緑としての建築
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都市政策からみた
「緑としての建築」

学芸出版社編集部 前田裕資

 

 世界の都市政策で話題になっていることの一つに「持続可能な都市」がある。 その具体的な方策の一つとしてあげられているのがコンパクトシティだが、 都心居住などにより都市を高密化すると、 地球環境にはやさしいかもしれないが、 生活・仕事環境が悪化するのではないかとの懸念もある。

 日本でも、 同様の動きは見られる。 なんと10人のうち9人もが支持している小泉内閣の金看板「経済財政・構造改革の基本方針」を見てみると、 「将来にわたってのびのびと働き生活出来る基盤」をめざし「多機能高層都市プログラムの推進により職住近接を可能とする」とあり、 一方、 地方都市においては「個性ある活性化・まちづくり」がうたわれている。

 小泉氏はお金のかからない景気対策として容積率等の規制緩和をあげていたし、 この基本方針を策定したグループと親しい森ビルは、 超高層ビルによる再開発を「コンパクトシティ」としてと打ち出しているので、 彼らが目指すところは明らかだ。

 京都でも、 このような動きに呼応したのか、 都心居住をうたったマンションが盛んに供給されている。 そのなかでも東西50mを越える11階建ての壁マンションをつくっているA建設は、 生活破壊を理由に詰め寄る住民にたいして、 「容積400%を活用するのはお上のご意向で、 国民の義務」と言わんばかりの対応をしたと報道された。

 別に400%を使い切れと行政が言っているわけではないとの話もあるが、 上記の文脈に照らしてみれば、 あながちそうも言えない。 なにしろ国民の90%が支持している改革は、 確かに規制緩和と高層都市を目指しているのである(注1)。

 とはいえ、 たとえ景気対策になろうと、 あるいは地球環境にやさしかろうと、 生活・仕事環境を犠牲にして良いとも思えない(注2)。 このあたりが私が10%の少数派にあえてとどまる理由だが、 だからといってゼロ回答ではまずいだろう。 都心に住んでいる土地持ちは、 かつて都市周辺の農家がそうであったように、 何の負担もなしに都心の快適さを独占してきたとやっかまれている。 新参者でもようやく手が届くようになったマンションに、 ケチをつけていると思われている面もありそうだ。

 やはりここは正面から、 生活・仕事環境にもやさしい都心回帰・都心居住をどうすれば実現できるのかに答えなければならない。

 たとえば、 上記の壁マンションに代表される京都の開発の問題点は二つに集約される。 一つは周辺の環境を犠牲にしていることであり、 二つは自らと同種の建物が集積していったとき、 窒息死してしまうような環境であることだ(注3)。

 実はこの二つは似たような話で、 要するに都心の壁マンションが成り立つのは、 周辺が低層だからであり、 周辺環境を収奪することによって成り立っているのである。 だから、 もし南側に同じような壁マンションが建とうものなら、 どうしようもなくなる。 これでは持続可能とは言えないし、 長い目で見れば開発の可能性を自ら摘み取っているとすら言える。

 言い換えれば、 求められるのは周辺の環境を収奪せず、 持続的に更新してゆける都心居住のハードとは何か?である。

 ここに「緑としての建築」という考え方が注目される理由がある。

 かつて町家は、 坪庭、 裏庭等で自らの環境をコントロールし、 都市のなかでもそれなりに過ごしやすい環境をつくっていたという(注3)。 そして町家が集積しても、 坪庭や裏庭が連なり、 風が通るシステムになっていたという。

 「緑としての建築」も、 都心においても自ら環境をコントロールでき、 かつ連なることによって、 より有効になるようなシステムであらねばならない。 また地球環境からの要請や、 人々の現実の都心回帰願望に答えられるよう、 適度な密度を適度な価格で実現でき、 かつ出来れば建設産業の持続にも貢献でき、 京都の歴史・文化の表出である町並みとも親和的であればいうことはない(注4)。

 虫の良い話だが、 ひょっとしたらそうしたことが実現可能かと思わせてくれるのが「緑としての建築」の考え方である。

 そういう意味で、 上野氏の問題提起が、 より具体的な提案に繋がることを期待する。

 私は緑にも環境にも素人なので難しいことは分からないが、 「周辺環境を収奪しない」ということの指標として、 たとえば「冷房ナシで暮らせる」(注5)は使えないだろうか。

 上野氏の提案が、 形になったときに、 そのマンションの人も、 周辺の低層の町家の人たちも、 本当に冷房ナシで暮らせるか。 さらに上野型マンションが集積していったら、 ますます冷房ナシで暮らしやすくなるか、 セミナーでの議論が待ち遠しい。

注1)なにも森ビルが壁マンションを推進しているという訳ではない。 彼らは竹中のような経済学者よりはまともである。

注2)私は規制緩和による高層高密都市が、 長期的な意味で経済的に有利とも思わないし、 地球環境にやさしいとも思わないが、 ここではあえて触れない。

注3)夏は涼しいと聞くが、 冬は寒すぎるとの話もある。 環境にはやさしいが人間には厳しい!?
注4)超高層では京都の地元建設産業の持続には役立たないだろう。 適度な規模の開発がボチボチ続くのが理想だ。

注5)冷房負荷自体はそれほど大きなものではないという話もあるが、 どうも生理的に嫌いなのだ。 誰かが書いていたが、 冷房病はよく聞くが、 暖房病は存在しないのだ。 また電力のピークカットの意味は大きい。

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