小浦:
ありがとうございました。
今日は「街の遺伝子・その後」ということで皆さんと一緒に考えていく材料として、 前回フォーラム後の様々な出来事を含めて話題を提供させていただきました。
私からもこれまでの議論をふまえて考えた事と、 皆さんに投げかけたい問いについてお話したいと思います。
フォーラムの資料集を作るために、 皆さんに「都心を一枚の写真で表現して下さい」とお願いしました。 そこで集まった様々な写真を分類していて気がついたのは、 盛り場や繁華街の写真はほとんど無く、 写されているテーマには、 ターミナル、 オフィス街、 人の住んでいる表情やお店、 歴史の痕跡や変化・動きのある風景がありました。 また高速道路など近代の構造物が縦横に巡っているような様子や、 看板などが写されていました。
それぞれの営みや「自己主張」がサインや形、 建物に現れ、 それらがせめぎ合っている状況がたくさん写されていたのです。 それからわずかに残る緑や、 生活の匂いも写されていました。
これらの写真をみていると「都心とは一体何なのだろう」という問いが、 よりいっそう難しく感じられました。
都心が何らかの求心力を持っているからこそ、 人が集まり、 様々な営みが変化しながらも集積しているはずです。
しかし中心市街地の活性化が言われていますが、 最近は街の中心性というものがわかりにくくなっている、 あるいは中心性が衰退してきているように思います。
そういった中で再度、 都心の環境デザインについて考え直そうと考えたわけです。
今日は大阪を例にいろんな出来事を話していただきましたが、 話題の多くは「人」や「ネットワーク」に関わる事で、 自治会や店、 御堂筋の企業者、 住んでいる人たち、 小学校の同窓生といった様々な人の営みや活動について、 また街で何らかの創造をし、 何らかの表現をするといった活動についてでした。
それから「住む」ことについても、 街を使い、 街に関わりながら続けられてきた営みの変化や新しい兆し、 また変化を求める動きについて、 たくさんお話いただいたと思います。
しかしこうした活動や街での多様な動きと、 街の形や町並みなど、 私たちが暮らす、 あるいはそこで時間を過ごす空間の質や魅力をつくっていく「環境デザイン」とが、 どのように関わっていくのかという事は、 実はあまり議論されていません。
これからのデザインは「かたち」ではないのだろうか。 こういった人の営みが「かたち」をつくるのか、 あるいは私たちが持続的に創ってきた「都心」にはすでに「かたち」があって、 そこで様々な営みが入れ替わるのだろうか。 それでは、 その都心の「かたち」とは何か。 そういったところが、 私自身、 今回のフォーラムを準備しながら悩んだり考えたりしたところでありました。 変化を受け止められる都心とは
都心とは何か
前回フォーラムのテーマは「都心の環境デザインとはなにか」でしたが、 これが取り組んでみると難問でした。
明治の大阪 |
市街地発展図 |
しかし大阪の市街化は膨張し、 どこまでが大阪かわからなっていきます。
「どこが大阪か」と問われれば、 イメージしている範囲は人それぞれかもしれませんが、 大阪の中心としての船場は意識され続けてきたと思います。
大阪では、 戦災復興で広範囲にわたって区画整理を行っていますが、 船場だけは戦災で焼けても区画整理していません。 つまり、 近世・城下町の市街地をそのまま受け継いでいて、 先ほど岸田さんもおっしゃったように、 今でも街の形の基盤となる空間の構造は基本的に変わっていないわけです。 建物が建て替わっても街区の空間構造は安定しています。
ところが、 神戸はほとんど全域で区画整理していますから、 街区内の敷地割の構造に所有関係が直接的に現れてくるので、 町割をベースに街区単位で空間を構造化するのは難しいです。
明治期の主要建物の出来方 出典:大阪市まちづくり年表、 大阪市都市計画局1995 |
大阪〜難波に至る南北軸沿の建物は、 都心の南北に鉄道駅ができた後から立地しはじめます。 現在の都心の南北の軸は鉄道と国土軸との関係でできたのです。
現在の土地利用を見てみると、 船場は用途地域は商業地域指定となっていますが、 結構用途が混在している所もあります。
今日は都心居住の話なども出てきましたが、 周りを見ればいろんなオフィスや居住スタイルが混ざっている訳ですが、 だからといって土地利用的にはきっとこれからは用途が混ざっていくかもしれない、 でもそうじゃない都心というのもあるのかどうか、 そうじゃない船場の形というものがあるのかどうかということも考えられます。
都心といっても、 場所ごとに「匂い」を持っているようで、 船場のなかにもいろいろな「まち」があります。 御堂筋沿道、 南船場、 問屋街、 道頓堀などの繁華街、 黄色の居住がたくさん混ざっているところなど、 多様な「まち」があって、 それぞれ、 そこでの活動や変化が異なり、 街並みや空間の表現も多様で、 都心の重層性が見られます。
都心の持続力は、 活動の流動性によるところが大きいと言いましたが、 だからといって、 都心の活力を支える活動の変化に対応して、 必ずしも建物も建て替えていく必要があるでしょうか。 空間利用の流動性を高めつつ、 たとえ建物を更新するにしても、 歴史的時間のなかで形成してきた現在の船場の空間の「かた」をもう一度見直す必要があるのではないでしょうか。
御堂筋31m規制の変遷1 |
御堂筋31m規制の変遷2 |
船場にとって、 近世市街地の空間構造を維持していることは、 都心の空間デザインを考えるときに、 大きな資産になります。 現在、 注目されている近代建築だけでなく、 両側町であることから形成される東西道路を基本とした街並みという見方もできるでしょう。
今、 船場では都心といっても空地が増えてきています。 ビルの空室率も高くなっています。 確かに、 街が変わりつつある状況です。 様々な新しい動きや人の活動についての報告をしました。 では、 そうした活動や営みは、 どのような環境を求めているのか、 あるいは創り出すのか。 今ある都市空間は、 都市の営みの多様性と流動性を保ちつつ持続させていくことができるのか、 できないなら、 どのように変えていくのか、 といったところが都心の環境デザインの議論ではないかと思います。