意見交換
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司会(山本茂):
助役から伝建地区の保存の取り組み、 都市基盤と伝建地区周辺のまちづくり、 倉敷市全体の展望についてお話しいただきました。 今のお話についてのご質問、 ご意見がございましたら受けたいと思います。
昨日も同じ質問をしたのですが、 所有者の相続税・固定資産税についてうかがいます。 その負担が重すぎて払いきれないという問題が出てきたときに、 民間企業がその家を買い取ろうとする動きは出てきているのでしょうか。
中戸:
今の段階ではありません。 似た例としては、 地区内に蜷川美術館という建物があるのですが、 これは倉敷の大学が買い取って美術館にするとのことです。
加藤:
賃貸に出すというケースはありますか。
中戸:
それもありません。
加藤:
あまり地区にそぐわない使われ方は今のところないということですね。 ただ空き家になったままの建物があるのは具合が悪いですよね。 大橋家は当初民間企業に売りたいという考えがあったけれど、 民間企業が手出しできない額だったと聞きました。
市は民間が変えなかった金額で取得されたということですが、 今後もそんな対策は出てくるのでしょうか。
中戸:
実際の話としては、 いろんな民間企業からホテルを建てたいなどの話が持ち込まれたようですが、 大橋さんにしてみればそうした商業利用があの地にそぐわないと考えられたようです。
私たちの事業はインフラを整備していく事業だと思っています。 倉敷の場合、 住宅が分散して建っている地域だと聞いていますが、 ケーブルを整備する上で住宅が拡散しているのは障害になっています。 なるべく中心市街地に人口を集積していって効率のいい社会基盤を作っていくことが将来の財政基盤にもつながると思うのですが、 助役はどのようにお考えでしょうか。 中心市街地に求心力が向かうような都市計画をしていただきたいのですが。
中戸:
住宅などの用途地域について、 今の倉敷は現況主義で決めています。 本来はちゃんと基盤整備をした上で土地利用を広げていくべきなのですが、 今の倉敷は道路と施設をつなげる点と線の整備に追われています。 区画整理などの面的な整備をした上で、 学園都市にするとか住宅地にするなどの土地利用を考えていければ、 効率的なまちづくりが出来るし、 いろんな問題も解決していくだろうと思います。 しかし、 残念ながら倉敷の場合は自然発生的に市街化が広がってしまい、 そのことが全てのことに影響しているようです。
ですから、 今おっしゃられた中心市街地に社会基盤を集積するためには、 どんなやり方でどのくらいの規模のものを集積するかをトータルで考えていく必要があると思っています。
岩田:
私の家は鶴形でして、 まさに中心市街地に住んでいます。 中心市街地に人口を集積させることについてですが、 今のままだとまず無理だと思います。 私の家の回りを見ると、 高齢者の一人住まいが多い状況に加え、 東小学校では1学年1クラスと言うように少子化がはなはだしい。 今はマンションが出来て、 2クラスになりましたが、 少子高齢化が進んでいるのが実情です。
助役が言われたように大きな都市計画で50年、 100年先を見据えることは必要でしょうが、 現実の倉敷を目の前にして考えるといろんな対処方法をやっていく必要があると思います。
しかし特に今の商店街が対処方法で発展するかどうかは、 難しい面があるのではないでしょうか。 でも、 何もやらないと低迷するだけです。 中心市街地は時間を追うごとに廃れていくと言う感じで、 商店街の空き店舗は今や10軒に1軒の割合です。 そんなところに行政が関与していっても、 なかなか難しいんじゃないですか。 まず地元が危機感を感じて何かをやらないと行政が手出ししても動かないという気がします。 地元の人たちがまず立ち上がらないと、 活性化にはつながらないと思いますが、 いかがでしょうか。
中戸:
おっしゃるとおりで、 行政が一人で動いても街の活性化にはつながりません。 私たち行政が計画しなくてはいけないのは、 将来こんな街にしたいという青写真です。 そうしたビジョンは少なくとも必要です。 その中ですぐ出来るものはどんどんしていけばいいと思います。 50年、 100年先の計画を都市計画で定めるのは不見識なところがありますから、 せめて20年、 30年先をにらんで都市計画を立てた上で、 出来ることからしていきたいと考えています。
