都市再生のアメリカの動向
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質疑応答

 

 

ロバータ氏の考え方はアメリカではどういう位置づけなのか

鳴海

 今日はアメリカのまちづくりのひとつの流れとして、 このテキストを紹介しました。 我々はこれをどう理解するべきか。 まずは井口さんに口火を切ってもらいましょう。

井口

 ロバータ・グラッツさんとノーマン・ミンツさんの名前は今日はじめて聞きましたが、 彼らの主張にはとても興味があり、 今日の話は面白くうかがいました。 彼らの言うことを私が率先してやりたいし、 まちづくりがそうあって欲しいと望むところです。

 日本でもヨーロッパでも同じような問題意識はあります。 「かつては良いまちだったのにそうじゃなくなったから問題なんだ」ということなんですが、 単純に言ってしまえば「昔は良かったね」「我々は近代都市計画で失敗したんじゃないか」「特にモータリゼーションで失敗した」という反省点に立って、 「昔に戻れないか」「昔の良さを取り戻せないか」という方向になっているということだろうと思います。

 しかし、 考えてみると「失敗した状態」になってしまったのは、 アメリカのまちづくりを取り入れてしまったからです。 世界中の町がアメリカナイズされてしまいました。

 ところが、 アメリカに行って感じる限り、 一般のアメリカ人はそうしたまちづくりに何の疑問も持ってないように思いました。 ロバータ・グラッツさんがそうしたまちづくりと正反対の主張をされていますが、 どういう立場の人なのかが疑問です。 きわめて少数派の人たちじゃないでしょうか。 お話をうかがいながら、 そのあたりが気にかかりました。

 アメリカではロバータさんの主張は前衛なのかもしれませんが、 我々にとっては当たり前の考え方で、 こんな風なまちになってしまったのはそもそもアメリカ人のせいでしょという気がするんです。 ロバータさん達のアメリカの中での位置づけがどうなのかを知りたいのですが。

鳴海

 私もアメリカに行っていないのでよく分からないのです。 アメリカをよくご存じの方に答えていただきましょう。


ニューアーバニズムの都市に普通の人は住めない?

小浦

 グラッツさんは以前「メディアは間違えてニューアーバニズムを伝えている」と語っていたことがありますが、 私はきっとメディアが間違えて伝えていることを信じている一人なのかもしれません。

 質問のお答えになるかどうか分かりませんが、 今日のお話について2点ほど私が感じていることをお話ししようと思います。

 サステイナブル・シティ、 サステイナブル・コミュニティの推進者の一人であるカルソープさんが来日したとき、 お話しする機会があって「カルフォルニアでいくつか作られている環境共生型の都市には、 どんな人が住んでいるのですか」と尋ねたことがあります。 そのときの答えは、 いわゆるインテリ層、 弁護士やディーラー、 教師だということでした。

 環境共生型の都市は今ものすごく価値が上がっていて、 高額所得者でないと買えなくなっているんです。 ですから「じゃあ、 普通の人はどこに住むのですか」と聞くと、 「それが問題なんですよ」と言われました。 ソフィストケートされた環境共生都市ですが、 その都市の中にはパン屋さんや肉屋さんなど昔ながらの都市を支える人たちの家がないのです。

 私はニューアーバニズムやサステイナブルシティの全体像はまだ理解できていないのかもしれませんが、 昔ながらの歩ける都市を造ろう、 環境とも共生しなくてはいけない、 それが新しい都市のあり方だと言われますが、 これはコンセプチュアルに始まった都市で、 プロジェクトタイプの都市と同じように作られた都市ではないかと思いました。

 もうひとつの例として出ていたSOHOですが、 私はSOHOの変化はジェントリフィケーションの最たる事例だととらえています。 少なくともニューヨークのSOHOについてはそう言えるでしょう。

 しかもシリコン・アレーのアーティストセンターも市がかなりの補助をした形で進んでいるわけですし、 BIDも含めて事業者が主体になる新しい進め方だと言われていますが、 むしろBIDであればニューヨークよりも普通の町のメインストリートプログラムの方が、 歴史的な背景を持つストリートを再生する新しい進め方のように思われます。

