質疑応答
|
松久:
先程の講演についてのご質問がありましたらお願いします。
刺激的なお話を、 面白く聞かせていただきました。
その中で「風景」と「景観」という言葉を分けるというお話がありましたが、 もともと西洋には「風景」と「景観」という言葉の違いがありません。 「景観」という言葉は、 明治以降に取り入れられた“Landschaft”(ドイツ語)に対する日本人の理解です。 “Landschaft”の意味するところが物理的で客体的で狭義である一面もありますが、 日本が西洋の景観文化を十分に理解できていないという近代以降の特殊性もあるので、 それらの言葉の違いにこだわる必要はないと思います。
上野:
「景観」という言葉は、 「人生観」や「世界観」などの‘観’と同じように、 「景を観る見方」を表す言葉なので、 本来‘もの’に対しては「景域」という言葉を使います。 しかし一般的に、 「景観」という言葉を対象=客体に対しても使っているので、 この場では「景観」という言葉を使うことにします。
主観を契機として立ち現れるものである「風景」と、 客観的存在としての‘もの’に対する
この場で主観について議論すると、 丸茂さんからのお話のように「観ようと思えば全て花になる、 観ようとしない方が悪い」という話になってしまうので、 我々はものについて議論すべきだと思います。
その上で「風景」という言葉を使うかどうか、 使うとすればどう使うのか、 ということを共通に認識しておきたいのです。
山崎:
その通りだと思いますが、 私は「風景」は私的で「景観」は私的ではないという定義も難しいのではないかと思います。
美学の世界で、 科学的な立場をとる人は、 実験で何パーセントの人が美しいとしたかによって、 美を客観的に決定します。 都市計画家も専門家としてそのような科学的立場をとるべきで、 「風景」についても「景観」についても同じように、 大半の人がよしとするものは何か、 その上で少数だけれども良いとされるものはどんなものか、 それはなぜか、 というスタンスが必要だと思います。
土木系の学科で景観についての授業をやると、 他の先生からきついご批判をいただくことがあるので、 「景観」について少しこだわりました。
フォーラムのテーマとして何を議論しようとして今日に至ったのかを、 簡単に説明してください。
松久:
我々フォーラム委員は「風景」が今の時代潮流にあっていると感じました。 そこで今回のフォーラムのテーマを「風景について語る」として、 これまで3回の会合とメールのやりとりで議論してきました。
風景論といっても幅が広いので、 今回のセミナーで歴史的原論を徹底的にやって、 その上でフォーラムでは実践的なステップに移ろうという作戦がありました。
丸茂:
端的に言うと、 セミナーは不良債権処理なんです。 つまり、 今回のセミナーの発表で原論的な話を済ませて、 これはもう済んだから、 これを踏み台にして、 フォーラムでは若い世代の人達に今の世の中に適合するような議論を展開してもらおうと考えたんです。
堀口:
もともと「風景や景観をモデル像に当てはめて整える流れが変曲点に来ている」という基本認識がありました。 そこで、 フォーラムについての議論は「新しい産業空間や都心業務地の景観の変化をどう捉えるか」というところからスタートしました。
バブルの時にたくさん建物を建てたり開発した人は、 どこかの開発モデルを持ってきて「これはピア39の真似だ」とか「これはどこそこのウォーターフロント開発の真似だ」ということを都心でやってきたと思います。 これは、 美しいからとか綺麗だからとかではなく、 見慣れていて何となく安心するからだと思います。
果たしてそういうモデルでいいのか、 もしくは新しいモデルを模索すべきタイミングではないか、 議論が必要だと思いました。
多数決で美を客観的に決定するというお話がありました。 主観の総体として多数決で決められた美から、 分析的に美しいモデルまたはスタンダード、 基準を導き出すことが有効なのかどうかについて、 フォーラム委員会ではまだ議論しきれていないと思います。
松久:
「モデル」という言葉がなんなのかという議論もありました。 一般的には一つの理想を予測する形だといえます。
最近の研究で、 最初予想していたよりも人間の遺伝子の数が少ないことが分かりました。 脳は全ての機能を前もって刷り込んでおくのではなく、 大まかなことは脳のある部分で決めておいて、 あとは自己形成で勝手にシステムをつくってやっているそうです。 これを一つのアナロジーとすると、 風景モデルは、 まず大まかな目標を決めてやって、 その後自己形成のシステムをつくればいいと考えられます。