また、 商店街の空き店舗については、 商店街の人たちがインターネットを通じて全国の人に来てもらえないかと呼びかけているようです。 しかし、 街全体に魅力がなければ外から人を呼んでくるのは難しいようで、 何をしたら良いのかを行政・市民問わずみんなで考えていく必要があるんだと思います。
倉敷は仕事の関係で、 数十年前からよく来ています。 商店街が来るたびに衰退しているのが分かって残念な状況だと思います。 ただ全国的に見ると、 倉敷は他の地方都市に比べると、 恵まれた立地条件なんです。 美観・伝建地区には全国から人が来ていますし、 地元の人も歴史的な町並みを楽しむことができます。 郊外に足をのばせば緑豊かな自然が残っていますし、 最近では製造業が弱くなったとは言え、 それなりの経済基盤もあります。
そんな質の高い空間を持ち、 豊かな街の中で住んでいる市民はどんな商店街を求めているのか。 多分、 今の商店街を見ている限り、 市民の高いニーズに応えられていないのではないかと思われます。 昔は良かったんでしょうが、 はっきり言わせてもらうと今の市民の感性に全くついていけてない状況だと思います。
おそらく経営者自身は経済的に豊かで、 商店街に住んで細々と働いているのではなく、 何店舗か郊外に店を持ち郊外の自宅からお店に通うという感覚じゃないでしょうか。 だから商店街に空き店舗が出てもそんなに焦りがない。 実はそんな商店街は全国的によく見かけるのですが、 倉敷もそうなっているように感じました。
ただ商店街以外に目を転じてみると、 質の高いジャズ喫茶やライブハウスが結構あるんですね。 それだけの感性を持った市民が倉敷の商店街を利用していないのはもっともな話で、 逆に言うと感度の高い商店街に作り替えたら必ず需要はあるということです。 商店街のあり方を根本から変えていく必要があると思います。
例えば、 中層の建物が並ぶ新しい町家形式にして、 下に店舗、 上は居住という組み合わせにしてみるとか。 骨格から作り直すぐらいにして取り組まないと、 立地的にもったいないと思います。
また、 駅前の作り方も倉敷の人のセンスからするともう古いタイプに見えました。 その辺も含め、 全国に誇れる駅前と商店街にしていただきたいと思います。
個人的には、 駅から外れた所にあって、 お店が点在しているホワイト通りのような場所が好きだったのですが、 5〜6年前までは先端的なイメージだった店舗が元気をなくしており、 空き店舗や空地も目立ちます。 今は、 ズラリとお店が並ぶ所より、 ほっとする風景のある所の方が人々に支持され、 町の奥行きを深める効果もあると思うので、 ぜひがんばって欲しいと思っています。
中戸:
貴重なご意見をいただき、 ありがとうございます。
商店街の衰退に伴って、 郊外の商売が伸びているという話は最近よく聞きます。 今、 倉敷レーヨンのところにイオンショッピングセンター(10ha)ができていまして、 年間1300万人のお客を集めています。 500mのショッピングセンターの中には買い物だけでなく飲食、 医院、 託児所と何でもそろっていて、 ひとつの街になっているのです。 あんな風にするのなら、 商店街でも出来ないことはない。 やはり都心に人が住めるような環境にすることが、 まちづくりの大きなテーマだと感じています。
先ほどの中戸助役のお話の中で、 景観面では舗装と無電柱化が問題だとのことでした。 電柱は昨日写真を撮っていてやはりうっとうしいなと感じたのですが、 無電柱化はお金のかかることですから、 順々に進めていただければと思います。
舗装については、 洗い出し舗装を変えてほしいという要望があるとのことですが、 洗い出し舗装は悪くないし、 続けるべきだと思います。 同じ伝建地区の飛騨高山はいまだに黒舗装ですが、 違和感があります。 公共空間の意匠は基本的に「地」であるべきで、 「図」として目立つと建物が負けてしまうし、 歩く人や車の様々な色と不協和音を起こしてしまうので、 抑えめに仕上げた方がいいんです。 そういう意味では洗い出し舗装が正解だと思うのですが。
中戸:
あ、 私の言い方が悪かったのですね。 黒舗装を洗い出しに変えて欲しいという要望が出ているんです。 おっしゃるとおり、 洗い出し舗装の方が町並みには合うと思います。
