JUDI semina 2002/9
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第2回ワークショップ報告
「100年の夢をふくらませる」

 
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下加茂神社 御手洗祭
 
 第2回ワークショップでは、 前回のヒヤリングを受け「遊び場(自由に使える場所)」「水、 緑、 自然」「マンション、 まちなみ、 景色」をキーワードに、 水と緑についてのイメージを深めていきました。

 また、 日程の都合がつかなかった方や、 さらに突っ込んだお話をお聞きしたい方に、 ワークショップの前後に個別のヒヤリングを行いました。

 また、 最後に昨年のセミナー「緑としての建築」に対するご意見のメールをご紹介します。



1−1。 小学生へのヒアリング

【緑について】

 (質問)まちなかの水と緑について、 感じていることを話して下さい。

 (彩夏さん)御所のような広くて自然が集まっている場所もあったらいいけど、 御池通のようにまちなかに木が植えてあるのも残していきたい。

 昔の御池通は、 車が通っているけど静かな感じがするのが良かった。

 (質問)改修された今の御池通はケヤキがまだ小さい。 昔はもっと木が大きくて日陰も多かった。

 それでは、 どういうふうな木のあり方がいいと思いますか?
 木があればいいなと思う場所はありますか?
 (彩夏さん)森っぽくなくてもいいけれど、 木がまっすぐに並んでいるのではなく、 自然っぽく植えてあるのが好き。

 鴨川の源流を見に行ったときに志明院というお寺に行った。 そこは道があって車が通れるようになっていてあまり森の感じはないが、 並んでる木ではなくて(色々な種類の木が)自然な感じに植えてある。 そんな木がもっとほしい。

 人工的な緑でも小さい水があって、 ちょっと休める所があればいいと思う。

 (質問)緑がありすぎて森みたいになるとまちの賑やかさ・楽しさがなくなるという人もいる。 木を植えようと思ったら植えられるけど好みの問題がある。

 例えば、 鴨川の中州に草が生えているのを見て、 いいと言う人もあれば汚いからブルドーザーで整備してと言う人もいる。 それに対して、 あなたはどう思いますか。

 (彩夏さん)自分がきれいにしたいからコンクリートにすると言っても、 他に生き物のことも考えてあげたらどうかなと思う。

 聞いた話だが中州がないと、 鳥が来ない。 鳥の棲みかが無くなってしまう。

 影響のある生き物たちの気持ちとかも考えて大丈夫だったら、 森みたいに木を植えなくても一列に並んでいてもいい。

 (質問)虫が嫌いな人もいる。 例えば毛虫があなたの服についていたらどうしますか?
 (彩夏さん)びっくりして叫ぶかも。

 (質問)虫捕りとか魚とりとかしたことありますか?
 (彩夏さん)ある。 広沢の池でザリガニとったりとか。

【水について】

 (彩夏さん)合成洗剤はすごく便利で汚れもよくおちるけど、 これ以上きつい薬、 水に影響のある薬は百年後にできてほしくない。 反対に自然に優しい洗剤がどんどん出てきたらいい。

 二十日大根使って、 水をあげる大根と石鹸をあげる大根と合成洗剤をあげる大根の3つに分けて毎日観察していたら、 水をあげた大根はだいぶ育っていって、 石鹸の方は水より育っていないけどまあまあ育った。 しかし合成洗剤のものは途中で枯れてしまった。

 生き物に影響があるという事は、 私たちの体にも害があるのではないかと思う。

【お気に入りの場所】

 
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「お気に入りのポケットパーク」
 
 (質問)今のまちなかでいいなと思う場所にはどういったものがありますか?
 (彩夏さん)目の前を車がビュンビュン通るのに時間を忘れてしまう場所がある。 そこは、 御池通の近くの、 自転車置き場を隠すために小さい花や木が植えてあって、 小さい敷地だが小さい池もある場所。

 (家の近くにある)大極殿跡の公園で、 いっぱい木がポンポンと、 (一列に植えてあるのではなく)木が「ここに居たい」みたいな感じで植えてあるのが好き。

 昔の竹間公園(学校の近くの公園)は滑り台、 シーソー、 ブランコなど遊具が少なくて、 ほとんど人もいなかった。

 それがまた1人で行ったときにも静かで気持ちよかった。 そこでひなたぼっこしたり、 滑り台で遊んだりした。 そのあたりに絵を習い始めたから絵を描きに行こうかなと思っていたけれども、 新しい公園になって描けなくなった。 でもスケッチブック持って鉛筆だけで絵を描きに行ったりする。

