モデルとしての眼前の都市風景
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井口勝文・佐々木葉二氏 対談

 

 

松久

 井口先生のお話では、 我々の次の世代のための原風景が今の都市にあるかというのが一つのキーワードでした。 沢山の事例を見せて頂いて色々ヒントがあったと思いますが、 それについてランドスケープ・デザイナーの佐々木さんと対談していただきたいと思います。


感性か、 理性かを問われたのですか?−佐々木

佐々木

 ランドスケープデザインをやっております。 2年前から井口先生と同じ京都造形芸術大学でも教えています。 お互い仕事を持ちながら京都にいることもあり、 なかなか面白い会話を交わしつつおつきあいさせて頂いています。

 大学では井口さんほどオープンマインドに人の話を聞ける耳を持っている人はいないし、 彼は大変聞き上手、 話し上手な方です。 ところが一方でその裏に頑固な所がありまして、 今日のスライドを見せて頂いても、 やはりそうだったと確信致しました。

 さて、 まず今日のテーマについてですが、 議論すべきは井口さんが間違ってるかどうかといった話ではないと思います。

 私なりに考えた事があるのですが、 一つ目は井口先生が大学に入られた頃、 私はまだ中学生ぐらいでした。 私が大学を卒業する頃には「大阪の企業に就職するならやはり竹中かな」と漠然と思っていました。 その頃の風景がOBPなどいろんな話から見えてきて、 わあ、 当時こんなことやっておられたんだ、 と思いました。

 ところが後半になって見せて頂いたスライドやプロジェクトにはもう私と競合しているものもあるのですから、 若い人には「10年なんてあっという間だ、 すぐに同一戦線になれるぞ」と言いたいと思います。

 それに加えて、 ものを創る世界では、 たとえ相手がコルビジェやライトやミースといった私たちが偉大だ偉大だと言いながら後を追いかけてきた人でも、 ただ有り難がるのではなくて、 客観的に見て評価すべき事は評価すべき、 批判すべきは批判すべき時が来ているんだとも思えたのです。

 二つ目はいくつかありました。 これを言うとちょっと問題があるかもしれないのですが、 ルイス・マン・フォードが70年代に様々な事を書いた中で、 実は「文明の傷」という話をしています。

 これはメガストラクチャーの都市を創ることは、 すなわち機械化の都市を創る事であって、 どんどん人間から離れていくと彼は批判し続けていて、 それによって産み出されるものが実は「文明の傷」であると言っているのです。

 また、 ケビン・リンチも同じく70年代前後に数多くの本を書いています。 彼が亡くなる直前に出版した本が『廃棄の文化』です。

 彼は「都市のイメージ」というキーワードで都市の構造をずっと追い求めながら、 最終には「廃棄」という、 文明が産み出した影ともいうべきものについて、 それは本当に影なのか、 そこにこそ思想があったのではないかと極めて切実に問うたのです。

 実は今日のスライドの中にはそれら2つの課題へのアプローチがあるかなと見ていたんです。 最後に少し出てきてホッとしましたが、 ただ、 その見方が私と少し違いました。

 最後のスライドのところで、 近くに寄れば美しいが、 少し離れると客観性を持つことができる。

 また「中景」の美学という形でも言われました。 そこで語られた建築のオーダーや壁面の構造、 インダストリアル・パースペクティヴの美しさというのものは、 実は「ミニマリズム」の美しさではないかと思います。

 都市の中景は建築や街の骨格構造を創り出しますし、 遠くから離れて見ると建築はハコではなく、 その一つの側面が壁に見えます。 また壁と同じように、 その中に穿たれた窓の配置もミニマリズム論理におけるシリアリティ《系列性、 連続性》のデザインとして見ることができます。 そういった美しさに感動されたという話もよく理解できます。

 ミニマリズムの美しさは都市という大きな構造体の美しさを表すだけでなく、 もっと近づいていくとテクスチャーがよく見えて、 その部分に人の手肌が感じられるのです。

 あの最後の捨てられた屋台の風景にぐーっと接近していくと、 ある種の時間や文化といったものの蓄積が感じられて美しい。 しかし、 そしてそこから離れると今度はもっと他の素材も見えてきますから醜くなる。 すなわちそこに感性から離れて理性が見えてくるというわけです。