備中神楽という伝統芸能をやっている関係で、 倉敷の伝建地区には毎週火曜日に来ています。 来るたびに魅力的な街だなと常々感じております。
このたび、 美観地区の入り口に位置する東大橋家を市が購入して活用されるということですが、 どのようなイメージでそれを考えておられるのでしょうか。 ソフトが重要になってくるだろうとは思っていますが、 ソフトを決めてからハードを決めていくのか、 それとも建物のイメージを決めてからそれに合ったソフトを考えていくのかを教えていただきたいと思います。
中戸:
基本的にはそれを行政が考えるのではなく、 皆さん、 つまりあなたに考えてもらいたいと思っています。 ですから、 今は市の企画局がインターネットを通じて各方面からの提案を集めています。 集まったいろんな意見をオープンにして、 その中から何がいいのかを考えていきます。 民活で何かあれば考えていただきたい。
鳥越:
例えば、 建物をあまり奇抜にしないという規制をかけるとか、 高さ制限をかけたりすると思うのですが。
中戸:
伝建地区の中の建物ですから、 それなりの規制はかかります。 何を建ててもいいということにはなりません。
鳥越:
回りの建物のように、 蔵屋敷風になるということでしょうか。
中戸:
どんな形にするかは私が決めることではないので…。 あのエリアにふさわしいイメージの建物を考えて欲しいということです。
岩田:
皆さんから意見を募っているというお話ですが、 5億7千万円で購入した建物ですし、 その利息を考えると早急に半年ぐらいで決定し、 具体的に進めていくことが必要だと思います。 どんなスケジュールで動いているのでしょうか。 決定の方法や意見のまとめ方はどうなっているのでしょうか。
中戸:
予定としては年内にきちっとしたまとめをするつもりです。 ただあちこちからいろいろ言われるんですよ。 それをどうやってまとめるかは至難の技なんです。 議会の理解も得る必要があり、 慎重にかつ速やかに進めていかねばならないというところです。
司会:
行政の内部でも東大橋家の活用は大きな話題になっているのですね。
前田(JUDI関西・学芸出版社):
外部から来た人間で自分の税金じゃないから気楽に言えるのかもしれませんが、 東大橋家のことをあまり急いで決定しなくてもいいと感じてます。 昨日見ただけでも、 玄関回りの雰囲気はいいものだと感心しました。 じっくり考えて、 少しずつ試してみるのも今の時代なら合うと思います。
倉敷が好きでよく来ています。 街を歩いていると、 大原美術館やあちこちで記念写真を撮っているのを見かけますが、 それはその場所に歴史の魅力があるから記念写真をとっているんだろうと思います。 倉敷の街の成り立ちはパンフレットを見れば分かりますが、 街を歩くだけで、 そうした歴史の魅力を感じる仕掛けが必要じゃないかと思うのです。
最近、 奈良町に行ったんですけれど、 そこには歴史を感じられるセンターがあって、 そこに行くと街の歴史が分かる仕掛けがいろいろあるんです。 そこを出た後奈良町を歩くと、 街もそんなに観光化しておらず、 自然にその街の良さを感じることが出来ました。 街の景観もわざとらしくなく作られていて、 ああいう自然さが倉敷にも必要だという気がします。
それと商店街についてですが、 私の住んでいる愛媛県新居浜市の商店街でも、 やはり郊外に出来たイオン関連のショッピングセンターのせいで壊滅状態です。 しかし、 郊外型のショッピングセンターが全ての消費者を満足させるかというとそうでもなく、 高齢者にとってはアクセスが難しいし、 巨大すぎて迷ってしまうと言います。 だから、 商店街が日常生活の中で魅力ある存在になれば、 高齢者はむろん、 それ以外の年代も集まってくるのではないかと思います。
最近、 蔵の街で有名になった川越市にしても、 日常性と非日常性とのバランスがよく取れていて、 倉敷の良い見本になるのではないでしょうか。
司会:
奈良町の仕掛けとは具体的にどんなものですか。
白石:
そのセンターに行くと、 街の成り立ちや主要産物(蚊帳)などを手に取るように教えてもらえます。 視覚的にも分かりやすく展示されています。