 アメリカの町は50年も経つと、 「とても歴史的」という感覚なんです。 ニューヨークでランドマークの議論をしていても、 私から見ると「えっ、 これが歴史的? これをやるの?」という話がけっこう出てきます。 ダウンタウンというのはどんな小さな町のダウンタウンであっても、 その町に住む人にとっては一番歴史的な場所で心のふるさとといった感じです。 そういった場所に対するメインストリートプログラムの仕組みは、 どちらかというと民間助成に支えられてダウンタウンの人たちが中心になってビジネス・インプルーブメントの指定を受けて、 スモールビジネスで少しずつ町を作り変えていくという中身になっています。 そんな動きがアメリカの普通の町で出てきています。

 今日の話はほとんどがニューヨークの例でしたが、 ニューヨークの中でも多分そんな動きが部分的にはあるのでしょうが、 この10年はむしろクリーン・アップされる方向のように私は感じています。 ただ私はここ10年ほど行っていないので、 実際に行ってみないことには分からないとは思います。

 アメリカの最近のまちづくりは「計画的じゃないまち」を計画的にやっていくまちづくりと、 地域の人たちがボトムアップ的に動いているまちづくりの両方が共存している状況ではないかと感じています。 ただ今日紹介された例、 トラベッカ、 シリコンアレー、 SOHOにしても、 それが本当に今のニューヨークなのかなという疑問は感じました。


時代的、 歴史的背景を見て評価することが必要

角野

 主張のひとつひとつは「それはそうだね」と共感することばかりです。 僕らも同じようなことを考えたり言ったりしがちなのですが、 全部を通して聞いてみるとちょっとマズイという気になりました。

 例えば「都市の変化の自然なプロセスをたどることが大事」だとして、 プロジェクト型やテーマパークのコピーを批判しています。 また、 市場のようなスタイルが良くて、 アイランド型のショッピングセンターを良くないとしています。 最後にはプロジェクトプランの方式ではなく、 「育む都市」が良いと言い切りました。

 言われてみるとその通りなんでしょうが、 しかし「都市の変化の自然なプロセス」や「歴史的なストック」を大事にするというとき、 一体どの部分を指して大事にせよと言っているのでしょうか。 都合の良いところだけをとりあげているのに過ぎないのではと、 疑問を持ってしまいます。 「自然なプロセス」と言うんならモータリゼーションもそうで、 それが不自然なプロセスだったと言えるんでしょうか。 そのあたりの冷静な評価をしないまま私自身も思い込みで似たようなことを言ったりしてこなかっただろうかと反省しております。

 おそらく、 時代の政治的な背景や経済的な背景をもう少し冷静に見ておく必要があるのでしょう。 1960年代のアメリカはベトナム戦争の影響が大きくて、 反戦を訴えていた人たちがニューヨークのSOHOあたりにこもってカンターカルチャーを作り始めたという経緯があります。 それから1990年代に入る前のアメリカはとても景気が悪い時でしたから、 SOHO的なものやニューアーバニズムが起こってきたのはひょっとしたら必然だったのかもしれません。 今の日本のまちづくりプロジェクトの変化に置き換えてみると、 ビッグプロジェクトだともてはやされたものも、 それぞれの時代の必然や自然なプロセスだったのかもしれないと思いました。

 筆者はジャーナリストだから「自然なプロセスを大事に」と言うのでしょうが、 私はプランナーは自然なプロセスにまかせるんじゃなくて、 むしろ計画的な作為を気合いを入れて考えなければならないように思います。

 ロバータさんが言うところのプロジェクト型は閉鎖的な事業スキームなんです。 いつまでにこれだけの予算でどれだけのエリアにどれだけの床を開発してどう埋めるか、 それで何年かかりで事業収支はどうなるかというものです。 プロジェクト型は時間的にも空間的にも閉鎖した事業スキームを立ててきたわけです。 それに対してマーケット型や「育む」と言ったりするものは、 事業スキームを良い意味で延ばしたり、 ごまかしたりすることで計画進行の柔軟性を作ってきているのかなというのが僕の感想です。

