「緑としての建築」はその構成要素である植物の持つ「親和力」により、 都市景観にも大きな役割を果たすものと考えられる。 今日多くの都市で景観の混乱が生じており、 わが国の都市の魅力を損なわせている大きな原因となっている。 その背景には、 共有された街あるいは家のイメージの喪失がある。 このような「文化」共有の崩壊という状況の中で、 環境という問題の共有による景観再生の道があるのではないかと考えられる。 「緑としての建築」は環境とのインターフェースとして、 緑が外側に「露出」することによって、 例えば道路からの景観等に大きな影響を与える事となる。 外から、 あるいは道から見える緑が、 街に生命感を持った快適性を生み出す。 また植物の持つ親和性により、 異なったデザインの直接的ぶつかり合いを緩和し、 新しい建築が出来ることにより、 街に新たな景観要素がまた一つ増えるという事ではなく、 新旧の建物が緑と言う「中立的」な表現を介することによって、 (景観的に)共存し易くなると考えられる。 また、 「環境」といういわば選択の余地のない、 共通項によって支えられた「緑」という共通要素を全ての建物が持つことにより、 「緑」は多様なデザインを包括する「スペースモデュレーター」として、 景観の多様の中の統一と言う課題に応えるものと期待される。 都市環境再生という今日的課題に直面せざるをえないことは、 京都もまた例外ではなく、 京都の町並みも変容を求められている。 このような「緑としての建築」という可能性は、 おそらく京都のような歴史的町並みを持つ都市においても有効であると思われる。 「緑としての建築」は、 一般的な「敷地緑化」とは異なり、 建物そのものが緑を内包することにより、 それぞれの都市の町並みの特性を生かしながら、 街に緑をもたらす事ができるはずである。
「緑としての建築」は都市環境再生という課題に応え、 「緑」および「緑がつれてくる」様々な自然的要素によって、 我々が求めている都市空間の豊かさ、 快適さ、 美しさをもたらしてくれるものと期待される。 無論「緑」がオールマイティーであるわけではなく、 また「緑としての建築」によって、 全ての問題が解決されるものではないことはいうまでもない。 「緑としてに建築」と都市構造等の見直しは再生のための車の両輪であり、 両者がうまくかみ合うことによって、 より大きな成果が得られるはずである。
3.「緑としての建築」と都市景観
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