 アリストテレスは感性と理性というものを明確に分けていますが、 私は今日の話を聞いていて、 感性は「モノ」を対象にしていて、 一方理性は実はよりもっと心の中にある「普遍性」とでもいうべきものを対象にしているのではないかと思いました。

 そうすると井口さんにおける「都市の美しさ」とは《感性と理性の》一体どちらに重心を置いて見ておられるのかという疑問を最後に持ちました。


確かにモノにはこだわりますが−井口

井口

 人間に関して〈感性と理性〉の問題は「どちらか」ではなく「どちらも」であると思いますから、 都市の場合も当然「どちらも」にならざるを得ないでしょう。

 そのことを街の中のゴミを例に取り上げて話したつもりです。

 私達が都市をデザインするときに自分の感性と思いこみだけでやってはいけない。 佐々木さんの言葉で言えば普遍性のフィルターを通さなければならないという事を言ったつもりです。

 
 「モノ」の話をさせてもらえば、 私は本来物質主義ですから、 とにかくモノが人間に与えるインパクトの強さを最も重視します。 それはもちろん素材感でもあるし、 あるいはただ「ある」というだけでエネルギーを感じさせる存在感であったりします。 それはモノをつくる仕事としては一番の基礎であり、 感性のベースだと思っています。

 奈良と京都のどちらの建築が好きかという話をよく例えに使うのですが、 私は圧倒的に奈良が好きなのです。 何故かというと、 法隆寺にある手斧(ちょうな)、槍鉋(やりがんな)で削ったあの大きな柱はもう木そのものの存在感をあそこで見せてくれますし、 それを前面に出しています。

 それに対して京都の数寄屋というのは、 これは村松貞次郎が言うように、 いわゆる大工の鉋(かんな)の技術が現れて以降、 表面の表現を重視する新しい価値観でできているのです。

 平安時代に鎖国してその後日本独自の文化というものが室町時代あたりから出てくるわけですが、 そのときに出来てきたのは木そのものではなくて、 鉋で表現された木の表面、 あるいは表面仕上げの美しさでした。 名人が削った板を二つ合わせたら中に空気が入らなくて離れなくなるというような事を賛美する美しさです。

 ちょっと言い過ぎかもしれませんが、 私はそれはプリント合板を木の代わりに使っても何とも思わない価値観に繋がっているのではないかと思うのです。

 プリント合板と木ではもちろん違いますから、 モノそのものの存在感を求めること、 物質主義は、 実は釘一本でも300年前のものか今作った釘かという具合にモノに徹底的にこだわるヨーロッパの文化そのものです。

 日本の伝統的建造物保存地区というのは様式保存ですが、 ヨーロッパでは物質保存が基礎です。 このように文化の根幹に関わるという意味では、 佐々木さんのおっしゃるとおりだと思いますし、 僕はそういう意味においては「モノの素材感」というものは都市のデザインにおいても非常に大事だと思っています。


原風景となってもストックとなったとは限らないでしょう−佐々木

佐々木

 それはその通りでして、 また井口先生がおっしゃられる「ストック」の話に繋がっていると思います。

 そのストックの話をしたいのですが、 本当に我々はストックしてきたのかという前に、 色んな意味で我々にはヨーロッパとは違うストックの概念があると思います。

 切通理作さんと丸田祥三さんの『日本風景論』の中でも、 我々がそう大したことはないと思った風景の中で育ってきた彼らが、 それを原風景として見ているという事から、 これはビッグプロジェクトの成果があったのではないかと言われました。

 そこで、 あえて違う視点でお話したいのですが、 まず基本的には「それは本当にストックなのか?」という疑問を出したいと思います。

 ただし「原風景」にあまり大きく依存しない方が良いと思います。 というのは原風景はプラスの意味を持つとは限りません。 哲学者の桑子敏雄さんが「原風景とは感性によって自分独自の物語を発見できるものである」と定義づけられていますが、 言いかえれば、 自分で発見できるものなら何でも原風景になり得るのです。

