質疑応答
|
店舗付き集合住宅の店舗と住宅の関係は「職住近接」だったのですか。
岡:
基本的には下で働いている人が上に住んでいた感じです。 併存住宅を建てた建築家に聞いたところ、 下の店舗で働く人が払える家賃で上の住宅を貸し出せるような建物を目指したそうです。
公団や市の供給公社などの公的セクターが住宅部分をつくった併存住宅の中で、 住宅部分の一部が下の事業所の社宅として利用されていたものもありました。 後に下の事業所が衰えて従業員が減り、 社宅利用されなくなったものも随分あります。
鳴海:
お話の中で、 外車のショウルームが1階にあって上に誰も住んでいない併存住宅がありましたが、 上はオフィスとして利用されているのですか。
岡:
空き家です。 3階以上に上がるための入口が見つからない状態です。
これは公団が建てた建物ですが、 持ち主に返されています。 1階と2階のショウルームはBMWが入っていて、 1階から2階にあがる螺旋階段がきれいな建物です。
前田:
いずれ解体するつもりで閉鎖しているんでしょうか。
岡:
分かりませんが、 建物の表側から1mくらい奥まできれいに白く塗ってあって、 解体する雰囲気はありませんでした。
当初は1期工事と2期工事が計画されていて裏側に同じものが建つはずでしたが、 2期工事は頓挫して現状になっています。 裏側は自動車工場です。併存住宅の店舗部分と住宅部分の関係
難波:
図46 西難波住宅 |
昔は高層建築物を建てるのに非常にお金がかかったので、 ある程度以上の高さの建物は採算を度外視して一生懸命に考えられて作られていました。 ところが高層建築の技術が進歩してコストダウンするとともに、 建築基準法の大改正で容積率と建坪率のボリュームの中で建物を考えるようになると、 誰でも同じような形に建てるようになりました。 制限も厳しいので、 いろいろ考える余裕がなくなったのではないかと思います。
ニュータウンができる前で公団の団地型がなかったときですから、 一般的な集合住宅の住戸プランがなく、 住戸は田の字型の間取りだったり、 畳敷き廊下だったり、 書斎やサンルームなど今では使われない名称の部屋があって、 魅力的な建物でした。
増永:
私も同じような悩みを持っています。 1980年代以前はかなり多様な住戸プランが作られていたのですが、 この20年ほどはバリアフリーや景気の問題があって、 ほとんどが中高層の片廊下型にワンパターン化しています。 これは賃貸も分譲も一緒です。
ところで1980年代以降の民間集合住宅について何か調べられましたことがあれば、 教えてください。
岡:
1980年代に大量に建った集合住宅については、 ファサードの調査をしました。
集合住宅のファサードは、 10年ごとに大きな違いが見られます。 1970年代の集合住宅は全体的に壁型で、 1980年代は中が丸見えのバルコニーが周囲をまわっていたり、 上の部分が斜線制限で切れているものが多くなります。 1990年代になると後退すれば斜線制限を受けなくなるので、 上まで垂直に立って頭に様々な形の飾りがつくようになります。
店舗付き集合住宅は、 市街地を構成するものとして都市との関係をしっかり作っているところが面白いと思います。
1980年以降のマンションは、 セットバックしたり足下が駐車場になっています。 街を歩いている人にとっては、 道路沿いにお店があるのと駐車場があるのとでは、 ものすごく違います。
しかし、 集合住宅の足下に小さな店舗や事業所がずらっと並んで成立するかどうかが問題です。 それらが消えてきているということは、 成立する条件がなくなってきているということです。 大きなスーパーやコンビニに仕事を取られていると思います。
店舗付き集合住宅を広めていくとすれば、 足下にどのような店舗を入れたら上手くいくかという話がないと、 作り手も乗ってきません。 そのことについての見通しがあれば、 お願いします。
岡:
一番始めにインスラとドムス、 そして大阪の町家を説明しました。 今、 あの大阪の町家が徐々にインスラとドムスになってきていると思います。 土地を持っている人は安穏と良いところに暮らしていて、 土地やお金のない人の住まいには無関心という状態です。 みんながこう思ってしまってたら、 どうしようもなくなると思います。
集合住宅にどっぷりと住んでいる人は、 周りのことを知らないということが調査で明らかになっています。 併存住宅の上に住む人が増えても、 その人達が遠くに仕事にいく場合、 併存住宅の成立は難しくなると思います。 そこに住むことだけが重要ではなく、 そこに仕事を持って暮らしていることが大切です。
街の中で最も可能性がある店舗が飲食店だと思います。 上に暮らしている人達がご飯を食べに行って下の店を支える、 そして街に活気が生まれるという関係が大切だと思います。
調査によると、 1990年以降の集合住宅はほとんど下に店舗がありません。
住民が下階に店舗が入ることを嫌がるのも理由の一つですが、 やはり建築基準法の駐車場附置義務が問題だと思います。 小さな敷地で集合住宅を建てようとすると、 どうしても1階が駐車場になってしまいます。
昔に建った集合住宅は、 大きな敷地の手前に住宅が建ってその中を通り抜けて後ろの駐車場に行ったのですが、 今は間口に対して縦に住宅が建って、 間口から奥に向かって駐車場がまっすぐに出来ます。 つまり「建物−駐車場−建物」という並びになります。 このタイプの配置は1990年代以降の集合住宅で多く、 駐車場の附置義務は相当問題をはらんでいると思います。
もう一つの理由は、 バルコニーを表に見せないようにする傾向です。 駐車場にバルコニーを向けて建物を建てると、 建物が道に沿わずに奥に向かって建つので、 都合がいいわけです。
都心居住をテーマにしたJUDIのファーラムがもうすぐ船場で行われます。 船場の土地はみんな小さく、 これから合筆で大きくなる可能性がない今、 どのような建物を船場に建てたらいいかが重要です。
これは都心居住と深い関わりがあります。 仕事をしている人ほど良い建物で仕事したいというニーズがあり、 住まいと両方の役割を兼ねなければいけないのは難しい問題もありますが、 変な建物が建っても誰も住んでくれません。
最大の問題は駐車場です。 大阪市も認識しているのですが、 現行の制度を変えるまではまだ時間がかかりそうです。 しばらくは縦に長い「建物−駐車場−建物」型の建物が建つと思います。
店舗付き集合住宅を街に成立させる条件
田端:
船場の建築と都心居住
鳴海:
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