古の中のアヴァンギャルディズム
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古民家再生事例

 

事例1:甦える民家

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再生前の民家
 先ほど話したテレビの企画「甦える民家」で手がけた家です。 40件の応募のうちの一軒で、 一般的な民家です。 応募されてきたお家は立派な民家が多かったのですが、 「元が立派だから再生後もさまになる」と言われないよう、 なるべく誰もが知っている一般的な形の家を採用しました。 この母屋を民家再生工房の仲間である矢吹さんが再生しました。

 この母屋の後ろの左端にチラッと蔵が見えています。 2間×3間の大きさです。 この蔵ともうひとつ別の農家からもらった蔵をくっつけてひとつの建物にするという再生を私がやりました。

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再生後の蔵
 2つの蔵を使ってひとつの建物に再生しました。 元が別々の蔵だったため、 よく見ると大きさや屋根の勾配も少し違っています。 古いものに新しい部分を付け加えて、 一般の人々に民家の価値の再発見を問うというテーマでテレビで紹介しました。 半年ぐらいかけて再生の過程を撮り、 一般にアピールするイベントとしてやった仕事です。


事例2:いかしの舎

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再生前の外観
 倉敷市の隣の早島町(はやしまちょう)で行った仕事で、 今はコミュニティセンターに生まれ変わった建物です。 元々は旧寺山家と呼ばれた旧家の建物で、 寺山さんと呼ばれる家はたくさんあるのですが、 その中でも一番大きな家なので「大寺山」と呼ばれていました。 旧讃岐街道沿いの中心にあった建物です。

 最初はこの建物を壊して道路を通し、 新しい施設をつくるという話があったのですが、 我々がここを使おうと提案し、 たまたま「ふるさと創生事業」の1億円があったものですから、 それを使ってコミュニティセンターとして生まれ変わらせたという経緯です。 ここは古民家再生工房の6人が設計・施工監理をしました。 仲間全員でやったのはこれが初めてです。 施工は藤木工務店です。

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再生後の外観
 再生後の長屋門と蔵です。 蔵もL字型になっていて、 奧に入るともうひとつ蔵があるというかなり大きな建物です。

 蔵のなまこ壁は古い瓦を使っています。 裏に貼ってあった瓦を全部剥がして前に持ってきて、 グラフィカルな表現をしてみました。 屋根のトップライトは賛否両論ですが、 内部に明かりを取り込むためです。 両サイドにうだつを立ててガラスを挟み込みました。 歴史を重んじる立場から見ると、 こんな方法はないというところが賛否両論になっているのだと思います。

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再生前の母屋と庭
 右の建物が母屋で、 左奧に見えるのが蔵です。 再生するまで15〜16年ほど放置されていた家ですので、 庭も荒れ放題でした。 再生するにあたっては良い木だけ残し、 有名な庭師の山内さん(故人)に頼んで全面改修しました。

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再生後の母屋と庭
 お茶会が出来るよう、 奈良国立文化財研究所にお願いして八窓庵の写しの茶室をここに造りました。 新築はこの茶室のみで、 後は再生で行った仕事です。

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工事中の母屋内部
 民家を再生する時、 壁をどこまで残すかが問題になります。 この建物の場合は、 全体も10cmほど傾いていましたので、 ほとんどの壁をはずしてきちんと起こす作業が必要になりました。 座敷の多い家でしたので、 壁をはずすとこんな状態になります。 再生前は大体こんな感じです。

 しかしこの状態にしてしまうと、 柱が傷んでいるのが目に見えて分かるし、 藤木工務店の大工さんは「どうして俺らがこんな家の仕事をしなくちゃいけないんだ。 汚い仕事をやらせる気か」と怒りだしました。 この仕事に限りませんが、 この状態の時にはたいていのお施主さんは「大丈夫なのか」と青ざめますし、 近所の人も「建築家を名乗る悪い奴らに騙されとるんじゃなかろうか」と言い出すし、 我々としては村八分を覚悟する状況になります。

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再生後の母屋内部
 再生するまでは針のむしろ、 リスキーな部分を抱え込んでいます。 しかし、 この状態になると、 今度は評価が一転「誰にやってもらったんだ。 教えてくれ」と笑顔で褒めてくれるようになります。 もちろん我々はプロですからこうなるのは最初から分かっているのですが、 一般の人は「あのボロボロがこうなるなんて」と驚かれるのです。 我々はすでに150軒以上の再生をしていると言っても、 一般の人にとっては古民家の再生はまだまだ不安な部分があるようです。