 ですから人間が最初に関わった空間、 そこで育った空間、 そこで獲得した体系的な知識は、 慣れもあるし、 いろんな発見もあって原風景になっていきますから、 「原風景だからストック」になるという事ではなく、 その前にそれは本当に都市という「共有のストック」であったのか、 日本の都市における「共有性の風景」があったのか、 といった事を問うていかなければなりません。

 例えばイタリアの街角の中にある壁と道の美しさ、 それからすり減ってくる石畳というような《良い》形での原風景の共有性とは違うものも多様にあったと思うのですね。 その辺りを認識してフィルターを通していかないと、 我々は都市をデザインすることはできないと思います。

 スライドを見ていますと、 モールにおけるレンガの小端立ての話ですとか、 足下をよく見ておられます。 それを「路盤の存在感」と言われていましたが、 私がランドスケープの学生に教えるときにはそれを「フロア・スケープ」という言い方をしています。

 足下を見ていくことは、 「歩く事の復権」でもありますし、 その意味からもヨーロッパの街の良さが日本の街にもあるのではないかと言われたような気がしました。 それは大企業で大プロジェクトに取り組まれながらも、 そこにはないヒューマンなスケールと質を得ようとする戦いの中で獲得してこられた井口さん独特のアプローチだと思い、 そこには私は共鳴します。

 しかし近代文明が請け負ってきた傷跡は、 実は賞賛された高速道路を一皮むけば、 あの裏に巨大なゴミの空間と汚水と汚濁する大阪の川があるのです。 まだまだきれいになっていません。

 あの反射する光が原風景だと言えば確かにそうですけれども、 『泥の河』という映画になった昭和30年代あたりの、 あの大阪の原風景とはまた違うんです。 意味が。 我々の失ったものと、 それから場所性というもの、 大地からどんどん離れていき、 超高層が創り出した原風景もある。 原風景にはこのように、 そう簡単に言い切れないと思うのですが、 それはどう思われますか。


しかし、 新しい原風景を持った世代が確実に生まれているのです−井口

井口

 それをその通りだと言ってしまうと話の展開が面白くないわけです。

 先程の切通理作さんの体験に、 日本のビッグプロジェクトの代表である新幹線の車体が公園に放置されボロボロにはげてきているという風景があって、 それに強烈な印象を受けたそうです。 そのようなものも彼らにとって原風景になっているわけです。

 彼らの風景体験とプロジェクトがビッグであったかどうかは全く関係ない。 様々なプロジェクトが進行した高度成長の30年間に生れた風景が、彼らの原風景でもありその後の決定的な風景体験になっているということです。

 人には、 いわゆる原風景と、 先の切通さんの例のようなその後の体験風景とがあって、 その様な風景体験によって自分のものの見方や感性ができてきたという事には納得がいきます。

 ただ私の世代は『日本の都市空間』という雑誌の中に原風景を見いだすことができる世代なのだと思います。 もちろんある人は裏町、 ある人は清水寺であったりという幅はあると思います。

 しかし切通理作さん世代は、 あの本にあるものは何も持っていないと言って良いでしょう。 そういう世代が主役になってきているのです。 ですから彼らがイメージする都市と我々のイメージする都市とは全く違うものだろうと思います。


とは言っても、 原風景なんてバーチャルなものです−佐々木

佐々木

 確かに『日本の都市空間』はうまくまとめてるなあと思いましたし、 私達もそれで勉強した時期もありました。 しかし、 原風景はそこにあったとは思えない。 実際には、 もっとバーチャルなものだったと思います。

 現在ではメディアを通してバーチャルな世界観が入ってきています。 「兎追いしかの山」などふるさとを全然見たことのない世代でも、 「ふるさと」の歌を聴いて日本の里山の情景というものを感じることができます。 また雑誌というのはメディアの最たるものですから、 若い世代だけでなく、 我々だって『日本の都市空間』を見て、 それを日本の原風景と見てしまう事もあります。 それはしかし、 イメージの割り込み(インプリント)なのではないでしょうか。