 (スケッチしたいと思うのは)夕焼け。 夕焼けはどこで見てもきれい。

 (質問)学校、 家以外の場所(つまりまちなかにいる時間)はどういうふうに過ごしているのですか?
 (彩夏さん)お気に入りの場所や他の場所を探しにいったりする。

 古そうな家を見てこんな家も住んでみたいなと思ったり、 また、 通学路(竹屋町通)で高倉とか堺町とかちょっとの交差点となっている間から御所の森が見えて、 春は桜でピンクになっていたり、 秋は紅葉が遠くからみてもきれいだなと思ったり、 自然の移り変わりを見ることができる。

 (質問)どんな場所を探しているのですか?
 (彩夏さん)嫌なことあったとき一人になれる場所、 おいしい空気が吸いたいなと思ったときに行ける場所、 寂しくなったときには人がにぎやかな公園。

【これからも京都に住みたい】

 (質問)大人になったら、 どんなところに住みたいですか。

 (彩夏さん)大きくなっても京都のこの地域(都心部)に住みたい。

 (なぜかと言えば)さみしくなったりとか、 一人になりたいときとかにいくらでも場所があるから。

 そういう場所がこのままなくならなかったらこの辺に住みたい。

 近所の人が、 帰ってきたときに「おかえり」とか気軽に声をかけてくれるのもいい。

 (質問)京都のどういうところが好きですか?
 (彩夏さん)祇園祭り好き。 小さい頃は山鉾巡行のときに見てたけど今は学校があるから見られない。 だから夜とか巡行の前にお囃子しているところ見にいったりする。

 (質問)百年後の京都はどうあったらいいかについて聴かせて下さい。

 (彩夏さん)「ドラえもん」のアニメのように、 車が空を飛んだりするのはまさに未来の世界だという気がするけれど、 もっと落ち着いた感じで“現在(今)"の世界のままでいてほしい。 そんなに変わらないでほしい。

 未来と思うのではなくて、 もっともっと自然が増えてほしい。 木とかがいっぱいあって…。

 新聞やニュースで強盗・殺人・火事等の記事を見て人が亡くなっていると悲しい。

 泥棒が来て殺されそうな夢を見たり、 小学校が襲われる事件があったりして、 怖くなった。 2つある鍵も1つでは不安で、 もう一つ付けたいぐらい。

 安心してすめるまち、 事件がほとんどなく、 悪い人が悪い事を考えられないようなまちにしていきたい。



1−2。 中学生へのヒアリング

 
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小学校まで根が伸びているとウワサのイチョウ
 

【まちについて】

 (マンション)

 (オープンスペース・公園について)

 (みち〜碁盤の目)

 (たまり場)

(今のまちについて)

【緑と水】

(まちの緑といなかの緑)

 (まちと水)

 (緑のありかた)

 (川と遊び)



1−3。 大人へのヒヤリング

 
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街角の水と緑
 

【京都のまちに似合う緑とは】

 京都である以上、 碁盤の目は崩せない。 それにふさわしい緑のあり方を考えるべき。

 たとえば、 ロンドンでは1階がギャラリーになっていて、 窓辺に花を植えている。

 窓らか中がのぞけて、 それを意識したインテリアがデザインされている。

 パリではローマ時代の遺跡が、 池や草花のある公園になって子供たちが遊んでいる。

 このような緑が都会にはふさわしいと思う。

【都会と田舎】

 子供時代、 龍池小学校には山科学舎という別荘のような施設があって、 月に1回、 そこで勉強した。

 本物のおたまじゃくしを見たり、 土の匂いをかいだり、 田んぼや小川に親しんで、 田園を体験した。

 このような「本物」の自然を都会に求めるのは間違いではないか。

 都会の中の緑は、 建物とデザイン的に調和しているべきだ。

 ビオトープが(囲われ管理された)公園として整備されるのは良いが、 まちの中に(無制限に)田舎の自然を持ってくるのは不可能。

 どこの田舎にも(都会的な)「コムサ」の店があって面白くないように、 都会に田舎を(無造作に)持ってくるのは面白くない。

【オモテとナカ】

 都市の中の自然は、 箱庭(坪庭)のような形になるのではないか。 その中に暮らすからこそ、 本物の自然(田舎)を見たときに感動することができる。 (そのような感性が養われる)

