今日は、 我々がなぜ古民家再生工房を作るようになったのかからお話ししていこうと思います。
この古民家再生工房は設計事務所のオーナー6人が集まって作ったグループで、 最初の頃はパンフレットを作ってその活動を紹介していました。 私の事務所でも最初から古民家再生を手がけていたわけではなく、 ビルや病院の設計、 新築の仕事をやっていましたが、 今では仕事の半分が古民家再生になっています。 ご存じのように今は古民家がブームのようになっておりまして、 そのことも影響しているかと思います。
そもそも我々がなぜ古民家再生工房を立ち上げたかと言いますと、 仲間で現代民家を考える会を主宰していたこともありますが、 我々が都会の学校を出て故郷で仕事をするようになったとき、 住宅ぐらいは地域の建築家がきちっとしたものを建てたいという思いが仲間のそれぞれにあったからです。 景観や風景が崩れていくのを見ていると、 日本の住宅をきちんと考える必要があると思いました。 地方在住で活動する我々がそれに対応すべきだという使命感が原点になって、 写真の展示会を企画するなど、 一般の人に対するアピールから始めました。 一般の人に建築や設計を分かってほしくて、 専門家の方には目を向けずに一般の人に対してずっと活動を展開していきました。
これからの家をどう考えるのか、 日本の風景や風土をベースにした我々の思いをどう実現すべきかをいろいろ試行錯誤して、 最終的に残ったのが身近にあった民家だったというわけです。
いろんな古いものを見に行ったり調査したり、 それを生かした新築住宅を作っていると、 古い家をたくさん見る機会があります。 現実にはそれがどんどん壊されていくのを見ていました。 そんなとき、 地元のテレビ局から1時間の番組を作りたいという依頼が来て「甦える民家」という番組を企画することになりました。 解体費用はこちらで持つので、 民家再生に協力してもらいたいとテレビ局で呼びかけてみたところ、 40〜50件の応募があり、 私ともう一人の仲間の矢吹さんとで候補を探すことになったのですが、 その時いろんな話を聞くことが出来ました。
それらのお宅はどこも立派な家で壊すほどのものじゃないんですが、 オーナーは「本当は残したいのだが、 どうやって残したらいいのか分からない」と言います。 ちゃんとした民家なのに、 オーナーさんもいろんな葛藤を抱えていることが分かりました。
そんな話を聞いたのをきっかけにして、 廻りの仲間にも呼びかけて、 そんな問題に対応してこそ地域の建築家じゃないか、 まして我々は民家をベースに活動しているのだからと話し合い、 古民家再生工房がスタートしたんです。
ただグループの立場としては、 それでメインの仕事を取ってこようというよりは「民家のことで困っているのなら声をかけて下さい。 我々が対応します」と社会に呼びかけて、 そんな人間もいるんですよとアピールするつもりでした。
仕事は個人を通じて来るものが多く、 もちろん古民家再生工房に直接来るものもありましたが、 圧倒的に多いのは個人を通じての仕事です。 ただ、 世の中にアピールしていく上では、 個人でやるよりはグループを作って呼びかけたことは良かったと思っていますし、 今現在も仲間と活動を続けています。
倉敷の山の上から市街地を見ると、 大半が本瓦葺きです。 戦災を受けていない街ですから道は狭くてクモの巣状の街ですが、 美観・伝建地区以外にも塗り家造りの町屋がかなりの量で旧市街に残っていることが分かります。 現実には古くて使いにくいという問題があるのですが、 我々の感覚では宝の山という感じですし、 それをどう生かすかは倉敷の街を特色ある街にするために意味があることだと思います。
もうひとつ私が倉敷の街に期待していることは、 昔から裕福な地域だったことを反映して、 旦那感覚を持っている人がけっこう多いことです。 ちょっとゆとりがあれば人を集めて音楽会をしてみようとか、 おいしいものを食べて遊んでみようとか、 文化や食に興味を持ち、 遊び心を持って時間や手間暇をかける人が倉敷には多くおられます。 そう言う人たちが倉敷の魅力を作っていくのではないかと思っています。
歴史を重要視する学者さんから見ると不真面目に見えるようで、 我々とは話が合わないところがあるのですが、 我々はあくまで民家再生は建築のひとつの方法だと考えていますし、 魅力的な空間を作り出すことこそ民家の保存につながっていくのだと確信しています。
住んでない人は気軽に「お宅の家はいいから残した方がいい」と言いますが、 それは住む立場になってみると大きなお世話で「暗くて不便なだけで何がいいのか」ということもあります。 この前もある民家の再生をしたときにそこのオーナーから聞いたのですが、 「立派な学者先生がやってきて家のことをいろいろ褒めていただいたときは気分がよかったけど、 後で考えてみると何をどうやって残せばいいのかちっとも分からなかった」という話が典型で、 現実に残す方法が今の日本ではあまりにも少ないんです。 経済的な問題もあるし、 ドロドロとしたものも絡んでくる。 残せというなら、 後に続く若い世代が「私もここに住んでみたい」と言う魅力的な空間を示すことが必要です。 それができれば残せと言わなくても民家は残っていくことでしょう。 我々はそんな考えのもとで活動を続けています。
では早速スライドで実例を見ていただきましょう。 私が再生した民家のうち、 倉敷を中心にしたものをお見せします。
古民家再生の意味
なぜ古民家なのか
楢村:
倉敷と古民家
次に、 そのような活動が倉敷とどのように関わっているかをお話しします。 私自身も倉敷で生まれ育った人間ですが、 全国を廻った私の目から見ても、 倉敷あたりは古い民家が多く残っている地域です。 多分戦災に見舞われることもなく、 比較的穏やかな気候であること、 土地が恵まれていてちゃんとした家を建てられたことが背景にあるのでしょう。 残っているといっても、 文化財として残っているということではなく、 我々が対象としている風景を構成している一般の民家のことです。
住む人の立場から見た古民家再生
またもうひとつ言っておきたいことは、 我々の取り組んでいる活動は歴史的な保存を主眼としているのではなく(もちろん技術的なことはバックアップとして必要ですが)、 民家の再生を新しいものを生み出すこと、 新しい魅力を作り出していくこととして考えています。 ですから、 戦前まで続いてきた民家が戦後の高度経済成長でどんどん消えていく流れをいったん戻して、 良いものは認め、 ダメなものはダメと見極めるやり方をしています。 今のものをどう古いものに付け加えて発展させていくかが大事だと思っています。
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