 写真の黒っぽい部分は元からあった古い柱、 白木の部分が新しい柱です。 新しいものに古色を塗って古いものに合わせるという手法を以前はやっていたことがあるのですが、 最近はこのように新しいものをデザインの要素として使った方が面白いように思えてきました。

 ここは以前は畳の部屋だったのですが、 コミュニティセンターという公共の建物ですので、 構造補強をしながらホールとして使えるようにしました。

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再生前の蔵の内部
 ここは元々は板を張っていたと思います。 それがはがれて土壁が残っていました。 内蔵ですけれど、 真っ暗な内部でした。

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再生後の蔵の内部
 3分の1を吹き抜けとして、 上のトップライトから明かりが入るようにしました。 ここは外と中をつなぎ、 上から光を入れ、 円い窓も新しく付けて風が通るようにしています。 床はイタリアの大理石を使いました。 ここはギャラリーとして使われています。

 ここで私の考えを紹介しておくと、 私は民家は和のものだから再生後も全部和の要素にしなくてはという考えは持っておりません。

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再生された建物と庭
 右の蔵部分は今、 喫茶店になっています。 喫茶店のインテリアも和の要素だけでなく、 メキシコの椅子やイタリアのランプなどいろいろ混ざっています。

 奧は母屋の客間で座敷になっています。 ここはほとんど元の形に再生しました。

 庭は全面改修して今のような形になりました。


事例3:平翠軒

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平翠軒のファサード
 ここからは倉敷市内の事例を紹介していきます。 ここは森田酒造さんという大きな酒屋さんが持っているお店です。

 ここの改修をするとき、 アイビースクエアを手がけた浦辺鎮太郎先生や伊東ていじ先生が来られて、 「このファサードをつぶせば元のちゃんとした民家の形が現れるはずだ。 元の形にして欲しい」と言われました。 しかし、 私とオーナーは「このファサードは風景に合った親しみのある建物で、 これはこれでいいんだ」と要求を突っぱねました。 生意気だったかもしれませんが、 このままのスタイルを通しました。

 ここのコンセプトを作るのに仲間と2年ぐらいかけて話し合いました。 その中で問題になったのが「美観地区の土産物屋のような建物じゃなくて、 一般的な小売りで商売を成り立たせるためには何をすればいいか」ということです。 オーナーの森田さん自身も建物のあり方には興味を持たれている人ですので、 前向きに取り組んでもらえました。

 結局、 ここのコンセプトは「おいしいものブティックでいこう」ということになりました。 「平翠軒」という店名は、 この建物の裏にある茶室からとりました。

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再生前の内部
 偉い先生が「ちゃんとした建物が隠れているから」というので調べてみたのですが、 実をいうとそんなものではありませんでした。 元々この建物は2階を瓶詰め工場に使っていたもので、 水漏れがひどく、 構造的に持つのかどうかを心配するほど無茶苦茶な状態でした。 これを直してお店にしようという計画です。

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再生後の店内
 ここのオーナーが食道楽ですので、 全国からおいしいものを集めたブティックにすることにしました。 最初は地元の人を対象にしたお店でしたが、 今では観光客も大勢やってきます。

 けっこう繁盛していますので、 東京の西武百貨店や高島屋の人も見に来られたのですが、 それらの人たちが口を揃えて言うには「東京と同じレベルの内容だけど、 この値段ではとても東京では展開できない」ということです。 確かに銀座の真ん中でこれだけの面積を取って、 5〜6百円の物を売っているようでは商売にならないでしょう。

 我々は仕事をしながらも常に地方と都会という意識を持っていますが、 こういう仕事は倉敷だからこそ出来たと思っています。 建物も自分の持ち物だし、 土地代も安いし、 企画する力さえあれば面白いことが出来ます。 東京ではこんなことは逆立ちしても出来ないだろうという自負心を持っています。 もちろん、 東京には東京のすごさがあるのですから、 それはそれで良いのですが、 我々がその真似をする必要もない。 地方だからこそ出来ることがいっぱいあるはずなんです。 それを探すことも、 我々の仕事の重要なテーマだと思っています。


事例4:井筒屋

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再生後の外観
 アイビースクエアの北門を出たあたりにある小売りをしている酒屋さんです。 元々は連棟長屋のかなりボロな建物で、 仕切りの部分を直していたら2階の仕切りが半分ずれていたり、 後ろの建物が腐っていたような状態でした。 ここにお店を設けたいからとお願いされてやった仕事です。