 子供時代に、 烏丸御池の公団団地(ロの字配置の都市型団地で中層階の屋上が中庭になっている)に忍び込んで遊んだことがあるが、 まさに都会の隠れた場所で、 最上階から中庭を見下ろしたときには「こんな場所があったのかと」感動した。

 オモテは幾何学的(無機質)なつくりでも、 ナカにこんな空間があればいいのではないか。

 話しは違うが、 屋上緑化した企業のビルも、 経営が傾いてくると緑に何となく元気が無く、 落ちぶれて見えるのは、 偏見だろうか(宿主に依存する生き物の宿命だろうか)。

 いずれにせよ緑が都会的であるべきか、 田舎的であるべきかを都市全体の中の「点」として考えてほしい。



2−1。 ワークショップの記録

 
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ワークショップ風景
 
【要旨】

 前回のWSの宿題であった城巽学区の「遊び場、 自由に使える場所(道)」「水、 緑、 自然」「マンション、 まちなみ、 景色」について、 どのようにあればいいか、 どうあってほしいかを発表してもらい。 それについて話し合う。

 (先に実施した中学生へのヒヤリングの内容も紹介した)。

【内容の要約】

 (話し合い終了後に、 印象に残った話題を各自に挙げてもらった。 以下はその要約)。

1。 口コミ、 語る場の大切さ

 若い人たちが意外としっかりした意見をもっている事を知って、 世代間で話し合うことが大切だと思った。

 また、 町家や学校や町についての情報が口コミで伝わり、 確認されるので、 語る場の大切さを感じた。

 中学生達は道や町角で、 盛んにコミュニケーションをしている。

 作られた場所よりも、 ちょっとした軒先が重要なのだ。

 また、 新しい学校には「秘密の場所」「物語、 言伝えのある場所」がないという話も印象的だった。

2。 家と道の関係

 道の生活空間の一部であり、 個人と社会の接点である。

 今の生活(特にマンション)では、 道が「遠く」なり、 個人がバラバラで、 町に対する関心が薄くなっている。 (車が道を占領していることも、 その原因)

 大人にとっても道は情報の場である。 昔は戸を開けっ放しにして、 外部とのつながりを保っていた。

3。 京都のルールとそのズレ

 町内ごとに職業に基づくルールがあり、 それが町の個性を育てていった。

 今はそれが形骸化して、 町並みの乱れにもつながっている。

 しかし、 マンションが建つことの背景には、 人々が自分の土地や財産を守るための真剣な戦いがある。 それを、 単なる反対運動として政治的・表面的に伝えるだけでは、 共感は生まれない。