倉敷の場合は観光が先に来ているように思います。 もちろん、 観光だけの街ではないことはよく知っております。 アイビースクエアやエル・グレコの蔦の状態を見ても、 丁寧な管理を何十年も前からやってないと出来ないものだと感じ入りました。 表面的な観光のことだけでなく、 そういった環境共生的なまちづくりに取り組んでいることなど、 まちづくりのありようを知らせる場所があってもいいと思います。
また、 現代人は今の人工的なまちづくりや住宅にストレスを感じています。 東大橋家で、 そうしたまちづくりにはない職人技を感じられ、 しかも見るだけでなく素人も再生のプロセスに参加できるワークショップが出来ればいいと思います。 それが出来れば、 新しいまちづくりの情報発信として、 悩める他地域への励ましにもなるのではないでしょうか。
司会:
街は単なる観光施設じゃなく、 生きているんだということですね。
昨日の夜10時頃と今朝の7時頃に伝建地区を歩いてみたのですが、 開業前のUSJみたいだという印象でした。 夜は飲み屋の電気しかついてないし、 朝は搬入の車しか見えなくて、 あまり人が住んでいるという気がしない。 風景としては技術的にコントロールされていて素晴らしいのですが、 どうも芝居の書き割りのような街にも見えるのです。
もしも、 この伝建地区に職場があったり家を構えることが出来ればなかなかおしゃれなライフスタイルになるだろうと思うのですが、 現実の問題として考えると大変な費用がかかるし、 苦労があるだろうということが分かります。
伝建地区に住み続けることができなくて空き家が出る一方で、 伝建地区に住みたい、 あそこで働きたいという人もいるだろうと思います。 それをどうつないでいくかは大きなテーマではないでしょうか。 伝建地区のハード部分を優れた技術で残すことは出来ているようですが、 伝建地区に住む人や働く人をソフトでどう支えていくかは今後の課題だと思います。 税的なフォローの仕方もあるし、 そこに住み続けられたり職場として活用できるようなソフトがもっと出てきたらいいと思います。 空き家にしても良いユーザーを探す仕組みが考えられるんじゃないでしょうか。
東大橋家については、 公共のお金で買われたのですから、 観光サービスや住まいの斡旋などの公共サービスを提供する場所としてはどうでしょう。
長沼:
先ほど岩田さんがおっしゃったように、 これからは少子高齢化が進んでくることを考えると、 やはり中心市街地に人々が住みたいと思うようなまちづくりをしていくべきだと思います。 人口が減少していくにもかかわらず街の力を拡散し続けていくと、 中がスカスカになり街は壊れてしまうと思いました。
また高齢者の立場に立つと、 中心部に住んだ方が便利だし、 郊外のショッピングセンターが展開している「安くて大量」の商品も必要ないんです。 高くても良いから質のいいものを少し欲しいというライフスタイルだと思うので、 それに対応する商店が中心市街地にあって欲しいと思います。
質の良いものが中心にあれば外からも人は来てくれるでしょうし。 安くて大量生産の品物は、 周辺部に住む車を持っている人、 若い人、 低所得者が買えるよう郊外部のショッピングセンターに置くのがいいんじゃないかと思いました。
質の良いものとは何かについては評価が分かれるかもしれませんが、 倉敷の人は独特の感性がありますから、 住んでいる人自身が自信を持って良いものを選べばいいんじゃないでしょうか。 外からの評価に自分を合わせようとするのはアホらしいです。 自分に合う倉敷のイメージを各自が打ち出していけば、 それぞれは違った音色を奏でていても、 結果的に見ればオーケストラのように調和していけるように思います。
東大橋家について個人的な意見を言うと、 修復してピカピカにしてしまうのは良くないと思います。 私はくずれかけた蔵が好きなのですが、 そんな空き家を見ているとどんな人が住んでいたのかとか、 昔の人はどうやって暮らしていたんだろうとイメージがふくらんでくるんですよ。 新しいものを見たら「ああきれいだな」で終わりますが、 蔵のくずれかけている部分を見ていると「雨があたってこうなったんだろうな」と思ったりして、 自分の思いがどんどん膨らんでいって面白いんです。 できれば古いままで止めておくことは出来ないのだろうかと思いました。 その上で、 何かに使えることが出来ればと思います。
小野(倉敷市本町):
