時代が見たい風景とは
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2. 見えない都市風景

 

 浮世絵の伝統に見るように都市を風景として見てきた我々ですが、 明治・大正という近代のプロセスを経て、 昭和の高度経済成長以降、 都市の風景が見えなくなりました。 「見えない都市」という言葉は、 1960年代に磯崎新が『日本の都市空間』で言及していますし、 総合雑誌でもこのことを書いています。

 「ここでは計画される都市のすがたは、 いつも朦朧として、 霧のように揺れ動くものとなるはずである。 確固とした未来の姿などなく、 都市の姿はますます見えにくくなってゆくだろう。 ……見えない都市こそは実は未来の都市なのだ。 ……見えない都市の内部では、 建築も都市も融解して霧のようになっている」という内容ですが、 これはひとつの風景モデルになっていると言えるかもしれません。 それを「見えない都市」という言葉で提示したのです。

 また、 磯崎新とは意味合いが違うかもしれませんが、 阿部公房は『燃え尽きた地図』という作品の中では、 「こんな風景が現れようとは想像もしていなかった。 だが、 想像もしていなかったことが問題なのだ。 町は、 空間的には、 まぎれもなく存在していたが、 時間的にはなんら真空と変わらない。 存在しているのに存在していないとはなんと恐ろしいことだろう」という表現で「真空の都市」(意味を読めない都市)を読者に提示しました。

 何のことかというと、 団地の風景のことです。 これも、 ある意味で「見えない都市」の一種と言えるでしょう。

 そうした現代の「見えない都市」を写真で見てみます。

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東京
 こうした風景が「霧のように融解してとらえどころのない、 見えない都市」になるのかもしれません。

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私の職場の近所の風景
 ここでは風景の意味を読みとれない状況になっています。 私にゆとりがあって風景として見ようと思っても難しい状況です。

 さて私は98年の海外セミナーで入江泰吉さんの写真集『うつろいの大和』(朝日新聞奈良支局編、 かもがわ出版)に載っている、 40年ほど前の奈良の写真と現在の写真を比較したものをお見せしたことがあります。 そうすると古都法などで守られているはずの奈良でさえも激変していることが分かりました。 我々が関係する都市の建設、 河川の改修やモータリゼーションなどが、 風景の喪失に関係していると言わざる得ない状況になってしまっています。

 私が生まれたのは横浜の郊外ですが、 子供の頃は身近にいくらでも昔の奈良のような風景はありました。 しかし、 現在の様子は大変な変貌ぶりです。 日本の都市はどこも、 程度の差こそあれ風景として立ち現れにくい状況になっていると言えます。

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