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再生前の内部
 奧半分がほとんど腐って落ちていた状態でした。

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再生後の店内
 こうやって直してみると、 新築よりも味のある空間になって、 古い物がある方がいい雰囲気になると思います。 壁は漆喰ですが、 いろんな色を混ぜて土色に近い赤に仕上げています。


事例4:吉井旅館

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外観
 美観地区にある旅館で、 江戸時代から続いている老舗です。 今の女将さんさんのご主人が亡くなられた時もうやめてしまおうという話もあったのですが、 廻りの人や我々が頑張って欲しいとお願いし、 料理人を探してきたり、 みんなでソフトを考えながらこの旅館の再生をお手伝いしてきました。

 ですから、 私たちももう20年来のおつきあいになります。 営業しながら一部屋ずつ直していく形で関わってきたのですが、 これも女将さんとの信頼関係を作り上げたから出来たことです。 こういうことも地方で仕事をしているからこそ出来る良い例で、 日頃のおつきあいの中でゆっくりと考えながら直していった建物です。

 今は高級旅館として知られるようになり、 女将さんも有名人になりました。

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ファサード
 最初は庇の屋根のところに看板を上げていたのですが、 10年ぐらいして有名になり、 もう看板の必要はないだろうと、 はずしてしまいました。 今は、 玄関脇に小さいサインを出しているだけです。

 見て分かる部分ではないところも、 少しずつ変えていっています。

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客室
 元々は6畳+6畳という細切れの部屋だったのをつないで、 ひとつの部屋にしました。 昔は畳は平行四辺形になっている、 床は斜めになっている状態でしたので、 それをごまかしつつ、 今のような部屋にしています。 昔の旅籠の部屋を今のニーズに合わせ、 食事が出来たり宴会が出来たりするように一部屋ずつ直していきました。


事例6:吉井旅館の人々の自宅(恒見邸)

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外観
 この建物は吉井旅館の斜め向かいにあった空き家を、 女将さんがお姉さん用の家にと買い取ったものです。 元は呉服屋さんの建物で、 江戸時代に建てられたそうです。

 購入前に見て欲しいと頼まれて建物の内部を見てみると、 柱や梁全部にカバーが掛けられていて見た目はとても綺麗だったのですが、 その内側がどうなっているか分からない、 また建物の足元もどういう状態か分からなくて想像の範囲内でやるしかない。 「建っているんだから、 直すこともできるだろう」ということで引き受けました。

 奥行きがある建物で、 80坪ぐらいはあります。 3世帯住宅として再生しました。

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玄関部分
 玄関を開けて入ったところです。 黒っぽく見える柱が元の建物にあったもので、 それに新しい部材をはめ込んでいきました。

 玄関マットにしているのは、 倉敷緞通です。 これも廃れかけていた技術を我々の活動で再生した物で、 今ではちゃんと市場に出回っています。 芹沢圭介さんのデザインで、 民芸運動で再興された緞通です。

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工事中の解体した段階
 工事現場は町中で、 しかも前が4mの道路でしたから、 解体した物を出すのもままならない状況でした。 トラックの後ろを家の中に突っ込んで、 ベルトコンベアを中に付けて廃材を引っぱり出すという作業になりました。

 古い建物をなるべく残すようにはしたのですが、 昔の小火で柱が炭化していたり全体がかなりひどい状態で、 私が見てもマズイと思ってしまったほどでした。

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再生後
 真ん中の建物が母屋で、 角を付け足して食堂にしています。 庭だったところに水回りをつないで、 パティオ的な中庭を作りました。 建物の2階が若夫婦、 1階が恒見さん(女将さんのお姉さん)、 手前の建物に女将さんの部屋を作っています。

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工事中の様子
 左奥が離れ、 右側が今お見せした食堂になります。 左奧に見える蔵は、 再生後趣味の部屋となり、 今はオーディオルームとして使っています。 その奥にも納屋があり、 そこを女将さんの寝室として再生しました。

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再生後のパティオと建物
 この建物は美観地区のど真ん中にあります。 美観地区は住む人が出ていってお店になる風潮が強くなっていますが、 私たちとしてはなるべく出ていかないでそこに住み続けて欲しいと願っています。 住み続けるから街への愛着も出てくるし、 町並みの生活感も出てきます。 ですから私たちとしては人が快適に住めるようにしていく手法が必要だと考えています。

