質疑応答 |
結局、 街の遺伝子はどこにあったのですか。 小浦さんのまとめとしてお聞かせ下さい。
小浦:
ひとつには遺伝子とは日本の都心の中ではそれぞれの地域での歴史的な蓄積の中で持っているものであり、 都市の多様性と流動性が維持できる空間の中にあるのではないかと思っています。 そのような空間にいろんな営みが来ると、 それがいろんな表現力を持ってくるのではないでしょうか。 ですから、 都市空間の多様性と流動性の中に基本的な街の遺伝子があるのだろうと思っています。
今日はみなさんのお話それぞれを面白く聞いたのですが、 最後に(小浦さんが)おっしゃったことについて言及しておきたいと思います。
結局は船場について、 そこではいろんなアクティビティが生まれ、 それがかなり密度高く生まれる場所であって欲しいと、 みなさんは思っているのですよね。 そこで考えてみたいのは、 船場にそんな活気がある時代があったのかどうかということです。 歴史を詳しく調べたわけではないのですが、 江戸時代にたくさんの商売が生まれたから活気のある船場になったのか、 あるいは戦後になってたくさんの仕事が出来たから今の船場になったのか、 いったいいつの時代が「あるべき船場の姿」だったのかと考えてみました。
いろんな商売やアクティビティが生まれそれが増殖する場所とは、 都市の中では中心的なエリアやダウンタウンだと言われてきたのですが、 今日のお話の視点から見ると、 活性化を生み出す街の遺伝子とは、 空間よりも私たちの社会が持っているのではないか、 ということになります。
アクティビティを生み出そうとする力は、 社会、 つまりそこに住む人間が持っているわけで、 それがある時期に活性化したりしなかったり、 という現象が起きるのだと思います。 それを船場に置き換えて考えてみると、 もし船場が熟成してしまうと、 新しいものが生まれない可能性もあるのです。 熟成してしまった都市の典型をあげると、 例えば京都の町中がそうですし、 最近までの船場もそうだった可能性があります。 製薬会社や問屋がひしめいていて彼らの商売がうまくいっていれば、 それ以外の新しい物は何も生まれなかった可能性もあります。
今の船場はリ・ジェネレイト(再生)する新しい力を生み出そうとしつつありますが、 もしその力が船場になかったら、 新しい動きはどこかよそで生まれていただろうと思われます。 アクティビティも自分たちが生まれる場所を探しているんですよね。 最初のアクティビティがあるところで起きたら、 それが連鎖的に発展して相乗効果を生みながら増殖していくのですが、 そんな可能性を船場が潜在的に持っているのかもしれません。
皆さんの遺伝子解釈は、 人が持っているとか社会や街が持っているとかいろいろな言い方をされていましたが、 それらがうまくかみ合ったときに活性化していくのかなと思いました。
ところでアクティビティの増殖を人間の体にたとえると、 何かが増殖していくというのは、 まるでガン細胞の増殖のようで、 あまりよくないイメージがあります。 何かが異常に増えるのは人間の体にとっては困ったことなので、 そういうことが起きないよう体は増殖を抑える働きをするのですが、 都市の場合も同じような傾向があって、 何かが活発に動いてどんどん増えていくという現象は、 何かを壊してそういう動きになっているように思えます。 そういう動きはいずれは成熟してひとつの型に落ち着くのかもしれませんが、 今の都市の中の増殖という動きについてはどう考えればよろしいでしょうか。
藤川:
増殖という言葉で捉えると、 街のアクティビティも良くない面があると思います。 先ほど私が紹介した南船場の例でも、 店舗は北へ伸びているという現象は増殖しているという捉え方もできそうです。 しかし、 別の面で見ると、 細胞が生まれ変わっていると見ることも出来るのではないでしょうか。 使われてなかったビルに新しい店が入って、 そこに灯りがともり、 やがてそこに人が集まってくる。 そんなニュアンスで考えると「細胞の生まれ変わり」という面もあるのではないかと思います。
それと、 私はフェロモンを例に出しましたが、 店舗も強いフェロモンを出している所が生き残っているような気がします。 例えば川上さんが惚れ込んだ「堺筋倶楽部」の建物も、 おそらく強烈なフェロモンを発していたのでしょう。 でもそれに気づかない人もいれば、 それに惹かれる人もいる。 川上さんはたまたまそれに惹かれたので、 あの建物は残ってレストランに生まれ変わり、 街の中で存在感ある建物になっています。 もちろん人はフェロモンのみで動くものじゃなく、 経済的な事情もいろいろありますから、 時期が悪く目を付けた人が悪ければ、 ああいう建物はどんどん壊されていく運命にありました。 壊された後に新しいビルがどんどん建っていくことの方が、 私にとっては増殖というイメージです。