 また、 集まって住む形態にもいろいろな形があり、 もっと努力して考え工夫すべきである。 手段は複数ある。

4。 碁盤の目

 子供達が「京都の道が分かりにくい」と言っていたのは意外だ。

 それぞれの通に個性がなくなってきたということだろうか。

 京都で育った大人にとって、 町と道の関係を読み取ることは簡単なことで、 札幌でもニューヨークでもパリでも道に迷うことはない。

 子供達は生活圏が狭く、 部分的にしか町を見ていないが、 京都全体のイメージを持つようになれば自分の位置を確認することができるだろう。

5。 世界の中の京都

 京都がグローバルなブランドになりうる(である)ことを忘れがちである。

 また、 京都で新しい都市再生の形が生まれるならば、 世界に通用するだろう。

6。 まちなかの緑

 京都の緑は坪庭などの「内なる緑」であり、 表に出ないほうが良い。

 坪庭は町家の中程に光がほしくて、 作った空間だが、 暗い土間を抜けたところに明るい緑があると言う感動を味わえる。

 一軒の家を緑が取り巻いているのは、 郊外の住宅のスタイルで、 まちなかには似合わない。

 しかし、 町家がなくなって「内なる緑」もなくなっている。

 近代建築でもケヤキなどとデザイン的に構成されたものがあるが、 そのような都市的な緑のあり方が似合うのでは。

 水に関しても、 山口のように「鯉の泳ぐ水路」は京都に似合わない

7。 子供と自然

 子供達がイメージする緑は、 作り過ぎない自然を指向しているようだ。

 京都御所にはワイルドな自然がある。

 御池通に都市的な川があるのはいい、 そこにザリガニがいても良い。

 外部の緑は気をつけないと大気汚染や管理不足で汚くなる。

 今の子供たちには時間がない。 昔は自転車で遠くの山や川に行ったものだ。

 子供たちの行動範囲が狭いので、 自然に触れる機会が少ないのでは。

 しかしつい最近まで、 小川や西洞院川のようにまちなかに川があった。

 百年後を考えた(京都の)まちなかの水のあり方を探ってみたい。

【今後の作業】

 2回のワークショップの内容を受けて若手チーム(若林、 池田、 久光)がプランを提案する。

 おおざっぱな枠組みは
 1。 みち
 道と家の関係、 道遊びの復活、 車をどうするか、 碁盤の目の構造、 南北に水・東西に緑表と裏・一歩入ると別の世界、 今までの通システムでは解けない、 まちなかの小さな川街区の背割り部分の開発、 あるいは道ごとに役割(使い方)を変える
 2。 大規模な敷地
 2つのホテル、 中学校跡地、 合同庁舎、 御池通、 堀川
 3。 神社、 寺



2−2。 ワークショップへのコメント


加茂みどり
 ・道の復活
 私の実家は金閣寺のすぐ近くでした。 向こう三軒両隣はすべて町家で、 道を挟んだご近所づきあいは、 とても活発でした。 子供の頃の遊び場は道でした。 ゴムとび、 ケンケン、 かけっこ、 自転車競走、 かくれんぼ、 そんな遊びの舞台は家の前の道と、 道に続いて入れる建物、 具体的には近所の教会など含めた場所でした。

 当時は家と道のつながりが深くて、 家にいる母親も、 ちょくちょく様子を見に来たり、 ごはんに呼びに来たり、 道で近所の人たちと立ち話をしていて、 道は本当に生活空間の一部だったように思います。

 今、 室町のマンションに住んでいますが、 自分の家とマンションの前の道とのつながりはありません。 小さいときは、 父の乗る車の音を聞き分けて、 父が帰ると道に飛び出していたのですけど、 今は家の前を救急車が通ってもわからない。 朝起きても、 その日の天気もわからない。 当時の道がいかに自分の生活空間として重要で、 豊かなものであったのかと実感しています。

 ・緑の復活
 家の近所には畑、 緑地、 もちろん金閣寺の庭など、 多くの緑があって、 そこも遊び場でした。 虫を捕まえる、 葉を拾う、 そんな程度ですけど。 イチジクの木があって、 実がなり始めると、 気になったり。 蛇がでると、 それはちょっとしたイベントになったり。 小さくても、 ある程度自然な緑があるような空間があればいいなと思います。

 ・まちなみについて
 昔どおりの町並みがもどる、 とは、 もはや考えていません。 でも、 「少しだけでも配慮したデザイン」にすれば、 まだまだ京都は美しい町だ、 と思いたいです。 町家と同じデザインにしなくても、 似せなくても、 ただ共存して不自然に見えない程度にするだけでも、 随分違うと思います。

 ・町家の存続について
 ずっと自分の住んでいる「町家」を好きになれませんでした。 冬の寒さがとても厳しい。 家電製品は家の中にどんどん増えるのに、 コンセントが少なくて、 家の中は露出の電気配線や蛸足配線だらけで見苦しい。 そして狭苦しい。 ・・・いえ、 狭苦しく住んでしまっていたのだと思います。

 日本の住宅の近代化には、 洋風化・個室化という要素が含まれていたと思うのですが、 そんな住み方の風は私たち家族の町家にも訪れました。 でも家族の寝室を全て町家の中に個室として確保するのは難しい。 結局、 2Fの続き間は弟と私が一部屋ずつつ使用し、 間の襖は閉じられたまま。 襖の両側に家具まで置いて、 壁のようになっていました。 1Fのオクの間は両親の寝室にして、 茶の間として使っていたナカの間との間はやはり壁状態。 狭い家をますます狭く感じるようにしていたのです。

 そして大学で建築の授業を受けて、 初めて自分の住む家を町家と知った。 秦家や吉田家という町家を見学して、 ああ、 町家とはこのように住むものだったのかと愕然としたのです。 続き間を開放し、 庭から表に流れる空気の気持ちの良いこと。 まったく同じ間取りであったのに、 まったく違う空間でした。

 町家が減り、 町家の奥にあった緑も減ってしまったと言われます。 町家を残せ・・・と感じる気持ちは私にもあります。 でも、 町家に住む人だって、 洋風のリビングにあこがれたり、 暖かい家に住みたかったり、 自分の個室が欲しかったりすると思うのです。 町家でどんな風にすれば、 どんな快適な住まい方ができるのか。 それをきちんと伝えなければ、 町家はやはり手放されていくのではないかと思います。



