時代が見たい風景とは
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1. 都市風景の立ち現れ

 

 まず、 風景とはその都度立ち現れるものであるということが言えます。

 長田直之さんという若い建築家から聞いたことですが、 「ランドスケープという言葉は、 ランド・エスケープから来ている」という説があるそうです。 つまり、 土地が逃げ去ってしまうことから来ているというのです。 私はそれがどの程度認められた説なのかをまだ確認してはいないのですが、 立ち現れては消えていく、 それが風景じゃないかと思うのです。 そういう意味では、 風景は音楽や演劇のような時間芸術とよく似ていて、 その時その場限りのものであり、 消えゆくものを惜しみ固定化しようとして風景画を描いたり、 叙景詩にうたったりするのではないでしょうか。

 その都度立ち現れるものであることから、 風景は歴史的に常に発見や再発見の対象になっています。 風景の発見とはしばしば聞くことです。

 環境が風景として立ち現れる大事な条件として、 空間的な距離や時間的な隔たりがあげられます。 環境と生活が密着している場合、 環境は風景としては立ち現れず、 それらの間のある種の隔たりが風景を立ち現せる契機として重要ではないかと思っています。 例えば、 空間的な距離感をとるものとしては旅や異郷にあるということ、 時間的な隔たりの存在するケースとしては故郷とか歴史的な町並みがあるだろうし、 心理的な距離を生むケースとしてはゆとり、 余暇、 散歩などがあげられるだろうと思います。

 風景のことを考えるとき、 私がよく思い起こすのが「忙裏山我を看る、 閑中我山を看る、 相以て相似ず、 忙は全て閑に及ばず」という漢詩です。

 つまり忙しいときは私が山を見るのではなく、 山が私を見ている、 時間的なゆとりがある時に私は山を見ることができる、 これは似ているようで似ていないということです。

 忙という字は心が亡びると書きますが、 忙しくて慌ただしい時間は閑な時間に及ばないものだということを詠った漢詩です。 風景はゆとりがある時に見いだされるものだということを的確に現していると思います。

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同里(中国)
 写真は前回のJUDI関西海外セミナーの時に訪れた蘇州の近くの水郷の街、 同里です。

 この写真の中にはいろんな人がいます。 川で洗濯をしているお母さんがいますし、 上半身裸でそれを見ているおじいさん、 船をこいでいる人、 川岸を散歩しているアベックらしい二人連れ。

 この中で、 おそらく洗濯をしている人には環境は風景として立ち現れていないと思うんです。 しかし、 船に乗っている人はおそらく観光客でしょうから、 風景を見ていると思われます。 おじいさんもたぶん風景を見ているでしょう。 二人連れが恋人同士だとすれば、 場所の雰囲気は重要なのですが、 どういう状況の二人かによって、 これが風景に見えるかどうかが違ってきます。 そして、 この全体を写真に撮っている私は、 もちろん風景としてこの環境を見ています。 このように、 視覚的な環境が常にすべての人にとって風景として立ち現れるわけではないことを、 ここで確認しておきたいと思います。

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北欧の風景(Auland)
 この写真は、 今年の海外セミナーで行く予定の北欧の風景です。 この写真は私が旅先で撮ったものですから、 ますます風景として立ち現れやすいということもあるのですが、 北欧には風景として立ち現れやすい物理的な状態があります。

 ノルウェーのフィヨルドの風景などは、 時間を超えて美しい、 つまり新しくも古くもならない風景だと思います。 決して歴史的な町並みではないし、 特定のエリアに限られているわけでもないのですが、 そういう美しい風景が存在することを見ていただくために写真を用意しました。

 では都市についてはどうでしょうか。

 たとえば皆さんはフェルメールが描いた「デルフトの眺望」をご存じでしょう。 あの絵のように、 ヨーロッパでは、 17世紀頃から都市を風景の対象として描くようになっていました。

 一方、 東洋では、 日本もそうなのですが、 雪舟が描いた「天橋立図」のように、 初期の風景画は山水など自然を描くことがメインでした。 都市を描くときは「洛中洛外図屏風」や「大阪市街図屏風」のように上から鳥瞰する視点で描かれることが普通でした。

 しかし、 江戸時代も後半に入ると、 浮世絵等にもあるように、 地上の風景の対象として都市が捉えられるようになってきました。

 風景という言葉自体がこの頃すでに使われています。 明治の始めぐらいまでは、 雨のなかの都市の橋を主題として描いた「東京新大橋雨中図」のような形で、 都市が風景として描かれていました。

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