質疑応答
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私は遠慮深いので、 いつもはあまり話さないのですが、 今日は話を聞いていてとても腹が立ったので、 前回のセミナーで色々お話した事も加味して意見させていただきます。
まず『日本の都市空間』という本の捉え方が基本的に全く間違っていると思います。 あの本は原風景を提示しているわけではありません。
あの中で使われている言葉は例えば「構成の要素」だとか「場の要素」だとかいうように、 全部抽象化されていますが、 それはデザインするためのボキャブラリーを日本の都市空間の中に探していただけであって、 そこには保存やストックといった意識はあまり無かったと思うのです。
それで、 日本の都市空間の中にも使えるデザインの道具は沢山あるという事を示したというのはわかるけれども、 デザインサーベイが盛んになり、 保存の話が出てきたのはその後です。 こんなに良い空間があるのに、 どんどん消えていくじゃないかという街並み保存の動きが出てくるのはそのずっと後ですよね。
ですから、 あの本がある種の日本的空間を創る事を主張しているかのごとく、 あるいはそういったものの保存を唱導したかのごとく位置づけるのは間違いであって、 そのボキャブラリでやらなくてはいけないという話ではまったく無いと思います。
井口さんが今日見せてくれた風景には、 人間の作為みたいなものが感じられませんでした。 一方僕がヨーロッパ、 特にイタリアに行っていつも思うのは、 やはり人間の意志が都市の空間をつくるということであり、 自分もこういう風につくりたいという思いでした。 僕は井口さんはそういう発見をしてきた人だとずっと信じていたのです。
それが今日の話では、 要するに「できてくる」「勝手になる」風景にも結構良いものがあるじゃないかという話をされたわけです。 井口さんは日本人だなあと思いました。
それで、 今日出されたのは前回セミナーのカテゴリで言うと、 風景に対する態度として挙げた五つのうち、 「極相」の風景を肯定する立場と「詠む」風景で、 作為的につくった「装う」風景とか「作法」が育む風景、 あるいはアートのある風景ではない。 これではまさにイタリアの都市空間が持っている性質とは全く逆のものではないかと思ったわけです。
だから、 日本の都市がダメだと絶望して、 イタリアに行かれて、 そこで何か悟って帰ってこられて、 という全体のストーリーが、 僕には全然理解できませんでした。
大変痛い所をつかれました。 確かにおっしゃるとおり、 『日本の都市空間』はデザイン・ボキャブラリを集めただけで「保存」は関係ありません。 僕はその辺りを未整理のまま話していたと思います。
「1960年型」がどんどん続いていって、 一方「日本の都市空間」型をやるという社会の仕組みや意思は日本では極めて弱かった。 それは今でも基本的に変わっていないと思います。
そこで、 イタリアで見てきたようなことを日本でやれば可能なのか、 「それはできない」と思ったのです。 今日見せた仕事の中に無かったのは「出来なかったし、 しなかった」からです。
僕が評価する「日本の都市空間」型のデザインは、 この30年間につくられた都市の中には殆どありません。 それは主として都市の近景の課題であって、 僕はこの30年間につくられた都市の近景にそういうものを見ることができないのです。
この間あった明日香村の話でも、 それは確かに残っている美しさですが、 それを手がかりにしてこれからの都市空間の近景をつくろうと言っても、 それは無理だと思います。
だからこそ確かにおっしゃるようにイタリアで見たような本当に良いものは日本に無いし、 その状況はまだ続いているとしか言えません。
最初に言われたことと関係すると思うのですが、 「保存」と「つくる」こととは全く違う側面があります。
「ストック」はこれからつくる物であって、 これまでつくった物はストックではないという考え方は、 基本的に「フローの思想」だと思うのです。
井口:
それは誤解です。 僕の言っているのは今あるものは全部置いておいて、 そこに重ねていくストックなんです。 だから保存はストックの一部にしかすぎず、 したがってストックの中に保存は当然含まれているのです。
その新しいストックがスクラップ・アンド・ビルドを前提にしては絶望的です。
残念ですが時間がありませんので、 このあたりでお開きにしたいと思います。 ありがとうございました。
『日本の都市空間』は原風景の本ではない−丸茂
丸茂:
井口さんは一体何を勉強してきたのか!?−丸茂
もう一つはちょっと挑戦的な言い方ですが、 井口さんはイタリアで一体何を勉強してきたのでしょうか。
イタリア的な美は日本の都市デザインにはないし無理なのです−井口
井口:
僕は『日本の都市空間』に出ているデザイン.ボキャブラリーや、 イタリアで色々考えた事が役に立たないような都市開発、 都市デザインの現場に居たと思います。 そしてそこでやったデザインは「1960年代型」なのです。 しかしこれは僕だけの問題ではなかったと思います。
ストックの捉えかたが違うのでは−丸茂
丸茂:
日本の歴史が始まってから今までの全てをストックの対象とした上で、 そこに新しいストックを未来に向けて積み重ねていくということです。
ストックの志でこれからのものをつくっていこう。 これから膨大なものをつくる筈の日本では、 そのストックが特に重要だと1973年にイタリアから帰ったときに考えていたと言いたかったのです。
松久:
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