生きた公共空間、生き生きとした公共空間
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道路を人間の手に取り戻す

 

 今日は昨年JUDIで行った公共空間利用実態調査の事例を中心にご紹介しながら、 私たちの研究室でのオープンスペースについての研究や、 その視点についてもお話したいと思っています。

 また、 最近は「住民参加」や「まちづくり」という言葉をよく耳にするように、 今まで行政に任せきりにしていた部分にまで市民が進出するようになり「公と私の境」が非常にあいまいな時代になってきています。 その「公と私の境目」あたりについて、 特に空間的な側面からお話ししたいと思います。


「生きた公共空間」と「生き生きとした公共空間」

 本日のタイトルに関して、 事務局の前田さんから「生きた公共空間」と「生き生きとした公共空間」とを二つ並べる必要があるのか?、 という質問がありました。

 「生きた公共空間」というのは空間そのものが生きているか、 ということです。 英語で「死んでいる空間」のことを“Lost Space”と呼びますが、 これはそれとは逆に「空間が死なずにきちんと活用されている」という意味の言葉です。

 また「生き生きとした公共空間」というのは、 その空間の利用効率やアクティビティを表しています。 住民や市民のニーズに応えて「生き生きと使われているかどうか」という意味です。


公共空間が注目を集めた時代

 昨年JUDIに公共空間の利用実態についての調査依頼が来る以前から、 私たちの研究室では公共空間やオープンスペースについて着目してきましたが、 実は、 今から30年ぐらい前に「公共空間」がかなり注目された時代があったのです。

 「歩行者天国」が1969年に旭川で始まり、 その翌年に東京の銀座・池袋・新宿でも実施されて以来、 「道路を人間の手に取り戻そう」というブームが起こりました。

 この頃は年間交通事故死者数が16,765人(1970年)と、 今の1.5倍以上もあるという時代背景もありました。 幹線道路などの道路交通網が現在のように整備されておらず、 それまで生活空間だった路地裏のような所にどんどん車が入ってきて事故が沢山発生したのです。

 京都の都心では生活道路に通過交通が入ってくるような状態は今も続いているのではないかと思います。

 この「歩行者天国」を契機にしながら、 その後、 都市デザインのなかで同様の試みが行なわれるようになってきました。

 イセザキモールを代表とする「モール」という形で、 歩行者の専用空間を創る動きです。

 歩行者天国については、 その後大阪キタでもナビオの横で開設されたのですが、 全国的に、 自動車交通の妨げになるということで、 時代と共に無くなってしまいました。 その一方で、 専用空間として創られた所は残っていきました。

 このような流れの中で、 最近で再び、 広島や横浜、 大阪などで、 道路空間を使ってオープンカフェなどをやろうという試みがあちこちで始まってきたのです。

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