 もうひとつ思うことですが、 エンタープライズゾーン的な話を彼女はどう理解するのだろうと思いました。 都市がどんどん疲弊していく時のカンフル剤はここでは位置づけられていないと思っております。


日本で行われるイベント、 アトラクション、 容積について

森山(IAO竹田設計)

 最近町の中で行われている「開発」という名前のたくさんの出来事は、 何かおかしい、 何か違っているんじゃないだろうかと思うことがよくあります。 それは、 大きなものとしては、 イベント、 アトラクション、 容積のことです。

 イベントはオリンピックに代表されるもの、 アトラクションとはUSJに代表されるもの、 容積とはオフィスビルでもいいんですが、 たとえばSOHO住宅をつくりましょうなどといってまず、 はやりの企画モノのハコを作ってしまおうとする発想です。

 そういうものを自分たちが開発したり設計したりしなければいけなくなったとき、 自分の中ではどうもおかしいと違和感を感じてしまうことがあります。 どうしてなのかをなかなか説明できなかったのですが、 今日お話を聞いていて、 ひとつその答えを見つけたように思いました。 簡単に言うとそれらのイベント、 アトラクション、 容積は根が生えていないからだと自分の中では確認できました。 つまり、 自分たちの街の差異(ディフェレンス)を見つめて生まれてきたものじゃないということです。 自分たちの街の何処がほかの街と違っているのか、 どこに違いをつくっていくかということがとても大切です。

 アメリカの場合、 今まで行われてきた歴史性があまり感じられない開発やそれに対する反省は、 国や文化としてアメリカ以上に歴史ある日本の状況のそれと比べると、 今の僕にとってはどちらも正しいことのような気がします。

 アメリカにおいて、 比較的浅い歴史をむしろディフェレンスと捉えて、 あえて根の生えていない開発をすることが正しいと言うことも出来るでしょうし、 それに対して、 それはやはりおかしいという見方をする人々がいるというのも素敵なことだと思います。

 アメリカより一層深い歴史がある日本では、 それに比べれば自分たちの歴史や文化に根ざしたものを追い求めていく必要があることは自明のような気がするのに、 浅く根の浅い開発しかしていないということを我々はもっと自覚するべきだと思いました。


組織の立場から見てみる

岸田(環境開発)

 今日の話は「そうだ」と思える話が多かったと思います。 SOHOの話は割と大阪の御堂筋や南船場に当てはまる話だとか、 歴史的建築物の話は神戸の元町のイメージだなと思いつつ聞いていました。

 ただ最初にこういう話を自分たちの仕事として考える場合、 どう捉えればいいかという問いかけがありましたので、 その視点からの感想を述べようと思います。

 仕事をする立場から思うのは、 アメリカでもこういうことを言っている人は少数派で、 大多数はプロジェクト型をやっているんじゃないだろうかいうことです。 こういうことを言っている人は日本にもいますが少数派です。 何故かというと、 今日の話は「個性を生かす、 育てる」などマンツーマンのつきあいから作られていく都市の話が多かったのですが、 組織の中で働いていると、 それは現実にはなかなか難しいことだからです。

 大組織の仕事は意志決定の仕組みなど複雑なプロセスがあり、 仕事相手も結局大組織になってしまいます。 大きなゼネコンが大きなディベロッパーと一緒に仕事をするスタイルは、 世の中がどんなに変化しようと絶対になくならないだろうし、 その方向で頑張っていかざるを得ないだろうと思います。 旧来の大きな組織の人たちはここ数年負け組みを続けていますが、 その結果どうなっているかと言えば、 生き残りのために合併してますます大きな組織になっているのが現実です。