まず東大橋家について。 市が購入したのは昨年の今頃でしたが、 私はよくぞ市が買ってくれたと大賛成です。 変な企業の手に渡るよりは、 市が持った方がずっとましです。 目先の事だけ考えればいいというものでもないので、 5年ぐらいなら多少時間がかかってもいいから、 じっくり考えて活用内容を決めていって欲しいと思います。
また6億円近くかかったと言いますが、 重文指定の大橋家のすぐ西側にある「阿知フラワーポッケ」、 あれなんか5億円もかかっています。 バブルの頃にあの場所でホテル計画があって、 それに反対した市が「背景保全条例」をかけて、 そのためにホテル計画が頓挫、 建設予定地を市が購入したといういきさつでしたよね。 それに比べると東大橋家はお買い得だったと思います。
阿知フラワーポッケの反対側には閉店した土産物屋がありますが、 ある業社が新築案を出し、 それが売場面積を広く取った箱の壁のような建物で、 地元の反対にあいました。 美観地区の外側なら何をしてもいいのかと思いますが、 それめぐって市とも長い間もめていました。 商売人と行政の間には建物をめぐって対立があるのです。
それと伝建地区の空き家についてですが、 私は築後80年の4軒長屋のうちの1軒を借りて住んでいます。 家賃は6万円ですが、 それを聞くと友人は「高い」と言います。 しかし、 住む人間が納得していれば別に問題はないと思っています。 それも家主が貸す意志があったから住むことができました。 倉敷は地主の力が強いところで、 商店街の多くも地主の流れを汲む土地会社の所有になっています。
地主が強いから古い町が残ったとも言えるし、 逆にそのせいで活性化が進まないとも言えるでしょう。 商店街・保存地区とも今は空き家がいっぱいあります。 でも私の目から見ると、 地主さんは何の手も打たず「古くてもいいからほっといてくれ」という状況です。 私はたまたま貸してくれる大家さんがいたから住むことができましたが、 どうも倉敷の土地会社が活性化を妨げている面があるように思います。
助役さんにうかがいますが、 他都市と比べてその面でのご苦労はあるのでしょうか。
中戸:
答えにくい質問ですが、 その点は確かにあるかと思います。
先年東京へ行った際、 あるフランス料理店に入ったところ、 そこのシェフから「倉敷の人は倉敷が〈日本の倉敷〉じゃなくて〈世界の倉敷〉だということを全然分かってないね」といった話を聞かされました。 いろんな人が倉敷を訪れてくれているのですが、 私たちは本当に暖かいもてなしができているんでしょうか。
倉敷には年間3百万人が訪れています。 チボリ公園の入場者も年に130万人です。 よその都市なんて30万人の観光客を誘致するのに四苦八苦しているんです。 ところが我々倉敷には、 その10倍のお客さんが来てくれているのです。 なのに、 駅から伝建地区までのわずか600mを快適に歩ける工夫をしないのかと私は大変歯がゆい思いです。
駅前の中国銀行の隣に商店街の入り口がありますが、 私はそこを入ろうとする観光客を見たことがありません。 たいていは入り口まで来て、 きびすを返しています。 パット見たイメージが暗いんです。 アーケードを取り払って明るくするだけでも、 だいぶイメージが違ってくると思うのです。
商店街の中にも明治時代のいい建物があるのですから、 それを上手に生かす方法を見つけていただきたいと思います。 人が歩くのに快適な環境は何かをぜひとも考えて欲しいところです。
阿智神社の境内の本殿の近くに「鶴亀の石」と呼ばれている石組みがあります。 これは神社の庭園が出来る前からあったもので、 太古には神が天からその石に降りてくる「いわくら」として使われていたようです。 よそでは見られないほど古いものが倉敷にはあるのです。
そんな話をすると、 地元の人でさえ「そんな古いものがあるのか」と驚きます。 もともと、 この地は朝鮮半島から渡ってきた阿知使主(あちのおみ)一族が切り開いた土地で、 その中心として神を祀ったのが阿智神社なんです。
残念ながらその方面の歴史や知識は今の倉敷ではあまり知る人もいませんが、 神社の上がり口にはおいしい蕎麦屋や民芸品を売る店があって、 いい町並みを形成しています。 なんとか町並みと神社をつなぐ工夫ができないでしょうか。