コルビュジエの都市モデルやオルムステッドの風景式モデルのように、 過去にもモデルはありました。 それらは次々変わっていくけれども、 決してなくなるものではありません。 世の中には、 必ず共通の大まかなモデルが存在します。 そのモデルを見つけたいというのが今回の大きなテーマです。
丸茂さんが「心地よい程度に美しく、 芸術にならない程度に平凡な」都市風景についてお話をされました。
私が景観の勉強を始めた30代の初め頃、 ある大御所の建築家に「景観をやろうと思う人は、 建築設計の能力がない人がいい」といわれました。 今思うとなかなか良いことを言ってくれたと思います。
「モデル」という言い方をしなくても、 市民の方々に「将来どういう景観を残したいか」と聞くと、 とてもいい場面を発見してくれます。 それは、 大阪にも神戸にも、 どんな田舎にも都会にもある、 当たり前の風景です。
「こういうふうにあり続けて欲しい」というメッセージは、 拾おうと思えば拾えるのに、 建築ができる人によって曲げられているのではないでしょうか。
その話をしてくれた大御所には、 「建築は壊すもの」という発想がありました。 建築家もランドスケープデザイナーも、 自己主張のため、 壊すことに一生懸命なのかも知れません。
そのことを風景論として語り出すと、 「操作できる風景」とか「自分が設計できる風景」になってしまいます。
「操作できる風景」や「自分が設計できる風景」にはモデルがある可能性がある一方、 「存在している環境としての風景」には、 つくる人がそれをモデル化することによって変化してしまう危険性があります。
この30年くらいの間に、 風景を加工する職能をもった人が多くなってしまいました。 昔は普通にビルを建てていればよかったのですが、 今では『デザイン』と称してめちゃくちゃつくってアピールします。 これが様々な問題を引き起こして、 風景を語らなければいけないという奇妙な状況をつくっていると思わないでしょうか。
丸茂:
「アートのある都市風景」と「作法が育む都市風景」の関係だと思います。
例えば、 展覧会のある風景ってそんなに美しくないですよね。 けれども、 それを風景としてみないで、 作品を対象としてみればそれなりに楽しいし、 美しい。 このような「アートのある都市風景」のスタンスを否定しきることはできないと思います。
みんなが「見えない都市風景」に対して必死にあがいている状態の中で、 それぞれがそれなりに存在する理由をもっています。 それらが全体として織りなす風景にはリアリティも深みもあります。
どれか一つということではなく、 「アートのある都市風景」もあれば「作法が育む都市風景」もある、 コマーシャルベースの「装う都市風景」もある。 それらが全体として都市風景をつくっていたほうが面白いのではないかと思います。
上野:
鳴海先生から「なぜ風景を語らなければならないか。 その裏には風景を一意的に操作しようとする意図があって、 そのためにモデルが必要なのではないか」という非常に重要なご指摘をいただきました。
自己形成するモデルを考えるというお話もありました。 ディテールは自己形成していくとしても、 大きな所では予定調和が前提になると思います。
ところが現実の人間社会は、 必ずしもスタティックな予定調和に収斂していくわけではなく、 いろいろな契機でそこからの逸脱が発生します。 私たちがその逸脱を包含できるようなモデルを構築できるかどうか、 また構築しなければいけないかという問題につながっていくと思います。 丸茂先生のお話も、 全体の動きからみたら一つの逸脱の形かも知れません。 そういう逸脱を許容していかないと、 街が環境ファッショになりかねません。
行政にしろ民間にしろ、 一元的に風景をコントロールしようというベクトルがあります。 それらが逸脱を含むことができるかどうかが問われていると思います。
これらの例は、 基本的なところでは全体を動かすベクトルにつながっていながらも、 街がつまらなくならないように逸脱を装っている『身振り』なのかもしれない、 そういうというところまできているのではないでしょうか。
このように考えると、 本当に我々は今風景モデルを考えることができるかどうかが問題だと思います。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンで、 非日常的な空間づくりを私は仕事としてやっています。
都市ではアイデンティティの喪失が一つの命題としてあげられている中で、 ディズニーやユニバーサルなどのアメリカ資本と協働して、 非日常的な空間を輸入しているという事実があります。 好き嫌いに関わらず、 そういう時代です。
発表者のお二人が個々で議論されている「時代の見たい風景」を、 日常・非日常という切り口で考えた場合、 風景モデルはどのようなイメージとして考えられるのか、 先程の内容の補足をしていただければと思います。
丸茂:
