緑としての建築
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視覚的な「おもてなしの心」としての京都の緑

石本幸良

 

 今、 江川さんが発表されたアーバネックスの問題を、 平成7年からですからもう丸6年タッチしてまいりました。 そしてこの3年ほどでようやく計画が具体化し、 昨日工事説明会が地元で行われました。 9月の末に着工、 約1年間でようやくできるという段階を迎えています。

 「緑としての建築」にコメントすべきなのか、 アーバネックスに対してのコメントをすべきなのかよくわからないのですが、 ただ加茂さんがおっしゃったことに私は非常に共感しております。

姉小路界隈の緑
 例えば、 この写真は姉小路界隈を考える会の事務局長の谷口さんのお宅です。 もともと、 このお家の前に植木鉢が2、 3鉢並んでいました。 なぜこのように緑が出てきたのかというと、 地域の皆さんで「この姉小路通をどうしようか」というワークショップをやったときに、 普通ならば道路を石畳にしようとか、 電柱をなくそうとかという話になるんですが、 ここの皆さんはまず花と緑でおもてなしをしましょうということを決めました。 ですからこれは4年間ずっとやってきたその成果としての植木鉢であると見ていただきたい。

東本願寺周辺の緑
 それからもう一つ、 先週の日曜日に下京区で「下京・町衆フォーラム」を立ち上げました。 その取組テーマの一つとして、 東・西本願寺の周辺を花と緑でいっぱいにしようということを地域の皆さんが半年かけて決められました。 ですから「緑としての建築」なのか、 「まちの緑」なのか、 私には今回のテーマの定義がよくわかりませんが、 少なくとも京都の場合の緑として、 提案されたものに一つだけ付け加えていただきたいのは、 「視覚的なおもてなしの心」です。 そこに、 京都の緑の大きな意味があるということを付け加え、 コメントとします。

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