 そんな状況の中で、 このような共感できる話をどう実現させていくかというと、 例えば大きなショッピングセンターの中に対面販売の要素を取り入れるためにラーメン博物館や江戸の町のような環境模写型のものを作ってみたり、 デパートの地下で対面型販売を企画したりすること、 その辺が組織ができる限界ではないかと思います。

 売る立場の人にとってはフェスティバルマーケットプレイスのようなものはとてもありがたくて、 ああいうにぎわいを作れることが分かると、 組織の人は構成がしやすいので皆で飛びつきます。 今、 流行っているアウトレットの店なんかも同じことだと思います。

 望ましい姿はロバータさんが主張されていることなのでしょうが、 出来上がってくる形はそういうものしかできないという限界を感じます。

 おそらく本当に著者の主張通りのことが実現できる人っていうのは、 一人で頑張って仕事をしている人とか、 草の根的にやっているところじゃないか、 結局少数派ではないかなどと感じながら聞いていました。


現場の仕事から見ての感想

会場から(団地の建替、 再生の現場で仕事をしている人)

 ジェイコブスの本を20年前に読んで以来、 今日のお話に出た考え方でずっと仕事をしてきました。 しかし、 どうも現実のありかはロバート・オーウェンうやJ・ジェイコブスの思想とはずっと隔たりがあるような気がしています。

 今日のお話も世の中の状況を人間論的に捉えて問題を発するという構造では20年前と全然変わっていません。 その点では意外だと驚きを感じました。 最後の方で、 プロジェクト型の仕事の仕方が列記されていましたが、 現実にプロジェクト型の現場ではそんな発想で仕事をしている人は一人もいないと思います。

 例えば、 車の排除について言うと、 団地建替で駐車場を立体化して広場をたくさん作るよりは、 駐車場もありようによっては団地のアクティビティのひとつの要素ではないかと思ったりもします。 現実は本で書かれているよりも、 もっと複雑な要素であふれていると思える場面が多々ありますので、 ジェイコブス的な世界が本当に人間にとって良いとは言い切れないのではないかと思います。

 実際の仕事の現場では、 そうした理想をひとつずつ相手に証明しなくてはいけない状況があり、 実現するための難しさはずっと変わっていません。 そういう体験から申し上げると、 今日の著者の主張は極端に言うと「楽観的だ」という気がしました。


ビジネスと都市のあり方について

小浦

 今日はいろんな話がうかがえましたが、 今私が考えようとしていることで二つほど面白い疑問が出てきました。

 ひとつは都市はどうやって稼ぐのか、 ということです。 大きなビジネスで稼ぐのか、 小さなビジネスでやっていくのか。 そのビジネスはどうやって生み出していくのか。 都市の稼ぎ方が都市の形に影響してくるだろうと思います。 このことを最近考えていましたので、 都市のビジネスのあり方が頭にひっかかっています。

 もうひとつは、 都市のスペースの担い手がどんどん入れ替わっていくシステムについてです。 都市というのはそういう入れ替わりが必要だと思うのですが、 今はそれが停滞しています。 ですからどうやったら入れ替わりが可能になる仕組みが都市計画に取り入れられるか、 またその市場をどう作るかが課題になるのではないかと考えています。

 それらが、 都市のあり方として今日聞いた中では一番気になりました。 皆さんがデザインをされるとき、 そういったビジネスのあり方はどう考えているのかを聞いてみたいと思います。


製造業を支える都市計画がないのでは?

土井(千里財団)

 今、 小浦さんが言われたことと関係があるのですが、 私からも都市とビジネスについてひとこと。

 都市で稼ぐ仕事としては、 第3次産業、 サービス業が多いのですが、 実は製造業もものすごく多いのです。 大阪も平野区だけでも3千ぐらいの町工場があります。 そのほとんどが中小企業です。 しかし、 統計の数字ぐらいしかみなさん知らなくて、 その一軒一軒が何をやっているかは経済局や計画調整局の人間も知らず、 製造業に目を向けてないのが現状です。