 ここでの手法は都市住宅を作る感覚で、 周辺を囲んで真ん中に空き地を作り、 そこへ向かって全ての部屋をオープンにするやり方にしました。 これで光と風を確保できるし、 美観地区のど真ん中でも現代風な快適さを確保すれば、 次の代になっても住み継ぐことが出来るでしょう。 伝統的な街の中の都市住宅のモデルになったかと思います。

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工事中の納屋部分
 オーディオルームの奧にある納屋です。 納屋ですから、 水洗いなどの作業に使っていた場所だと思います。

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寝室になった納屋
 納屋の隣にあった蔵の壁を掃除して、 そのままインテリアとして生かしました。 隙間にはスリットのガラスを入れています。

 これも、 民家再生の面白さのひとつで、 もし新築だったら寝室の壁をわざわざなまこ壁にしようとは思わないでしょう。 再生の面白さは、 こんな風にして出てきます。

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工事中の母屋の2階
 見てお分かりのように、 これも元はどこにでもある民家でした。

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再生後の若夫婦の寝室
 再生後はこうなります。 持ち上がっている所は居間の天上を高くしているところで、 そこをベッド部分として使っています。


事例7:ギャラリーとして再生した民家、 サロンドヴァンホー(内山邸)

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再生前の外観
 倉敷の郊外にあった民家を再生した事例です。

 こういう再生の仕事をしていると面白い人たちに出会え、 街の中に楽しめる場所がポツポツと出来ていきます。 今では倉敷の名所と言われる所もほとんど我々が作ったような結果になっていますが、 面白そうな仕事と出会えたときに、 精一杯質のいい物を作ってきたことが現在につながっていると思います。

 さてこの民家は、 江戸時代の末期に庄屋の家をここへ移築したと伝えられています。 建物自体は江戸時代の中頃に建てられたと思われますので、 見たときは北側が全部腐っている状態でした。

 ここはオーナーの自宅とゲストハウスを新築で建て、 最後に残ったこの建物をどうしようという話になりました。 これをつぶしてしまうと敷地の真ん中に大きな穴が開いてしまうし、 かといって新築に建て直すには莫大なお金がかかってしまいます。 こういう悩みは古い民家をお持ちの家ではよく聞く話です。

 たまたまこのときはオーナーが芸術家という職業柄、 全国的な人脈もあることからここをギャラリーとして文化情報の発信をしていこう、 みんなの集まれる場所にしようということで再生することになりました。

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工事途中の様子
 壁は残そうとしたのですが、 やっているうちに全部落ちてしまって骨組みだけになってしまいました。 見ていると、 遺跡から木棺を発見するような気持ちになります。

 直し方としては、 柱をジャッキアップして柱の足元を切り、 そこにコンクリートの土台を作って、 その上に土台を載せて柱をもう一度降ろすというやり方をしています。

 民家を再生する場合、 ほとんどの場合は屋根・基礎をきちっと作り直します。 そうしないと持たないですから。 50年、 100年と持った民家を再生するときは、 もう一度それぐらいの寿命を持たせるつもりで取り組んでいますので、 屋根と基礎は絶対に変える必要があると思います。

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再生後の外観

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再生後の内部
 土間部分を出来るだけ広く取りました。 仕上げはタタキでやっています。

 ギャラリーでの最初の企画は現代美術展でした。

 ここの屋根も腐って穴が空いていたり、 柱が折れている状況で、 歯医者の治療のようにジャッキアップして柱を継いでマグサを入れて持たせています。 全面的に補修して元の形に戻しました。 土台は新しくやり変えています。

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再生後の暖炉部分
 ガラスの炉をやり替える前、 解体したときに出てきた耐火煉瓦の屑と底に溜まっていたガラスの破片で芸術家の施主が面白がって作った暖炉です。 中に入れている暖炉も、 知人のお医者さんからもらってきたアメリカ製のビルトインタイプです。 つまり、 全部廃材利用で作ったわけです。

 江戸時代の民家を再生すると真っ黒い柱の線が強く出てしまうのですが、 それに対応するためにはこれぐらいのテクスチャーを持ってきてまず間違いないというひとつの例です。 ここで展示会をされる作家の方も、 この空間をだいぶ意識して企画されているようです。 余談ですが、 CM関係の人もこの空間に興味があるようで、 この暖炉を背景にした「清酒大関」の雑誌広告を作られたということです。