昔は阿智神社の境内から瀬戸内海が見え、 倉敷の街も一望できたそうです。 今は樹木が茂りすぎて見通しが悪くなっております。 鶴形山一帯の緑は大きな財産ですが、 少し間引いてやれば素晴らしい展望が開けます。 阿智神社一帯は今は倉敷市が土地を借用して公園にしておりますが、 もうちょっと上手に空間を利用して人々が観光に来てくれるようにできないかと思います。 伊豆の修善寺のように、 自然を上手に生かした空間になれば素晴らしいと思います。
久しぶりに倉敷の街を歩いてみて、 やはり豊かな景観だなと思っています。 三つほど提案したいと思います。
ひとつは東大橋家について。 この活用法については地元に住んでいる皆さんがお決めになるのが一番いいのですが、 外から来た人間の立場で言うと、 もっと情報サービスが受けられる施設があってもいいと思います。 年間3百万人も来るのですから倉敷の良いところを分かりやすく知らせてほしい。 特に国際都市なんですから、 国際交流の場になるインフォメーションセンターであったり、 いろんな人が使える広場的なもの、 資料提供が出来る場にしてもいいと思います。
建物について言うと蔵や長屋門はそのまま保存しても、 あれだけのスペースがあるなら伝建地区以外のいい建物をうまく移築して使うなど、 いろんな手法があろうかと思います。 いずれにしても、 あの場所にふさわしい手法で開発されるべきです。
また、 公共施設は無料で使用するものが多いのですが、 100円(ワンコイン)で利用できるという制度も考えたら、 年間3百万人×100円で年3億円の収入になり、 すごいことが出来そうです。 その場合、 市役所が全面に出て管理・運営するよりは、 地元の皆さんや伝統芸能に携わっている方々が中心になって情報やイベントの提供をする方が、 助役さんが言われた「もてなし」の場になるような気がします。
二つ目は、 今山本さんも言われた阿智神社についてです。 昨日、 阿智神社から倉敷の街を見下ろして、 こんなに綺麗に一望できる所は他にないと思いました。 あそこにあるミニ公園を展望広場として整備されたら素晴らしい空間になると思います。 ただ、 あそこにある電柱はいただけない。 修景柱にする手もあるし、 広いところですから別に移すことも考えて欲しいと思います。 観光のためというだけでなく、 地元の人にとっても素晴らしい空間になる可能性があると思います。
三つ目は、 伝建地区から駅前までの地区です。 今回のテーマである「古の中のアヴァンギャルディズム」という言葉に関連してですが、 アヴァンギャルドという言葉から考えると「地」のものだけでなく先進的で一風変わったもの、 海外のものを持ってきて土地なりにアレンジすることかなあと解釈しました。 そういうセンスが倉敷の人にはあって、 僕らから見るとうらやましくなる過去の実績がたくさんあります。 そんなセンスをまちづくりに生かせば、 自ずと駅とのつながり方も出来てくるような気がします。 600mを部分的からでもいいし、 例えば楢村さんがされたような古民家再生をひとつ、 ふたつと増やしていくといった形で修景していけば、 10年で素晴らしい街になると思います。
長沼:
テーマについて補足説明いたします。 私が言いたかったのは、 古いものを新しく解釈するということです。 古いものをそのまま受け入れるのではなく、 全く新しい解釈を加えて次の世代につなげていきたいと思っています。 その新しい解釈をすることを「アヴァンギャルド」という言葉で表現したというわけです。
西(JUDI関西):
昨日、 楢村さんとお話ししていましたら、 楢村さんの事務所は地主さんからただで敷地を提供してもらっているとのことでした。 地元から強い支持を受けていることがよく分かります。 一方、 楢村さんも自分でもお店を一軒経営されているということで、 濃厚なつながりの中で地域が維持されていると感じました。 楢村さんは、 同じ地元といっても児島・玉島・水島のことは分からないから、 自分が自転車で行ける範囲内で仕事をしたいとおっしゃっていたのが印象的です。 今気になっているのが阿智神社の麓のあたりや商店街などだそうで、 美観地区の外側で仕事をしたいという意識なのだろうと思いました。
少し、 私の個人的な意見を言うなら、 長沼さんが言われたアヴァンギャルド的な仕事は、 伝建地区じゃなくてその外側だったら出来るように思います。 商店街もあまり伝建地区の白壁にこだわらずに、 それこそコンクリートの打ち放しをするぐらいの冒険心を持っても面白いと思います。 伝建地区とは雰囲気の違う空間を作った方がいいんじゃないでしょうか。