 このように、 原風景のみを切りフダにすることは出来ないのではないですか。

 ちなみに吹田の再開発の件でも、 井口先生はビルと民家のコントラストが美しいとおっしゃいましたが、 現実にはこの辺りに住むおじさんやおばさん達に「あんな高い壁ができて困る」と言う人もいるわけです。

 とにかく現代都市をとらえるならば、 あまり楽観的になりすぎず、 文明の傷というものもきちんと見つめる必要はあるのではないでしょうか。


だからこそ、 自分の感覚から出発すべきなのです−井口

井口

 メディアによる原風景という事まで正直言って考えていませんでした。 なるほど、 それは良くないですね。

 ますますサイバーシティになり、 それがひょっとしたら原風景になってしまうかもしれないと思うと、 ぞっとします。

佐々木

 コルビジェの描いた未来都市像なども、 我々が仕事をしてきた中に投影されているかもしれません。 そういうバーチャルなモデルは本当なのか?という批判の目を持ち続ける事が大事であって、 そういった問いはもっと声高にやらないといけないと思います。

 人間しか象徴(シンボル)をつくれないのだから、 シンボリズムに対する批判を常に持ち続けていなければ都市デザインというものは未来性を語れないのではないでしょうか。

井口

 僕自身それを確かめるためにイタリアに行き、ユーラシア大陸を歩いたのだと思います。 自分の目で見て自分で感じるということです。

 マルセイユやベルリンのユニテを「都市」だとはとても思えなかったし、 イタリアの小都市の空間の魅力には圧倒されました。

 夏目漱石の書簡集『私の個人主義』という本がありますが、 彼はロンドンに行っていろいろ考えた末その本を書いたわけです。 ロンドンは日本とは全然違ったのだと思います。 そして「自分の感覚から出発するしかないよ」というところに進んでいく。 この結局自分がどう感じるかが私の個人主義だという部分はまったく同感ですね。


ところで新しい都市の連続性は、 すでにあるのでしょうか−井口

佐々木

 ではより理性的な普遍性はどこにあるのか、 理性の物語を20世紀を通してやってきたわけですが、 失敗してますよね。 どのスケールで、 どの立場で語るべきなのか、 感性と理性とのバランスについて、 どう思われますか。

井口

 それについては、 僕は逆に佐々木さんに質問したいのだけど、 私の今日のテーマは「新しい都市の連続性」です。 共有できる美しさという意味で「連続性」と言っているのです。

 今日のスライドをみんなが美しい、 確かにそうだねと言ってくれたら、 皆がある意味の連続性をもって、 我々の街をつくれるようになる。 しかし、 その様なものを我々はずっと持っていなかった。 今も持ってないでしょう。 だけど、 僕はその街に美しさを見た、 美しさがあるだろうと示したわけです。 その美しさを佐々木さんも共有したら、 離れた場所でそれぞれ仕事をしていても、 ある連続性を持つことができるかもしれない。

 僕は関西の建築家の中では出江寛さんが好きなんですが、 彼がわかりやすい言葉で「普通性を高める」と言っています。 建築家協会は特定の建築の事ばかり言っているのではない、 普通の建物を良くしていくのだ。 それが協会の務めなのだと言っています。 私も常々そう思っています。 ここで話題にしたいのも「普通性を高める」ということです。

佐々木

 共有の美というものがあるということと、 普通性があるというのは違うのではないですか。

井口

 共有出来る美をもてれば普通性が高まると言えると思います。


連続性(共有の美)という目的自体が間違っています−佐々木

佐々木

 しかし客観的に見ると、 出江さんの建築は、 井口さんが言われる程普通じゃないと思います。 僕は好きですが、 そうでない人もいる。 あれを共有の美だとは言いにくいのです。 しかし住宅ならそれで良いんです。 住人が納得して好きな空間に住むんだから。 アートというものはそのように個別性をもっているんですよ。

 また、 共有の美というものがあるかというと、 僕はそういうものは、 都市美の基本になってはいけないと思う。 美っていうのは、 文化であり、 芸術の対象です。 芸術というのは、 オリジナリティと個性を基礎にしていますから、 共有はそれを喪失することになりませんか。