事例8:レストラン「蔵para」

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再生前の外観と川
 ここは美観地区から少し外れた所にある民家でした。 新田用水が流れ、 倉敷になじみのある景色です。 オーナーから「この景観を残しつつ、 何か活性化する事はできないだろうか」と相談を受け、 レストランとして再生した事例です。

 このあたりは古くて立派な家が多いのですが、 道が狭いことや美観地区から外れていることもあってちょっと活性化から遅れているような地域でした。 しかし、 我々の目からすると古い家が多いのは宝の山です。 この街区全体を倉敷ならではのやり方で再開発出来ないだろうかと考えているところです。 その手始めとして、 この民家をレストランに変えるためのプロジェクトに取り組みました。

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再生前の外観
 蔵がコの字型に並んでいる立地です。 蔵の隣に離れがあったのですが、 それを解体して川に橋を架け、 それを入り口にする事にしました。 入り口を入ったところの敷地の真ん中に広場的な中庭を作り、 それをはさんで母屋を和食レストランに、 別棟の蔵を中華レストランにすることにしました。

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再生された外観
 このように橋を架けてアプローチにしています。

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橋から入り口を見る
 入り口奧が離れのあったところで、 そこを中庭にしました。

 本来ならこの地区はビルを建てられる商業地区なのですが、 あえて古い物を残し、 街の景観を生かしながら活性化できる方法を探りました。

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再生前の中庭
 ここには池があったのですが、 酔っぱらった客が落ちるといけないので浅めの池に作り直しました。

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新しくなった中庭
 正面に見える建物が元の母屋で、 そこを和食レストランにしました。 その前の池から階段的に水が流れるようになっています。 それ以外の部分は広場的な空間にしていますが、 木が育ってきたらここを気持ちのいいビアガーデンに出来るだろうと思います。

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再生後の蔵
 再生前の蔵は屋根が落ちかけていて、 今直さないとつぶれて落ちてしまうという状況でした。

 再生ではL字型の構成にして、 かなり大きな中華レストランにしています。

 もう一つの出入口で、 通り抜けられるようにしたのは奧の方の町並みにも再開発の可能性を残そうと思ったからです。


事例9:サロンはしまや(楠戸家・米蔵)

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はしまや(楠戸家)外観
 ここは市の登録文化財に指定されているはしまやさんの建物です。 倉敷を代表する老舗の呉服屋さんで、 今も営業を続けておられます。 大きな家ですが、 メンテナンスがしっかりされています。

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路地
 母屋と親戚の家の間に路地が通っています。 この奧に米蔵があって、 路地はそこへ米を運ぶための道でした。 風情のある空間ですので、 よくポスターに使われています。

 この家は空間が何層にも重なっている家です。 この奧には米蔵だけでなく、 道具蔵、 漬け物蔵、 内蔵があります。

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米蔵の入り口
 今はもう使われなくなった米蔵をどうするかの相談を10年ぐらい前から受けていたのですが、 芦屋からお嫁に来た若奥さんが「人を集めてクラシックコンサートを楽しめる空間ができないだろうか。 人が集まれる楽しい場所が欲しい」と言われたのを受けて再生することにしました。 旧家ですから実現するのは簡単ではなくて10年ぐらいかかってしまったのですが、 市の登録文化財第1号として認定されたのをきっかけに、 ご家族みんなで話し合われて、 ここを「サロンはしまや」としてオープンな施設にすることにしました。 今では観光客も立ち寄るようになって、 倉敷の新しい名所になりつつあります。

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再生された米蔵の内部「サロンはしまや」
 2階のステージから見た様子です。 床は乾燥材のしっかりしたのを使って、 5種類の床材をモザイクのように貼りました。 テーブルは呉服屋の棚として使われていた古材を2枚張り合わせ、 真ん中に新しい木を埋め込んで作りました。

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同じくサロン内部、 1階から2階を見る
 文化財ですから、 2階部分を取れば元の蔵の形に戻せるようになっています。 構造部分はあまり傷めない形で作りました。

 1階がピアノなどを置くコンサート会場、 2階が客席になるようにして、 その下に厨房とカウンターをはめ込んでいます。


事例10:藍染め小屋を事務所に再生、 倉敷建築工房「想創舎」

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再生前の藍染め小屋
 ここは楠戸家の一番北側にあった藍染め用の小屋です。 江戸時代の建物で崩れかけていたのですが、 事務所にしたらどうですかとのお誘いを受けて、 私どもの事務所として再生することにしました。 こういう老舗の本家の建物は普通は他人には貸してくれないものですが、 長年の信頼関係もあって申し出てくれたのだと思います。