もちろん、 日常的な現実の都市風景を問題としています。 しかし、 非日常は分けようとしても分けることができないと思います。
我々はユニバーサル・スタジオ・ジャパンがある大阪に住んでいて、 大阪は少なからずその存在の影響を受けています。 「何が日常で何が非日常か」の区別ができなくなってきていると思います。 「ブラックレインの中の大阪」と、 「大阪の中のUSJ」が相互に影響しあいながら動いていったら、 大阪が面白くなると思います。
上野:
日常・非日常というのは、 見方の問題だと思います。
丸茂さんのスライドの中で、 中国の同里の運河の光景がありました。 そこで生活している人は、 運河沿いに座って自分の環境を所与のものとして日常的に接しているけれども、 旅行者は座っている人を含む運河の環境全体を非日常的な風景として意識的に接しています。
どんなに見慣れないものであっても、 意識的に接しないと風景として立ち現れません。 日常・非日常という時間的な問題ではなく、 意識的に「観せられること」が発生して、 初めて風景が立ち現れると思います。
USJで働いている人にとって、 あの光景はもはや日常であって、 あえて観るものではない。 でも旅行者として訪れれば同じものが全く違った見え方になると思います。 ディズニーランドやUSJなどのデザインは、 風景に目を向けさせる操作として、 距離をつくりだし、 日常的に旅行者をつくりだしているのでしょう。 日常・非日常の区別は、 距離感の操作によって曖昧になってきていて、 「どのような風景を共有していることが、 ある都市の住民としてのアイデンティティになるのか」という問題は非常に難しくなっていると思います。
鳴海:
北野さんに、 今の質問の意図を解説していただきたいのですが。
北野:
テーマパークUSJは、 映画セットのようにつくられてます。 まちづくりと違って、 脈略がそれ程ありません。 映画会社がエイジング(aging;熟成特殊塗装)など、 空間をつくるためのテクニックをもっているので、 そのキーワードだけで街をつくっているんです。
ディズニーランドもUSJも、 今は現実世界と違う疑似空間だからみんながいきます。 しかしこれからは、 実生活における都市の楽しみ方のような要素も輸入していく必要があると思うんです。
丸茂:
一度北野さんにセミナーをお願いしたいですね。
私も風景モデルが必要な時流だと思いますが、 今お話しいただいたような高いレベルではなく、 もっと当たり前のことだと思います。
美学に「自然美」と「芸術美」がありますが、 今問題なのは「社会美」のような気がします。 例えばこの部屋から窓の外を見たとき、 いろいろな建物が見えますが、 そのなかに高層マンションがあります。 「あんなところで子どもを育てていいのかな」と考えると、 とてもいい風景には思えません。
都市計画は予定調和がないので、 低い建物の中に大きな建物がぽんぽんできるような制度になっています。 京都も町屋と高いマンションが並んで存在しています。 配色や高さなどの視覚的な問題ではなく、 「人がこんなところで暮らしていいのか」と思ってしまいます。
日本の都市には「こんなふうにすると、 そこそこいい生活が送れるんじゃないか」というモデルがそれぞれ必要で、 それにあわせて規則をつくる必要があるのではないでしょうか。
鳴海:
今のお話を伺って、 「日本人は風景に対する常識があるのか」についてフォーラムで議論すると役に立つと思いました。
ヨーロッパの建築法には「見苦しい建物はつくらないこと」「周囲になじむ建物であること」と最初にかいてあります。 日本の建築基準法には、 そのような景観に関する記述は皆無です。
私は日本人に風景に対する常識はあると思います。 なぜなら、 みんな風景のいいところに遊びに行くからです。 自分の家の周りの風景に対しても常識はあるんだけれども、 「ディベロッパーがマンションを建てるんだったら、 いくら反対してもしょうがない」とあきらめている部分が相当あると思います。
割り切りでそうなっているのか、 常識が無くてそうなっているのか、 それを現実社会の中で、 歴史的にも、 確かめることができれば、 非常に大きな成果になると思います。 私は「モデル」と呼ばずに「常識」という方がいいと思います。
作法の浸透とルールの評価があります。 日本人には作法がないかというと、 あると思います。 日本では犬の散歩で糞の始末をきちんとしていて、 街中がとてもクリーンです。 パリなどヨーロッパの街は汚いですね。
日本では、 都市景観形成は啓発や誘導が主流ですが、 ヨーロッパでは地区レベルの詳細な計画とルールによって行います。 この違いは、 厳格なルールよりも柔らかい作法でやっていく東アジア的な儒教文化が関係しているのかもしれません。
