前回のセミナーで、 春日井さんにドイツの話をお聞きしました。 その後春日井さんと一緒に食事をしたときに、 「やっぱりドイツでも食べていくのは大変だ」とおっしゃっていました。 Bプランや環境計画、 景観コントロールの仕事はほとんど来ないので、 実はいわゆる建築設計で食べているそうです。
この分野をマーケットとして仕事にしていくのは、 なかなか大変なことです。 自治体の立場にいると「景観行政担当です」と言えばそれでいけるんですが、 若い人が自分の仕事として一生やってこうと考えたときに、 ふと「どこでペイがもらえるのかな」と思ってしまうでしょう。
万国博覧会が開かれた1970年頃、 私は大学生でした。 彰国社から『都市デザイン』という本もでて、 “都市デザイン”という言葉がかなりでてき始めた時期だと思います。 「都市と建築の両方にかかわることが出来るし、 何となく知的な響きもあるしおもしろそうだ。 都市デザインをやりたい」と思いつつ、 どうやっていったらいいのかと考えていました。 多分、 今の学生さんもどうやって就職しようかと考えているのではないかと思います。
僕自身かなりプロ意識を持ち始めたのは、 22、 3才です。 「これで食っていくんだ」という気になって外国を見に行ったり外国雑誌に目を通すようになった頃から考えると、 あっという間に30年経っていて、 「“青年”老いやすく学なり難し」というのをひしひしと感じます。
「都市環境デザイン」を仕事にする難しさ
都市環境デザインが重要だということは、 誰しもうなずくと思います。 ところが、 学生さんや若い人がそれを仕事にしようとしたとき、 どのようなテーマに取り組んでいったら自分が飯を食っていきながらも面白いことができるのか、 僕は意外とこれが難しいと思っています。
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