言い換えると、 フェロモンを出して人を惹き付けるところに生き残る遺伝子があって、 その遺伝子があれば街は良い方向に動き出せるというイメージを私は持っています。
小浦:
増殖という言葉でふっと思ったのですが、 私も南堀江に店舗が広がりつつあるのは増殖というイメージがあります。 藤川さんがおっしゃったように「壊して作る」に近い変化の仕方だと思います。 確かに再生するためには「壊して作る」部分もあるのですが、 体にまとまりの枠組みがあるように、 例えば船場なら船場としての「まち」のまとまりが時間的にも空間的にもあるのですから、 その枠組みを越えて広がろうとする時には、 「まち」に応じた変異があって、 それがない場合は、 やはり「まち」にとっては良くないのだろうと思います。
商業施設の開発の仕事をしています。 JUDIセミナーは初めて参加しましたが、 来る前にホームページでこれまでのセミナーの様子をのぞいてみたところ、 「ジャンク遺伝子」という言葉を見つけました。
藤川さんの話で「店舗が北上している」と指摘がありましたが、 アメリカ村や船場だけでなく日本全国の都市でアップグレードしようとすると北上しようとする傾向が見られます。 我々も商業施設をいっぱい作っているわけですが、 日本全体では超オーバーストアになってしまいました。 今は南船場のみが活性化していますが、 その分大阪全体のどこかで疲弊している商業地区があるはずです。 ホームページでは「ジャンク遺伝子も活性化の元になる」と書かれていましたが、 逆に街を疲弊させる要因もそこにあるのではないかと思います。
ガンを制御するように店舗の増殖を抑える話が出てこないで、 「街を活性化させたい」という話ばっかりでいいのかという気がします。 活性化が本当に街のためなのかということを、 まちづくりの場で討議していかないといけないんじゃないでしょうか。
私はアメリカ村の北で15年、 南船場のど真ん中に15年住んでいます。 自分の住んでいる回りで店舗がどんどん増えていくのを見ながら暮らしてきました。 店舗が増殖していくのがトータルなバランスの中でいいことなのかどうかをまちづくりの形成の中で考えていかねばならないと思っています。 そのあたりの議論もお願いします。
小浦:
ご指摘のところはあるかと思います。 都市空間の再編を考える中でご指摘のように「どこかが元気になればどこかが疲弊する」という可能性がでてきていることは、 都市レベルでは大きな問題だとは思っていました。 例えばニュータウンと都心、 ニュータウンと都市という関係で見ると、 今後の人口の減少や高齢化社会を考えると、 土地需要が減ることはあっても増えることはもうないだろうと思います。 そのとき都市の形をどう作り変えるかを考えていく中で、 終息させていく市街地も必ず出てくるだろうと思います。 都市レベルで市街地更新の制御の必要は考えているのですが、 都心の動きも同じというように考えていませんでした。 今のお話で確かにそういうことはあるなと思いました。 スケールを都市全体から地区レベルに変えても、 同じように考えていかねばならない問題だと思います。
今のお話について、 何かご意見はございますか。
昨年、 阪大と共同で南堀江の調査をしました。 今「疲弊した都市はどうなるのか」という指摘が出たので、 堀江の話をさせていただきます。
堀江も船場と同じように、 雑誌に取り上げられるようになる前は流行らない家具街でした。 空き店舗ばかりで、 さっぱりお客が集まらない状況が5〜6年前の姿でした。 ところが堀江公園の横にカフェが出来て、 ちょこちょこお店ができるようになって、 堀江が取り上げられるようになったんです。
疲弊した街がよみがえるのか、 そのまま死んでしまうのかについては、 そこに古いストックがあって家賃が下がってくると需要が出てくる可能性が潜んでいるのではないかと思います。
あと今日の感想を言わせていただくと、 横山さんの「住んでいる人ではなく、 街を使っている人の方が街をよく知っている」という話を聞くと、 都心居住の人たちだけでなく都心で働いている人の声も聞いてまちづくりをしていく時代になっていると感じました。
