しています。 ですから中心市街地活性化の取り組みは、 まず真っ先に被害を被る商店街の人たちが中心になってやっている場合が多いのです。
しかし、 これからは商店街だけでなく、 実際に生活している住民を巻き込んでいかないと中心市街地活性化は実現しそうにないと私は思っています。 商店街の人だけの視点で考えているだけでは、 住民が郊外の大型店に行ってしまうという現状は変えられそうにありません。 生活者の視点で考える方向にしていかねばならないと思っているところです。 ですから今年は、 いかに生活者、 住民を味方に取り込めるかを考えようと思っています。
今日のアメリカの話はそのためのヒントを与えていただいたと思っています。 ただアメリカの5万ぐらいの都市と、 日本の30万都市である富山市とでは事情も随分違うことですし、 どう生かすかはこれからです。 中心市街地活性化のためには、 住民を巻き込んで住民を味方につけていくことがカギで、 それをしないことにはうまくいかないのだということを学ばせてもらいました。
今日のデザインコードの話は、 昨年に難波さん達が発表した「公共施設が備えるべき要件研究」ととてもよく似ているのですが、 その辺はどう思われますでしょうか。
難波:
都市づくり、 まちづくりの考え方の基本を整理していくということは、 とても重要だと思っています。 いろんな現代的なまちができてきたて、 これからどうするかと考えた時、 単なる思いつきで流行を追ったりしないで、 基本を整理しながら作るべきコードを持つべきだと考えています。
ただ、 考えることと創ることを遊離させると駄目になってしまうと思います。 基本を整理しながら創っていく、 また、 創る中で整理したものを確認していくというふうに、 創ることと整理することがうまくジョイントしなければなりません。
道路づくりというのも、 道路だけができるのではなく、 まちづくりの過程で道路が出来、 道路ができた時には沿道の土地利用なりまちの形態ができているようになるのがいいのではないかと最近思っています。
有光さんから「中心市街地活性化のためには住民を巻き込むことが大切」との指摘がありましたが、 BIDの地区設定をしていくときにも、 住民と商売をしている人では利害が違ってきます。 BIDは、 ある地区の土地所有者(または事業者・住民)の50%以上の賛成で、 BID地区を設定することができます。 エリアが設定されれば、 反対していた人も、 賦課金を負担することになります。 負担は、 地区ごとに決めます。 たいてい固定資産税と一緒に徴収して、 地区の賦課金は全て地区に戻ってきますから、 それを財源として地区独自のまちづくりを進めていきます。 米国のスクールボードと同様、 財源と自治権のあるいエリアの設定が出来るわけです。
サンフランシスコのユニオンスクウェア周辺地区でBIDエリアを設定するとき、 周辺の住宅地にも声をかけて議論していたのですが、 住宅地にどういうメリットがあるのかが問題になってうまく調整できなかったそうです。 住宅地も同じ負担をして、 安全見回りや清掃をしても、 商業者には集客や売り上げの向上といったメリットが大きいが、 住宅地ではどういうメリットが還ってくるのか、 ということです。 結局、 商店地区のBIDとなりました。 アメリカでは、 住宅地でも商店地でも、 ストリートの安全確保や通りの清潔さを向上させることには合意できると思います。 商店地では、 街が魅力的になり人が大勢来くると、 自分の店の売り上げにも還ってきます。 しかし、 住宅地の人びとには直接的な利益ではありません。 その辺が住宅地の人々が合意しにくい点だったのだろうと言えます。
また、 中心市街地活性化では、 メインストリート・プログラムが併用されることが多いです。 これは歴史的環境保全のプログラムであり、 ナショナルトラストによってサポートされているのは、 アメリカの都市のメインストリートは、 その街の唯一の歴史地区であることが多いからです。 歴史へのアメリカ人の思い入れはものすごく強いようです。 50年前のものでも、 とっても大事という感覚です。
ですから、 アメリカではメインストリートの活性化は、 単に地区の活性化だけでなく、 自分たちの歴史を象徴する空間の再生でもあるのです。 その辺の背景が、 日本の中心市街地とは違います。 日本の商店街を核にした中心市街地は、 城下町以来の歴史というよりは、 鉄道ができた後に集積した所も多く、 自分たちの歴史を象徴する空間とは必ずしも言えないように思います。 むしろ都市生活の中心として、 今後の市街地の再編とあわせてとらえていく課題だと思います。
先ほどの吉野さんと有光さんのお話に関連して、 日本の市民参加型まちづくりの事情をお話しさせてもらうと、 日本の場合は一番熱心なのが商店街の人たちです。 そのため、 どちらかというと商店街振興型のまちづくり活動をやっている所が多いのです。
反対に居住者が主体でまちづくりをやっているところでは、 防犯とか交通安全を課題にしているところが多いようです。 ですから、 同じ地区でも商店街がやっているまちづくりと、 住民がやっているまちづくりでは、 必ずしも目的が一致していません。
また、 アメリカの報告を聞いていて新鮮だと思ったことは、 都市の中心部を活性化するのに歴史的な環境に拠り所を求めようとしたことです。 商業者にとっても居住者にとっても歴史的な景観は拠り所になるはずですが、 今の日本の都市で、 そこまで景観の価値を見いだす段階にはまだなっていないと思います。 いかにもアメリカ的な話で面白くうかがいました。
日本の都市のありようを考えてみると、 地方の小さな街に至ってはアメリカ以上に壊れてしまったというのが現状じゃないでしょうか。 まずスーパーが進出して既存の商店街を壊し、 不況になったからと勝手に店を閉めて出ていってしまっています。 だから、 2回にわたって街を壊されたという状況だと私は思っています。 もう少し大きな街になってくると、 マンションの乱立が既存の街を壊しています。
また大きな街になるとメインストリートは一つではなく、 そこからいろんな通りが枝分かれするように広がっています。 これが日本の街の特徴です。 ですから、 中心市街地だけを問題にする姿勢は、 街全体のあり方から考えると間違った方向だと思います。
ただ、 いずれの街も長い歴史を持っているところはアメリカの事情とは全然違うところです。 アメリカとは違うアプローチでないと、 成功しないような気がします。 ただ、 ニューアーバニズムのような手法は、 まだその実態がよく分かりませんが、 これからの新しいまちづくりの構想や方法に役立ちそうな感じはしています。 まだこれから、 いろんなやり方が出てくるんじゃないかと考えています。
どうもありがとうございました。
今日はここに来る前に、 大阪に出来たユニバーサルスタジオを見学してきたのですが、 あそこにできた街並みも古くて新しい「おいしそう」な街並みでした。 やはり、 アメリカ人が行きたい街とは、 あんな感じなんでしょう。 ただアメリカ人が行くのと日本人が行くのとでは、 認識される意味合いが違うのではないかとも思います。
また、 今年のセミナーは都市の「すき間」とか通りの要素の研究でうまくプログラムを組み立てられば面白いんじゃないかと思っています。 ぜひご協力をお願いします。 ではこれで今年最初のセミナーを終わります。
商売として成り立つのは、
吉野:
新しいまちづくり
ニューアーバニズムは
小浦:
大衆向きじゃない?
市街地活性化の成否は
有光:
住民を巻き込めるかどうかで決まる
これからのまちづくりの方向性について
鳴海:
アメリカのメインストリートが抱える二つの意味
小浦:
商店街の立場と街の歴史
住民と商店街はまちづくりの目的が一致しない
堀口:
ニューアーバニズムは
田端:
日本の街にどう生かせるんだろう
最後に
鳴海:
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