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巽橋モンタージュ(Uenodesign)
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京都という町の特性を考えたとき、 原理的な緑としての建築と古くからの町並みとの間に景観上の問題が発生してくると思われます。 京都の町並みの中で緑としての建築をどう評価すべきかという問題がワークショップの中から出てきました。 そこで、 このようなモンタージュをいくつか作り、 それに対してどういう評価が得られるかを検討してみました。 これはその中の一枚です。
手前の伝統的な木造家屋はそのままにして、 後ろに見える真新しい建物だけを緑で覆ってみました。 これがいいか悪いかは様々な見方ができるでしょうが、 緑にはいろいろな時代の建物を親和させていく働きがあることが分かると思います。
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柳馬場通り・十文字町モンタージュ(Uenodesign)
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柳馬場通りです。 錦小路を10mほど北へ上がった十文字町辺りをモンタージュしたものです。 既存の建物の2階以上を全部緑化して、 どんな景色になるかを検証しました。 これを京都の街としてどう評価するかを議論したのですが、 結論を言えば「やりすぎだ」という意見が大勢でした。
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CNマンションよりモンタージュ(Uenodesign)
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二条城の近くの下古城町あたりです。 壁面緑化まではいかないで、 屋上と窓辺だけをモンタージュしてみました。 壁面は何もせずに、 街のスカイラインを作るトップを全部緑化したらどうなるかを考えました。
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姉小路通り・菊屋町モンタージュ(Uenodesign)
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これも議論のための絵とお考え下さい。 ここは比較的小規模な建物が並んでいるケースです。 小さな単位を集積していった時のあり方を考えるためにつくったモンタージュです。
この場合は、 緑化よりもファサードのあり方をどう考えていくかが議論の焦点となりました。 例えば、 緑の連続性を考えて通り庇の上にプランターを置いているのは、 町家の町並みから考えて「もってのほかだ」という意見がかなり出されました。
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姉小路通り・車屋町(Y. Ueno)
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今までお見せしたものは、 既存の京都の町中に緑を入れてみるとどんな景観になるかを議論した際のモンタージュです。 その議論と平行して、 すでに京都の道には緑がたくさんあり、 それをどう見るかを議論しました。
古くからある緑としては、 この写真のようにしもたやの高塀から見える樹木があります。 道には建物の前に植木鉢を置くというものも多く、 すでにいろんな緑が道に露出しています。 それを見ながら、 ではこれからの京都にはどんな緑のあり方が良いのかをスタディしようということになりました。
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祇園・新橋(Y. Ueno)
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ここは巽大明神という神社があり、 その周辺や白川の縁に緑があるという地域です。 今の京都の町中では特異な場所といえるでしょう。 こういう要素によって、 緑が町中に露出し、 緑によって町が分節されていくのが京都にとっては望ましいことではないかと、 私は思っています。
京都における緑としての建築の検討は、 町や道への緑の露出が議論の中心になったのですが、 全体を緑にしなくても要所要所で緑が露出していれば、 露出していない部分とのコントラストで町が美しくなっていく、 ということが明確になってきたと思います。
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祇園町南側(Y. Ueno)
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これも町中で見られる多様な緑のあり方の一例です。 フウセンカズラを軒先まで這わせています。 こんな工夫が京都のあちこちで見られます。
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祇園町南側・歌舞練場南(Y. Ueno)
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同じく祇園で見つけた景色で、 建仁寺の近くの路地です。 路地の両側に植木鉢をズラッと並べており、 これも緑が町中に露出しているケースです。 これはここしかスペースがなかったという事情から、 緑が道に進出してしまったと言えるでしょう。 つまり、 京都の街にも緑に対する欲求があって、 それを満たしていく形が求められているのではないかと思います。
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押小路通・麩屋町(Y. Ueno)
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麩屋町と押小路通りの交差点です。 このようにファサードのほとんどを緑で覆っている建物もあります。 いろいろな形でいろいろな工夫がされて、 町に緑を作り出しています。
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寺町通り二条(Y. Ueno)
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寺町通りと二条通が交差するところにあった建物です。 2階にプランターを並べて緑を見せています。 この向かいにある建物も同じように2階にプランターを並べていて、 3軒連続でこのような光景が見られました。 私は個人的にはこんな緑のあり方も面白いと思います。
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