と言いますのも、 私が住んでいる京都市では和風や京都風にこだわるあまりに、 建物や空間の雰囲気を読み損なって、 無理矢理「和風にしたマンション」が建ってしまうことが多いからです。 京都の町家のベースの色はもともと「じゅらく色」と呼ばれるベージュ系なのですが、 どういう訳かマンションの入り口だけが白壁になっていて、 「はい、 和風にしたからいいでしょ」とすましているのを見ると、 とても不愉快な気分になります。 わざとらしい和風や間違った伝統を押しつけられるよりは、 少し崩してみるのも楽しい空間になるんじゃないでしょうか。
みなさん、 どうもありがとうございました。
では最後にお二方から、 まとめコメントをいただいてこの合同セミナーを締めくくりたいと思います。 ではよろしくお願いします。
丸茂(JUDI関西・関西大学):
まずはアヴァンギャルディズムというテーマについて僕なりの解釈をさせてもらいます。 それは、 美観地区から回りの一般市街地へ攻め込む前衛基地として位置づけられるということです。 だから、 美観地区の入り口にある東大橋家は美観地区の景観を体験した後にそこから出ていく人に対し、 「回りの街をどうしたらいいか」と問いかける場にすることも考えられます。
美観地区と一般市街地の境目に位置する建物に、 アヴァンギャルドという言葉はまことにふさわしい。 伝統から現代の都市にどう挑戦していくかを体現できる場所になって欲しいと思っています。
山本(倉敷市商工会議所):
個々の問題については、 皆さまのご意見を参考にさせていただきたいと思います。 貴重なご意見を賜りましたことに、 心よりお礼申し上げます。
倉敷全体について私の感想を申せば、 いろんな経過を見ていると街がバラバラに開発されてきたように感じます。 よくいろんな人から「どんな街にしたいのか」と聞かれるのですが、 やはり美観地区は守って行くべき所だという位置づけをはっきりさせた上で、 市民がその共通認識を持つべきじゃないかと思っています。 市民の共通認識の中から、 東大橋家の利用のあり方も出て来るんじゃないでしょうか。 開発の仕方もそれを尊重したやり方で行うべきです。
また、 倉敷の観光についてですが、 私も観光の原点はホスピタリティだと思っています。 自分の街を誇りを持って紹介できるためには、 住む人が自分の街を良く知り、 満足して住んでなかったらホスピタリティも出てこないでしょう。 やはり良い街をつくることが観光につながるのだと申し上げて、 私のコメントを終わりたいと思います。
司会:
2日間にわたり合同セミナーを開催しました。 みんなで話し合うことで、 倉敷の将来もおぼろげながら見えてきたのではないかと思います。 東大橋家の再生のあり方が、 将来の方向を暗示しているのかもしれません。
今回のセミナーは、 中国ブロックの人に積極的に動いていただき、 倉敷市役所の方々にも全面的にご協力いただきましたし、 藤木工務店も応援に駆けつけてくれました。 おかげでとても良い会になったし、 成功のうちに終えることが出来ました。 関係者の方々全てにお礼を申し上げます。 ありがとうございました。
長沼:
大勢の皆さんに来ていただき、 感謝します。 こんなにも倉敷を話題にしていただき、 倉敷も喜んでいると思います。 ありがとうございました。
所有者が負担に耐えきれなくなるとき
加藤(JUDI東京・日本都市総合研究所):
人口を郊外に分散させるより、 都心に集中させるべきでは
坂本(倉敷ケーブルテレビ):
商店街のあり方を根本から変える必要がある
吉野(JUDI関西・DAN計画研究所):
無電柱化と舗装について
加藤:
東大橋家の活用について
鳥越:
倉敷にふさわしい施設とは
白石(JUDI四国):
倉敷のイメージと問題点について
堀口(JUDI関西・アルパック):
阿智神社をもっと活用したい
山本利幸:
倉敷への提案
伊藤(JUDI中国・出雲市):
まとめコメント
司会:
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(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
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