井口

 今、 佐々木さんが言われた出江さん個人の話しは特別の人の話なんです。 普通性というのは99%の普通の人がデザインして、 それを並べたら結構良い街になっているね、 というふうに我々が言えるかな、 言えればそのところが共有の美だけど、 という話をしたんです。

佐々木

 そろそろ本音が出てきましたね。 それは結集論から美のイメージを共有できないかということなんですよ。

 「普通性」と似た意味で「大衆性」という言葉があります。 先程ショッピングセンターが大嫌いとおっしゃっていましたが、 商業というのは最も大衆的なものです。

 例えば僕が基町クレドを設計したとき、 最初のプレゼンテーションをやったとき、 施主側から「きれいすぎる。 もっと俗っぽくって猥雑でないと商業なんて儲からない」と言われました。 それでちょっと手を変えていって猥雑にしていったわけです。

 そこには、 商業には商業独特の操作された「普通性」があります。 アートのようなオリジナリティとは違って、 一般大衆を呼ぶための大衆美学です。

 ですから「美」というものに共有性を求めると言われますが、 井口さんの共有の美とは、 バロック的美学であり、 混沌(カオス)の美や多様性の美ではない。 それを見ないと、 都市のコンテクストが読めない。

 また美の内情も作家とかモノをつくる人間によって違う。 AからZまで同じ事をやるなら作家など必要ありません。 しかしアーバンデザイナーとして考えるならば、 共有空間は出せるだろう。 空間性は。 言い換えればそこから発生する出来事が保証される空間性があれば、 モノの形やディテールではなくて場所性が出てくる。 だから、 アーバンデザインでは美しいとか醜いとか、 好き嫌いからは本当に都市を理解できないし、 共有の美というパターンを求めることは危険だと思うんですね。


それは私の主張の全否定です−井口

井口

 それは「都市の連続性をとにかく創っていこうよ」という僕の基本的なスタンスと全く逆ですね。 私は自分が天才だと思った人が創ってきた街でも、 よく見てみると意外と共通のものがある。 そこが手がかりになると示したかったのです。

 ということは、 僕ははっきり言って、 美しいなあということを皆で共有できる風土や街を求めているのです。 そういうものができて初めて都市は文化を持ってると言えると思うのです。 今の日本の都市には文化は感じられないと言われることが多いのだけれども、 しかし今日は「どうもなんかありそうだ」という話をしたわけです。

 今の佐々木さんの話だと、 そう言うものを見出していこうとか、 共感しようという姿勢はない、 と聞こえるんですね。


井口さんの感性で共有の美を押し付けられても困るのです−佐々木

佐々木

 そうではないのですが、 今日見せて頂いたのはあくまで井口さんの「美のモノローグ(独白)」であって、 共有の美をモノローグで語ってはいけないと思うのです。

 言いかえれば「美」という言葉がモノローグで語られるのが問題なんですよ。

 NHKから撮られたあの大阪城周辺の俯瞰の写真を見て、 僕も確かに美しいと思いました。 しかしあれは、 建築のように個人の意志ではなく集団の意志の操作結果です。

 なぜかというと、 あの空間構造はセントラルパークと発想が一緒なんです。 セントラルパークはイーストサイドとウェストサイドにずーっと高層住宅の混成郡がつながり、 その前にセントラルパークが広がりのある緑の空間として存在している。 セントラルパークは混沌のある混成建築を水平の秩序でまとめる構図のあり方として美しい街を創っています。

 そこで、 私が思っている「共有の美」の問題を整理しますと、 共有という理想を押し付けるのではなく、 多元的な美にこそこれからの都市デザインのあるべき姿だと思うのです。


私は十分に理性的に判断しているつもりです−井口

井口

 そうすると僕が最後にゴミを見せた話になっちゃったじゃないですか。

 今日僕は自分が美しいと思っている風景を皆に見せたわけですが、 それは僕が思っているだけで、 それを一歩引いて客観的に本当に美しいかどうかをを検証していくのが我々の仕事だ。 そのうえで共有という話をしないといけない、 そのことが大切だと僕は言ってるのですよ。

