2001年11月の第9回都市環境デザインフォーラム・関西において、 立命館大学の山崎正史氏は、 「環境共生」の2つの課題として、 「物理的環境の維持」及び「生態系の維持」を指摘し、 「環境共生」は、 都市デザインのあり方そのものに関わる課題であり、 都市デザインは「環境共生」と言う課題の内部的存在である、 と規定した。
今日の我々を取り巻く物理的、 生態的、 社会的環境は、 複合的、 総合的危機に直面していると言ってよく、 特に大都市部においてそれは顕著である。 今日の多くの都市空間は、 無機的で、 乾燥した、 画一的な、 生命感を喪失し、 砂漠化した空間、 風景であり、 見るものに絶えざる不安と緊張感を強いる、 人にとって快適な風景とはとても言いがたいものとなってしまっている。 このような複合的な環境悪化は、 今日の我々の「人間的資質」そのものにまで、 影響を与えているのではないか、 とさえ思われる。 もはや従来型の発想やシステムでは都市環境再生の問題解決はできないことは明らかであり、 よほど楽観的な人でなければ、 従来型のシステムのままで良いとは思わないだろう。 今、 都市計画、 敷地計画、 建築計画、 緑化計画、 コミュニティー計画など様々なレベルで、 このような問題を解く新たなシステムが求められている。 そして「環境共生」はそのような問題を解くための基礎的な視点であると考えられる。
そうした視点に基づいて都市形成に関わる全ての要素のあり方を、 根本的に見直す必要に迫られている。 都市構造といった全体的システムの見直しに止まらず、 当然建築形態といった「部分」のあり方そのものの改変も必要となるはずである。 特に都市の主要な構成要素である建築のあり方を、 都市環境の再生と言う視点から見直す事が不可欠であると考えられる。 なぜならば、 全体的システムの問題として解くことには限界があり、 現実問題として短期間に都市構造がドラスティックに変わることはほとんど期待できないからである。 とするならば個々の部分的構成要素のあり方に、 都市環境再生の役割を求めることは、 現実的な解ということができるだろう。 今、 部分を構成する個々の建築のあり方が問われている(例えば「屋上緑化」を義務づけた東京都条例)。 都市は建築が(再び)環境を内化することを求めている、 という言い方もできるだろう。 このような都市を構成する「部分」のあり方から都市環境を改変してゆくやり方は、 いわば都市環境形成に関わる要素のあり方を決定している「遺伝子」を組替える「遺伝子治療」と考えることができる。
「緑としての建築」は2000年の第7回JUDI関西ゼミで提起した、 都市環境の「遺伝子治療」という考え方を実践に結びつけるための、 「環境共生型」に組替えられた建築的枠組みの提案である。
1.なぜ「緑としての建築」か
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