だから、 疲弊しきっている街がポテンシャルを失っているわけではないと思います。
岸田:
今の話に関連しますが、 南久宝寺の問屋街の人たちとワークショップをしたとき、 彼らから「自分たちの街が堀江みたいになるのはイヤ」という意見が出ました。 南船場の人たちは「アメリカ村みたいになりたくない」と言いますし、 活気を失っている街の人たちにとっても「どんな再生の仕方でもいい」というわけにはいかないようです。
船場を例にとると、 街の歴史にも浮き沈みが多々あって、 古くは大阪夏の陣で街が灰になった時もあれば、 廃藩置県後の明治初期には沈滞していた、 船場八社や五綿商社などの大手が次々と倒産してしまった時期もあったと言います。 でも、 そのたびに街は起きあがってきた。 その流れの中で南久宝寺の人たちは「今は死んでいるけれど、 次に起きあがるときは必ず来る」と思っているわけですが、 起きあがるときの街の姿が今の堀江のような形ならイヤだと言うんです。 船場の文化を伝えていくのが自分たちの使命だと思っておられ、 その熱意が船場博やにぎわいの会につながっています。
南久宝寺にも増殖した店がポツポツと出てきていますが、 地元の願いとしては問屋街ならではの活性化が欲しい、 そのやり方を模索しているのが今の状況だと思います。
街が変わるということは、 外見が変わることだけでなく、 外見は変わらないで中身が全く入れ替わるものもあり、 次の新しい形を求めていくことには、 いろんな変化の仕方があるのだと思います。 特に問屋さんの場合、 問屋という業態そのものの問題があるのではないでしょうか。 アクティビティの遺伝子が次の表現力を模索しながらまだ探しえていないのかなと思いますが、 次の街の姿が堀江のようなお店に変身するのではなくて、 問屋ならではの表現力(我々の文化をどう伝えていくか)を求めているところは、 遺伝子の持続性ということなのかと、 お話を聞きながら思っていました。
問屋さんはどうしても内にこもりやすいということを、 今回ずっと感じていました。 私も集英小学校を出ており、 ああいう人たちの話を聞くとつい「分かる分かる」と思ってしまうのですが、 そうではないもっと広がりのある作り方、 例えば船場博でも次の表現力を本当に求めているのだろうかと疑問に思った次第です。 その辺、 岸田さんはどう思われますか。
岸田:
私も同感です。 船場博は結局「同窓会」であって、 昔を懐かしんでいるという感じでした。 船場博の中でも、 新しい事業をやっている人たちが未来を考えたシンポジウムを開いたのですが、 その企画者は産業創造館の人でした。 それが限界でもあるのですが、 船場の街を方向付ける力でもあると思います。 常に古株の人たちと闘う中で、 船場は発展してきたのだろうと思います。
今の「街の疲弊と活性化」に関連することで、 私もちょっと話しておきたいと思います。 横山さんが言った「私はその街で生活して暮らしているけれど、 夜になると自分の家に帰る」という話にも絡んでくるのですが、 生物は冬眠もするし、 必ずしも表に姿を現すものじゃないですよね。 でもそこで生きている。 それがとても重要なことだと思います。 姿は見えないけれど、 そこで生きている限りはその息吹などの感覚が絶対あるものなのです。 そこには何かの生き物がいる空間と何もない空間との違いは、 絶対分かると思うんです。
今の船場がどういう状況にあるのかは分かりませんが、 人がいる限りはいろんなサイクルがあって当然だと思います。 人が住めない空間にしないと言うことが重要だろうと私は考えました。
もうひとつ、 「増殖と疲弊」の話で言うと、 これはスプロールという言葉で言うと分かりやすくて、 増殖が進んだ結果疲弊を招いてしまうということですよね。 日本の場合、 それを止めることを意識的にしてきませんでした。 あるいは止めようとしたけれど、 上手に抑えることができなかったと言ってもいいでしょう。
慶応大学の石川幹子さんがこういうことを書いています。 「都市は歴史の重層する場であり、 多様な時間の堆積とその今日的断層が活力と魅力を生み出す。 有為転変する都市にあって変わらないものの存在は、 都市の懐の深さを示す証左となる」。 つまり、 変わらないものを意識して作っていくのはとても大変なことで、 意志の力がないと出来ないと思うんです。 自然の成り行きとか市場原理だけに任せておくと変わってしまうんですね。 しかし、 変わらないものを作っていくことこそ、 本来の意味での都市計画ではないかと私は思います。