 都市のビジネスというと、 ついみなさん集客産業やサービス産業に目を向けてしまいがちなのですが、 製造業こそが外からお金を持ってくる力を持っていることを忘れないでほしいと思うのです。 一昨年から、 製造業の実態を把握するために調べまくったことがあるのですが、 不況だと言われている割にはけっこう元気な企業がいっぱいありました。

 で、 ここからが都市のあり方と製造業についてです。

 製造業の人たちで、 大阪府・市がつくる工業団地に入ろうとしない人たちが大勢います。 何故かというと、 すでに今の立地の回りにネットワークが出来ているからなんです。 工場の回りには働いている人たちが住んでいて、 自転車で通える所でないとダメだと言うんです。 そういう人たちが地域に密着して、 お互いに仕事を回し合ったりしています(これを「横受け」と言います)。

 そういう製造業の町のあり方に対して、 都市計画は何ができるか。 すぐに規制を緩和して容積率を上げることが「支援です」ということになるのですが、 そうするとどんどん地価が上がり住宅地に変わってしまうのが現状です。 工場の近くに住宅が増えると、 住民から工場の騒音などの環境が問題視され、 どうも製造業を都市の中に残す方向には行っていません。

 では製造業の人たちが都市に求めているのは何でしょう。 普通都市のアメニティとは公園や水辺・緑ですが、 製造業の人たちにとってのアメニティは同業者が集まれる場所や小規模でいいから作ったものを仕分けられる場所だと言います。 都市のアメニティも関わる産業や立場・場所によって求められるものが違うのです。

 そして、 そういう働く人たちに必要なものがあることこそが、 ジェイコブス的世界を支えるものじゃないかと感じました。 今の都市政策が彼らに何もしてあげられないことがつらいと思いました。 今日のお話もいいお話でしたが、 そういったことを根付かせて働く人たちを定着させる方法が見つからないと思いました。 どうも住む人と商業に対しては手はあるけれども、 製造業や雇用を守る場所としての都市のあり方が見えませんでした。

 最後に一言。 「都市再生」という言葉で発想が広がりましたが、 小泉内閣で言われている都市再生策は本当に都市再生に結びつくのかという気がします。 大きなプロジェクト実現だけでなく産業の再生が同時にないと、 本当の都市再生には結びつかないでしょう。 「いかに都市に物人や産業を集積していくか」という視点から、 産業の再生に都市計画が手伝えることを考えてみたいと思いました。


締めくくり

鳴海

 みなさん、 どうもありがとうございました。 みなさんが言われた感想は、 私も感じていたことの一部でもあります。 ダウンタウンの再生に取り組むに当たって、 このような文脈をもった主張に沿ってやらないといけない地区もあります。 そういう地区では「これが正しいと信じてやりましょう」と行動しているグループが存在しているわけです。 大体NPO的な組織がやっているのですが、 役所の方もこういう考え方に沿って取り組まなければならないと認識する傾向にあり、 地区と行政の両方からの歩み寄りが見られます。 行政が地区にアドバイザーを派遣するやり方から、 役所がNPOをサポートするやり方に進んできて、 役所内から外に向かう地区活動の機関が生まれているのが最近の傾向です。 いろんな地域で見られます。

 つい2週間ほど前の国際セミナーではロサンジェルスの先生を呼んだのですが、 その人がやっているのもそうしたプロジェクトでした。 中でも「住民にとにかくものを言わせることだ」とおっしゃっていたのが印象的で、 住民から出されたニーズが700項目ほどにまとめることができたといいます。 それを実行可能なものからやっていく、 整理して「やれるところからやっていく」という方法が取られたそうです。 それが普通のやり方になってきているようです。

 私が気になったことを最後にあげておきます。

 土井さんのお話にあった大阪市の経済担当局だけでなく、 ニューヨーク市の経済発展当局者も製造業についてはほとんど知らなかったという指摘があります。 こういう話を聞くと、 一番大事な所を見ていないという気がします。