一方、 ヨーロッパに作法がないかというと、 マンションでの住まい方や窓辺に花を飾るなど、 とても厳しい高度な作法があります。 作法がある程度浸透して社会の常識になったとき、 始めてルールが確立します。 日本はまだそういう意味でまちづくりの作法が浸透していないので、 いくら地区計画を導入してもルールを確立するレベルまでもっていけません。 まず作法を浸透させる必要があって、 その後はじめてルールをつくれると思います。
先程ご紹介した広島の取り組みの意味は、 そこにあります。
なぜ我々の街がこういう状況にあるのか、 それに対してどのような認識を持っているのか。 それに関連して、 評論家奥野健男の「間の構造」をご紹介します。
森鴎外と夏目漱石がそれぞれヨーロッパに留学したとき、 漱石はロンドンになじめずに神経衰弱になってしまった一方、 森鴎外はベルリンに留学して自由闊達に勉強したという違いについての考察です。
「鴎外と漱石の大都市への接し方、 見方、 書き方がなぜかくも大きく違っているのか。 僕はここに都市への視点の決定的な違いをみる。 それは都市を外側から見ているか、 内側から見ているかの違いである。 外側から見るとは観光者の目であり、 内側から見るとは住んでいるものの目である。 それは漱石が東京という大都市に生まれ育ったからではないだろうか。 漱石にとって都市とは住むところであり、 見物したり利用したりする空間ではなかった。 それに反し、 鴎外は岩見の津和野藩の典医の家に生まれた。 東京という大都市は鴎外にとって住みつくところではなく、 利用し勉強するところであった。 22歳の時留学したベルリンは第二の東京、 第二の利用すべき大都市であったのだ」。
このことは、 「我々にとって都市は本当に住みつく場所なのか、 ただ利用して金を稼ぐ場所なのか」という我々の都市に対するスタンスを象徴していて、 それが都市の作法に大きく関わってくるんじゃないかと感じました。
吉田健一が『瓦礫の中』という小説の中で、 東京が空襲を受けて崩壊した後の光景を「爆撃によってそこについての知識一切を失ってしまった街は、 元の場所といえるかどうか、 たぶんに疑問の余地があった」と、 あっさりと受け止めて描いています。 第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたワルシャワが、 街を元の姿に復興しようとしたのとは対照的です。 東京の人達には、 (焼失によっても)もとの街の風景が立ち現れなかったのではないかと思っています。
日本で第二次世界大戦の時に被害を受けた約2000の街は、 ほとんど記録すら残されずに消えていきました。 都市との関わりが非常に希薄である、 都市に限らず住んでいるところに対して執着が薄いのではないかと考えられます。 このような都市との関係の希薄さが、 常に新しい風景を許容してしまう一つの要因になっている。 住んでいても常に(山のあなたを求める)「旅行者」であって、 新しいものをどんどん受け入れてしまうのではないか、 とも思われるのです。
かつて韓素英(ハン・スーイン)という女性が、 香港について「借り物の時間の中の、 借り物の場所」と表現しました。 我々にとっての日本の都市は、 今だに「借り物の時間の中の、 借り物の空間」であるのかもしれません。 このような状況で風景を論ずると、 手に負えない問題になる可能性があることは、 フォーラム委員としても気がついているのですが。
作り手の風景論と受け手の風景論があると思います。 作り手は何かつくらなければならないので、 モデルなど何かの出発点を求めていますが、 住み手としては自分を確認するために風景が必要です。
先程のワルシャワの話は、 爆撃を受けた街を元どおりに戻さないと、 自分の根拠がなくなってしまうような不安があったことが一因だと思います。 日本の場合は、 富士山や隅田川など、 自然の方が自己確認の対象であるから、 都市は大切にしないという話しもあります。
しかし、 そのころと比べて日本も格段に都市化が進んでいます。 田舎から出てきた人が子どもを産み、 更にその子供が都市で子どもを産むという高度成長の時代を経て、 都市人口が増大しています。 田舎から都市に出てきた二世三世は、 都市しか知らずに育ち、 都市に自分を見出したい、 都市と自分の関係を確認したいという欲望が出てくる。 それを感覚的に納得する一つの手段として、 自分の原風景があるんじゃないかと思います。
このような面を掘り起こしていかないと、 いつまでたっても都市は大事にされないと思います。 受け手側の風景論を考えてみたいと思います。
鳴海:
10年程前、 奥田道太さんという社会学者が、 東京の郊外に住む人達を調査して、 40代後半〜50代前半の人々が自分のアイデンティティを確認できずに、 えもいわれぬ不安に襲われていることが分かったそうです。 つまり、 自分たちは特徴のある風景をもった環境で育ったのに、 子供たちにはそれがない。 自分は一体何をしているのだろうという不安です。 自己確認の手がかりを風景の中に見つけたいと感じだしたんですね。 調査をしてみたら、 東京だけでなく日本中の人たちがそう感じだしていることが分かるかもしれません。