今日紹介されたように、 都市の中でみんながいいと思う建物を壊して次々と新しい建物を作ってしまうことは、 かなり問題のある話で、 都市の全体像を考えるとこういうことについてもっと議論を重ねるべきだと思います。 そんな議論が出来るシステムが都市計画の中に必要なのではないか。 今は建築分野の人たちだけで「保存」とか「市民の愛着」という話しか出てこないんですよ。 しかし、 本来の都市計画なら変わらない部分をどうきちんとやっていくか、 スプロールをどう止めるのかの問題で力を発揮するべきだと思うのですが。
小浦:
日本の都市計画は、 明治期に近代技術として入ってきており、 日本の近代化や産業振興が目的とされたと思っています。 ですから、 空間という概念はそこにありませんでしたし、 「持続する空間が場所の価値を高める」ということも議論の対象になっていなかったようです。
ヨーロッパの場合ですと、 都市計画は都心部の衛生・安全問題と郊外部の開発制御による環境価値の維持という二つの大きな流れがありました。 日本はそのどちらでもなく、 一言で言えば国が成長していくための基盤としての都市施設と市街化開発事業の計画という概念が根強くあったのではないかと思います。
しかし、 今日本では人口が減っていき、 都市をめぐる状況も変わってきました。 環境問題がクローズアップされる中で、 初めて都市を組み立て直そうということが考えられる状況になってきたんじゃないでしょうか。
今までは、 町並みや都市環境、 個々の建物や空地が集合する状態を捉える1/500〜1/5000くらいのスケールの都市計画がなかったと私は思っています。 そのことが今問われているように感じます。 都心の環境デザインの問題もアクティビティの活性と同時に、 計画意思が問われているのかと、 今の議論を聞きながら考えていたことです。
藤川:
江川さんのおっしゃったことはその通りだと思うところがあります。 都市計画の中で建物を残す動きが積極的に出来ない中で、 なんとか良い方向に導きたいと思いつつもなかなか動けないんですよね。 結局、 我々は遺伝子に責任を押しつけて、 我々は責任を放棄しているのかなと思うところもあります。
そんな中で、 ひょっとしたら街の遺伝子が都市計画ではできない部分を解決してくれるのかなと、 我々は街の遺伝子に期待しているのかもしれません。 そんな期待があるから「遺伝子」というキーワードがでてきたのかという気がしました。
都市の中の変わらない部分として街路や街割があるといいますが、 江川さんのお話では本来は建物も変わらない部分だとのご指摘でした。 建物の中で行われる活動や人が変わっていくのが本来の姿なら、 私もそうなったらいいと思っていますが、 現状は反対で、 残してほしい建物もどんどん新しくなっています。
しかし、 その中でも堺筋倶楽部のようにかろうじて残った建物もあります。 この建物について岡山県の方から問い合わせがありました。 話を聞いてみると、 岡山県で近代建築を残そうと活動されているグループの人で、 堺筋倶楽部やその他の近代建築の再生の話を聞きたいということでした。 堺筋倶楽部は生き残った数少ない建物ですが、 再生されたことでその活動がよその地域へ波及していく可能性もあるんですね。 少しずつですが、 変わらない建物を残していって新たな再生をすることで街の活性化につながっていけばいいと感じています。
小浦:
みなさん、 どうもありがとうございました。 フォーラムの時は曖昧なまま積み残した課題が多かったのですが、 今日こうやっていろいろ意見をいただき、 具体的な状況を手がかりとすることができました。 都心のこれからの作り方や環境の方向性を考えていくきっかけにしていただければ幸いに思います。 今日の議論は整理してホームページに掲載しますので、 私たちも皆さんのご意見をふまえて今日のまとめをしてみたいと思います。
では、 今日はこれで終了します。
街の遺伝子とはどこにあるのか
鳴海:
アクティビティの増殖について
鳴海:
活性化は本当に街のためになるのか
サトヨシ:
疲弊した街の再生の仕方について
大谷(武庫川女子大):
次の表現力をどう求めていくか
小浦:
疲弊・増殖・活性化の過程での都市計画の役割とは
江川(現代計画):
再生した建物の事例が他都市へも波及する
篠原:
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