佐々木

 僕は全く対立する気はなく、 話を整理してるつもりです。

 あの銀行街が美しいというのは、 また逆の意見の人がいると思います。 言ってみればあれはヒットラーが好んだ空間であり、 いわゆる新ベルリン計画もそうだし、 シュペーアも皆そういう事でやっていったと思うのです。

 実は、 美学というものの持っている「秩序性」というようなものに対する恐れもあるのです。 ですからそういったネガの部分も含めて語らないといけないわけですし、 だからこそ独白では無い形で話を進める事ができたときに、 初めてものになっていくと思います。

井口

 そこで僕は佐々木さんに「僕は思うけどあんたは美しいと思うか」と聞いてるわけですよ。

佐々木

 だからそれは「美しい」という表層の言葉で語れるような単純なものではないんです。

井口

 いやいや佐々木さん、 それではちょっと夏目漱石から離れていくね。


あの銀行街が美しいとは、 やはり言いたくないのです−佐々木

佐々木

 それはいいから、 ともかく話を前に進めようよ。

 都市の中は「美しさ」だけでは語れない部分があると思うのですが、 とりあえず形の美しさだけを語るなら、 形は美しいと思います。

井口

 共有できますか?。

佐々木

 共有できます。 最初からミニマリズムというというところにおいては共通性があるのだから一定、 共有していると言っていたつもりですが。

 しかし都市の中心部にあの銀行街のような風景があることについては、 僕は反対ですね。

 あれが中心があることで夜の街が何であんなに冷たいのか、 もっと違うところにあってもいいんじゃないかな。 そこに「美しい」という共有感を一致させても意味がないと思うんですよ。

井口

美しいけどもそれがその場所にあって良いのかという問題ですね。  
そこが大事なところで、 この場合、 僕はそれでいいと思ってるんですよ。

佐々木

 西ドイツからベルリンの壁を通って東ドイツへ行くとああいう風景がダーンとあるんです。

井口

 僕はあれは日本独特の風景だと思っています。

 私はあの銀行の裏の風景がきれいで、 しかもスキッとしてるところが魅力だと思うんですよ。 無機質で人を寄せ付けない、 ああいう美しさというのはニューヨークとかロンドンでは見られません。 あるいはベルリンなどでも、 ヨーロッパの裏町はどんなに寂れてもちょっと人間臭く感じられる。 しかし、 あそこは本当にコンピューターの回路みたいで人の生活臭が感じられません。 だから僕はインダストリアル・パースペクティヴというのがぴったりだという感じがしたのです。

佐々木

 我々はそれをインダストリアル・ランドスケープと呼んでいます。

 それは土木の景観に繋がる風景なんですよ。 きれいなコンクリートのよう壁、 それからダムといった、 インダストリアルな機械化によって導かれた非人間的な構造の冷たさ、 荘厳さ、 そして美しさといったものは確かにあると思います。 しかし、 そこからだけで、 都市デザインを語ってはいけないんじゃないかな。

井口

 あれが日本の経済力、 インダストリーを代表するあの銀行街にあることこそ、 見事に日本独自の美しさを表現してるなあと思うんですね。


本当にあれが普遍的に美しいと思われているのですか−佐々木

佐々木

 ですから感性でやりとりするのではなく、 理性のキャッチボールをしましょう。 話を戻すと、 あれを単に「美しい」とだけ言い切れるのでしょうか。

 例えばビッグステップにはああいう風景は入れなかったわけでしょう? それはどうしてですか。

井口

 それはあの「場所」だからです(笑)。 つまり淀屋橋の裏手は無機質で夜は人気がないのにという事をおっしゃりたいのでしょう? 私もあれがどこでもあればいいというわけではなくて、 それが集中的にあって、 それで街ができている、 あの淀屋橋のひと気の無い風景が好きなんです。

