私は今回ディベロッパーという立場でお話させていただきますが、 我々ディベロッパーは雇われの身でありながら、 社会に対してものすごく問題を起こしている部分があります。
そこで今日は私が何に葛藤しているのかという事と、 それから「まちの形」について私なりに持った確信についてお話しさせていただこうと思っています。
お手元にA5の用紙を3枚お配りしています。 それでは今から用紙の表面を開けていただいて、 皆さんに折り紙を折って頂きたいと思います。 馬鹿な実験かもしれませんが、 そういわずにぜひ参加してください。
基本的には実線部分は谷折り、 破線を山折りにして下さい。 Sheet(1)はどちらでも結構です。 ただし裏は見ないで下さい。
それでは今から2分45秒でお願いします。
(中略:制作タイム)
それでは、 そろそろ話を進めたいと思います。
今、 皆さんに半強制的に作って頂いたこれが何を意味しているかと言うと、 ここでも「同じようなものづくりが発生している」という事なのです。 これは何かということを皆さんで考えていただきたいのです。
ここに来られているのは優秀な方々ばかりなので、 俺はそんなものづくりはしていないという方もおられると思うのですが、 全体的には私の号令と場の雰囲気と風潮によって、 同じような物が多発的に作られています。 つまり社会環境とか経済環境とかによって、 同じようなものが出来てくるわけです。
しかも、 少々折り曲げるのに苦労されたかもしれませんが、 例えばコンストラクションの場合なら資金の有無などでモノがすぐに出来てしまいます。 また今回の場合は誰が早く出来たかは問いませんでしたが、 スピードや出来映えについての話が当然次に出てきます。
実は、 今あげたようなコンストラクションについての状況が、 今の社会環境で私が葛藤していることなのです。
コンストラクションというものは簡単に壊すことはできないし、 社会的影響も大きいにも関わらず、 ただ場の状況や社会環境が整えば押さえようもなく簡単に多発します。
また、 この場で私が皆さんに折って下さいと言ったときに「何で折らなあかんねん」と思ったとしても、 結局は折ってしまってモノができています。 これと同じように、 誰かがそういったコンストラクションに関わっているからモノが出来ているわけで、 しかもそれが葛藤を産む原因になっているということを、 私はここで少し言いたかったのです
葛藤とまちの力とは?
同じようなものづくりが発生している
資料(1)表
資料(2)表
資料(3)表
資料(1)裏
資料(2)裏
資料(3)裏
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