このような現状に、 作り手がきちんと立ち向かっていないんじゃないでしょうか。 自分の作品はつくるけれど、 国民が感じている大いなる不安には何も答えていないというのは、 プロとして勘が鈍いと思います。
みんなが風景を知っているし、 風景の常識を持っていると思うんですけれど。
中村:
風景は、 バラバラでアイマイな人間の存在を、 大きな物語につなげる回路になる可能性があると思います。 もちろん、 そのような考えには危険な面もありますが。
私は団地育ちで、 団地の風景しか知りません。 昭和30年代の団地は貧しい状態だったので、 原風景は緑もないコンクリートの箱です。 テレビを見れば、 大阪の団地も東京の団地も東北の団地も、 皆同じ形をしています。 子どもながらに不安を覚えました。
例えば中上健次は、 紀州の古代から続くような世界に生まれ育って、 それを文学で表現していますが、 確固としたルーツがあることがうらやましく、 素晴らしいと思だしました。 それに比べると、 自分は日本中どこにでもあるような風景の中で育ってきて、 浮き草のように感じたのです。
しかし、 団地リニューアルの仕事に関わって、 いろいろな現場を体験しているうちに、 団地にも「田舎に住んでいた人達が都市にたくさん出てきて、 それを受け止めるために必死につくった箱」という高度成長の物語が見えてきました。 当時の住宅公団の人達がどのように工夫してLDKのシステムをつくったか、 人造研ぎ出しの流しをステンレスに変えたか。 大した物語ではないけれど、 そのようなディテールを知っていくことで、 「ああそうか、 みんなが頑張った中で暮らしていたのか」と何となく納得できるようになりました。 自分を時代の中に位置づけられたと思います。
風景を受容していくことによって、 風景が世界に対する窓のような役割を果たすのではないかという気がしました。
私は名古屋の汚い街に住んでいたので、 団地は時代の最先端をいく輝く風景だったのですが、 これだけ感じ方が違うとは面白いですね。
作り手と受け手の話ですが、 やはりつくらないと受け手も育たないと思います。 京都の琵琶湖疎水の水路閣やパリのエッフェル塔など、 つくったときは両方とも大反対運動がおこりましたが、 そのうち懐かしい風景に変わっていったんです。 慣れていったのかもしれません。
両方の話を上手く分けて欲しいと思います。
「モデル」と同じような言葉で「パラダイム」や「ノルム」があります。 モデルを語るのか、 パラダイムを語るのか、 ノルムを語るのか、 それで話が全然違ってくるので、 その辺も検討していただきたいです。
「風景」という言葉が主観的であるというお話もありましたが、 私も「風景」と「景観」をそれほど区別していません。 景観も捉えかたは文化的な集団ごとに全く違うと思います。
日本とヨーロッパの比較についての話しも重要だと思いました。 アメリカでもヨーロッパでもどこの風景でも当てはまる話と、 そうではない話しがあると思います。
土木は、 シビル・エンジニアリングやシビック・デザインといいますが、 文明の意匠、 風景があるのかもしれません。 丸茂さんは「都市風景」、 上野さんは○○風景ではなくただの「風景」としてお話をされました。 この違いで話が違ってくるのか、 もしくは同じなのか、 ここが面白いと思います。 また、 土木では「国土の風景」といいますが、 それだとまたどうなのでしょうか。 さらに、 「都市風景」に対して「自然風景」という話しもあります。
まとまっていませんが、 感想です。
松久:
この場でまとまる話でもないので、 次回8月のプレフォーラムで更に実践的な内容に近づけていきたいと思います。 ありがとうございました。
『風景』と『景観』は分けて捉えるべきか
山崎:
「景観」を同じ土俵で議論すると話がかみ合わなくなります。
フォーラムに向けての議論−風景論の不良債権処理
鳴海:
「風景モデル」は作り手のため?
鳴海:
日常・非日常で考える風景モデル
北野:
さらに都市モデルには主体と受け手のギャップの問題があって、 それが一番の問題だと思います。 作り手と住み手の視点のズレを埋める形で、 都市モデルをつくっていけばいいのかなと考えるのですが・・・。
日本人は風景に対する常識があるか
山崎:
作法が浸透して初めてルールが確立する
丸茂:
日本は都市との関わりが希薄
上野:
自己確認としての都市風景の必要性
中村:
全体に対する感想と提言
榊原:
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