佐々木

 だから「共有の美」を普遍化する事はできないというのは、 そこなんです。


佐々木さんには普遍的な美を見出そうという意志がないのですね−井口

井口

 美を普遍化するのではなくて、 皆が美しいと思う「普遍的な美」が既にあると思いますか、 という問なんですよ。

 美を普遍化するのではなく、 我々がそこに美を見いだす、 あるいは逆に言うと、 今日の僕の一番のテーマでもありますが、 皆がそこに美を見ようという意志がなければ、 美しさというものはあっても見えないということなのです。

 「美を見よう」というのは美しいと認めようということではありません。 はじめから街の中に美しさがある、 あるいはどこかにあるんじゃないかという見方で見ない限り、 街は決して美しい姿は見せないというわけなのです。

 もしその気で見ていけば、 それが今のこのめちゃくちゃな都市の中であっても美しさは「ある」、 皆さんその気で見てみて下さいと問うているのです。 その答えがもし「そういえばあるね」ということなら、 それが共有する美だと思うんです。


美は普遍的なものではなく、 変容するものなのです−佐々木

佐々木

 それは当たり前の事で、 誰だってそうだと思います。

 ここで話を「共有の美を見つける事によって文化が成り立つか」ということに切り替えたいのですが、 美しいか美しくないかという形ではなくて、 都市文化の成熟をめざして都市の美をつくる事が目的ではないんですか。

 都市が文化として成熟できるかどうかというときに美が一つの介助になればいいと思うのです。 その文化の表層的形態として美があるのなら、 その美意識というものは今多様に変容しています。

 例えばランドスケープの世界で言うと、 きれいに整形された庭が美しかったバロックの時代から、 ピクチャレスクな自然の美が求められるようになり、 今は生態系の中のいわゆる野生の中に美を発見するのだ、 というふうに変わってきているわけです。

 このように美というのはその時代概念の中でどんどん変容しています。

 我々はそれぞれの時代の中で、 固有の美を育てていくのが文化だと思うのです。 つまりずっと変容していくんですよ。 また、 廃棄物も含めて、 それも一つの文化になっていくと思います。 その変容というものが、 また廃棄し変容し変革し再生していくというリズムが、 共有のものになって初めて、 あるいはそれが淘汰されて初めて、 僕は文化の美といえると思うのです。 つまり美は理想化されても固定されていないのです。


いや、 都市の美の様式が生まれているのです−井口

井口

 変容があればまことに結構な事だと思いますが、 僕は日本の都市にはその変容が期待出来ないと思っているのです。 明治以降の日本の都市はまだ様式をもったことが無くて、 様式の無いところに変容はありません。

ところが今、 我々はもしかしたら様式を持ちかけてるのではないかと言っているのです。

 その様式が本当に成り立つのであれば、 そのとき我々は美を共有したともいえるでしょう。

佐々木

 うーん、 今日の話では「様式を持った」というよりは「雑居の様式を持った」という感じがします。

井口

 佐々木さんは、 これはまだ様式とは言えないと思うのですね。

佐々木

 そうです。 様式とは一つのスタイルを持ち、 それがまた衰退していき、 また波が来るわけですよね。 しかしまだそこまで行ってないと思います。

井口

 それを一番聞きたかったわけです。

 僕は様式を期待できるんじゃないかと思ったのですがやっぱりまだ駄目ですか。 バブルっていうのが日本の都市にひとつの時代を画したのではないかと考えているのです。

 鳴海先生が例の本をまとめられたのが85年から95年という、 まさにそのバブルを頂点にした10年間だったわけですが、 どの都市や国をとっても、 その国の代表する文化というものはやはりバブルのときに創られています。

 そういう意味でも、 日本も案外やったのではないかと考えているわけです。

 もちろん都市の文明を持たない日本が短期間にやったことですから確かなものはほとんど無いわけです。

 それでもその気になって見ていけば、 都市の様式のきっかけみたいなものが見れるような、 少なくとも日本の「これからの都市空間」を考えていく、 手がかりが見えているのではないかと僕は思っています。

佐々木

 お互いの問いで終わりましょう。 見込みはあるかもしれない、 でも僕はまだないという気がします。

松久

 ありがとうございました。

 激論は秋のフォーラムに続いていくと思いますが、 井口さんに質問があれば2、 3受け付けますがいかがでしょうか。

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