 先ほど述べた国際セミナーに社会学者のオルデンブルクさんも来ていただきました。 彼は、 「アメリカの中産階級が社交的ライフスタイルを失っていて、 彼らを見ても面白くない」と言っていました。 つまり、 人の様子を見て楽しいのが都市の魅力の原点なのに、 彼らが「人を楽しませる芸をなくしている」、 それが一番の問題じゃないかというんです。

 今や中産階級の人間は、 ゲイテッド・コミュニティ、 囲まれた住宅地の中に住んで、 自分たちだけで生きているということです。 「じゃあ、 その中で生まれた子供はどうなるのか」と思ったのですが、 多分そういう子供達がさっきの話に出てきた学校の中で野菜を育てて売りに行くといったことをするのでしょう。

 つまり、 ホワイトカラーが魅力を失ったということは、 日本もアメリカも共通して言えることかと思います。 「みんなが集まれる場所を作れ」としょっちゅう言われることも共通しています。 アメリカもそういう認識をするようになったのかという感じです。

 本の中に「手押し車のアーバニズム」という表現がありました。 自動車で野菜などを売りに来る移動商です。 これは重要な役割を果たすといっても、 計画することは非常に難しい。 この本にはこれに類した指摘が多い。

 例えば、 オープンカフェが魅力的だといわれます。 しかし、 私たちの仕事では、 御堂筋でカフェテラスの実験をするぐらいしかできないと思います。 広島のJUDIの人たちは、 自分たちが率先してカフェのゲリラ的な実験をしましたが、 継続的にそれを生業としてやる人がいなければ根付かないわけです。

 都市の活性化を議論する場合、 アイディアはいっぱい出ます。 実験もそこそこできます。 しかし、 継続的に誰がそれを担っていくのか、 そこが結構難問なわけです。

 また、 著者は「ダウンタウンを再編することは可能だ」と明快に言い切っています。 しかし「それを働かせるために文脈、 都市構造や歴史、 つまり資源がない場合、 SOHO症候群は働かない」と条件をつけています。 つまり、 著者は都市の中で動いている現象を観察しているのだと言えそうです。 ジャーナリストですから、 動いているところを見てその共通項を見つけるのが仕事として重要な点です。 しかし、 都市デザインのプロならそうした現象ばかり見ているわけにはいかないし、 動いていない所に提案していかなければなりません。 また、 動かせそうな資源があるところでは、 しっかりそれを見つけて使っていくのがプロの役割だと思います。 せっかくあるのに使わないようでは困るのではないかと思います。

 グラッツは「都市構造を模造することは、 閉鎖的なショッピングセンターと同じくらい異常かもしれない。 模写は落とし穴である。 結果は外形に過ぎず、 本質ではない」と述べていますが、 では「新しい開発はどのような条件を備えていなければならないか」もプロとして考えなければならないことです。 森山さんがおっしゃったように「根が生えた」状況が必要なんでしょうが、 物事はすぐには根付かないものです。 これにどう対応するか、 これは我々が考えねばならないことでしょう。

 「都市と郊外の間には区別が存在しており、 それは存在し続けなければならない」との記述もありますが、 真の郊外とは何かについては論じられていません。 これも関心のあるテーマです。

 このような本を学生と一緒に読み通してみると、 アメリカから聞こえてくる断片的な情報を我々は注意深く聞く必要があると思います。 これがアメリカの主流なんだと思ってしまうと、 とても大きな間違いをしてしまうように思いました。 こういう本も時々は通して読んでみると面白いと思います。

 あと付け加えておくと、 本の中には専門家からの引用がかなり多く見られます。 そういった本に対する知識が無いと、 読み誤る可能性もあります。 プロから見た視点は引用で書かれている部分が多いのです。 また、 都市が育っていくということを、 生物的あるいは植物生態学的なイメージで説明している部分がとても多いので、 プランニングでどうするかというところまでは突っ込んで書かれていないという特徴があります。

 それにしても、 いろいろと考えるヒントを与えてくれた本です。 そういう意味では、 自分の考えを整理するのにとてもよかったと思います。

 では今日のセミナーはこれで終了いたします。

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