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工事中
 古い建物ですから全体的にガタガタしていて屋根も落ちかけていました。 それにジャッキアップをかけ、 石は生かしましたがコンクリートを入れて補強し、 そこへ土台をはめ込んで上の建物を降ろしました。

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再生後の外観((C)Ryo Hata)
 行政側としては美観地区ですから再生後も元の形を保って欲しいと言うのですが、 我々の考え方としては現代では用途も変わっているし窓も必要です。 以前の建物よりも質を良くしてこそ再生の意味があると思っています。 表面的に色や材質を伝統の町並みに合わすだけではなく、 今の時代の質を取り入れることで町並みに貢献できるというのが我々の考え方です。

 ただ、 その考え方が伝わっているかどうかの問題はありますが。

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車庫部分((C)Ryo Hata)
 例えば、 この車庫の後ろに壁を立てていたら貧しい空間になっていただろうと思います。 こうして開放することで、 奧の緑が通りからも見えてきます。 散歩している人からも「とてもいい感じになった」と喜んでもらえました。 通りに対して積極的に働きかける空間づくりも質を上げるひとつの要素です。

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夜の景観((C)Ryo Hata)
 贅沢な設計事務所だなと思われるでしょうが、 儲かっているわけじゃないんですよ。

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工事中の様子
 元が藍染めに使われていた納屋ですから、 そんなに上等な材料は使われていません。 今で言う足場丸太を組んだ建物ですが、 江戸時代のものですから梁は太く古いものの魅力があります。

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再生後の建物内部・1階から中庭を見る((C)Ryo Hata)
 昔、 米をついたという杵(きね)が残っていたので、 それに防腐塗装をかけて事務所のオブジェとしました。

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1階サロンのテーブル((C)Ryo Hata)
 床はイタリアのテラコッタを張っています。

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トイレ((C)Ryo Hata)
 2畳もある贅沢なトイレです。 事務所で食べられなくなったら、 ここを料亭に貸せるように料亭風にしてみました。

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サロン部分と2階((C)Ryo Hata)
 2階は、 元は竹組の上にむしろを敷いて土をのせた床でした。 それを全部はがして竹を再生利用して床を補強し、 2階と使用できるようにしました。 2階は設計と打ち合わせができる空間をとってあり、 設計事務所の用途は全部2階に入れています。

 1階はサロンと私の部屋があります。 サロンは施主が何かを企画して遊ぶ場であり、 色んな会合を開くなどオープンな形で使っています。

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2階ホールの壁
 ここは美観地区ですから外観は規定に従ったものを作らないといけないのですが、 中はこんな風に遊んでいます。 再生の面白さは外と中が二重構造に出来ることもあるでしょう。

 左の壁はモロッコのイスラム風の壁の写しです。 右側の壁はベニス。 イスラム教とキリスト教のジャイアントファニチャーを仏教の伝統的な民家で包んでみました。

 こんなことをしていると歴史を重んじる立場の人からは怒られることでしょう。 しかし、 伝統的な民家でも富を蓄えた江戸・明治の人は京都や大阪から大工を呼んで関西風の建物を建てていました。 立派にしようとすると土着性から離れていくのです。

 それを現代に当てはめて考えると、 世界からいろんなものを集めてきて何が悪いかと私は屁理屈をこねてしまうのです。 世界のいろんな集落を見て回ると(私は建築家の作ったものはあまり見ません)、 そこには感動できるものが多くあるし、 それを日本の民家に我々の感覚で組み入れることで新しいものが出来るのではないかと考えています。 これも私たちが試みているひとつの例です。

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再生前の2階
 再生前は手で揺すれる状態でした。

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再生後の2階・設計事務所
 設計室として使っている部屋です。 ここには梁があって通れなかったのですが、 梁を組み替えて、 マグサを入れて持ち上げて、 何とか頭があたらないようにしました。 背が高い人はあたってしまいますが、 こんな風にすると真ん中はなんとか立って歩けます。

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2階の打ち合わせをする部屋
 ロフトのような部屋です。 窓からはお茶室や文化財の家が見え、 ロケーションは抜群です。 贅沢な設計事務所ですが、 借金が大きいので儲かっているとは言えません。

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