3−1。 今回のまとめと課題


上野 泰

1。 今回作業の枠組みの確認

 現代の状況の中で、 われわれは現実に100年後の世界を、 想い描くことは不可能と言ってよい。

 したがって、 いまわれわれが語ろうとしている「100年後」とは、 「ありうべき」という仮定のもとに示された「いま」に他ならない。

 ルイス・マンフォードは、 現実世界とユートピアの脱俗性との間に“亀裂”が横たわるとき、 われわれはユートピアを「分離した実在」としてみる、 と指摘した上で、 トマス・モアの「ユートピアは中世時代時代の古い秩序と、 ルネッサンス時代の新しい関心と機構の間に存在する亀裂を、 彼が埋めようと試みた架橋であった。 」と述べている(ルイス・マンフォード 「ユートピアの系譜」関 裕三郎訳 新泉社 1971)。

 トマス・モアは、 その「分離した実在」を、 「何処にも無い場所=Utopia」として空間距離の彼方に設定をした。 いまわれわれは、 語ろうとしている「分離した実在としての京都」を「100年後」という時間距離の中に設定しようとしている。

 このことは京都という空間的実在を対象とすることによる必然的操作でもある。

 一方、 例えば100年と言う長い時間をかけて蓄積してゆくべき「改変」の何らかの方向性を探る、 という実践的な意味合いも無論ある。

 京都を含むわが国の都市は、 今後の数十年の間に(例えば半世紀後)は、 かなりの部分が建て替えられるという状況を迎えるはずである。

 その時に、 建て替えられる個々の要素が、 「部分からの改変」というプログラムに沿ったものとなるとすれば、 ちょうどモザイクを張り替えてゆくように、 あるいは「オセロ・ゲーム」の駒をひっくり返してゆくように、 50年後、 あるいは100年後には、 都市全体の環境に大きな変化をもたらすはずである。

 「都市環境の部分からの改変」という戦略の意味はここにある。

 「都市環境の部分からの改変」というアプローチは、 当然「部分」の当事者である一般市民の意識と行動に依存する。 町のあり方を市民が主体的に考えてゆくと言う必然性がここから生ずる。

 無論、 「部分」のあり方の改変のみによって、 全ての問題を解くことはできないことはいうまでもない。

 「全体構造」の改変と、 「部分からの改変」は都市環境再生のための「車の両輪」である。 都市環境の「部分からの改変」という戦略は、 都市における「プレイヤー」としての一般市民に、 「都市形成者」としての自覚と責任を問うことでもある。

 これまで、 「プレイヤー」としての市民の“参加”は、 ともすれば「資産=経済価値」という側面からの守り、 「環境悪化」からの守り、 という側面に限られてきた感がある。

 したがって、 ほとんどの場合、 「大人の問題」に限定されてきたといってよい。

 しかし子供は都市の「居候」ではない。 子供も都市のメンバーなのだ。

 これからは、 「子供」を都市のパートナーとして位置づけ、 子供の意見を取り入れ、 また子供にもある一定の役割を担う、 ということが必要となるだろう。

 子供と大人と言う、 年齢、 役割分担を越えて自分たちの町について考え、 行動をしてゆくことがこれからの都市のあり方、 社会のあり方を考える上で不可欠なことになるだろう。

 また、 都市計画の問題はこれまで専ら行政の問題として捉えられがちでもあった。

 これからは、 自らの周りの環境問題は、 居住者自らが対処するということが、 より強く求められるようになるはずである。

 さらに、 800戸を越える町家の空き家を抱えると言われる京都(朝日 2002・6・16)においては、 “外”からの力も無視できないだろう。 外からの知恵と行動力(および資本)を上手に取り入れることが、 これからの京都のあり方を考える上でも重要なことと思われる。

 歴史的な都市に限らず、 外からの力が絶えず流れ込むと言うダイナミズムを失い、 「閉じた」都市はやがて活力を失い滅びてゆく。

 京都は、 良くも悪くも「大人」のまちである。 小さなコミュニティー毎のルールの中に篭って、 「外」に対して干渉しないという、 閉鎖的社会を作り出してきたといえる。

 そのことが「外」からの大きな力が流れ込むいま、 京都の弱点の一つともなり、 町の姿の混乱の一因となっているように思える。

 ワーキング参加者の「新しいものは否定しない。 私たちと同じにしろとは言わない。 せめて邪魔せんといて欲しい」という発言が印象的であった。

 新しいデザインの建物でもいい、 しかしこれまでの町並みを壊さない、 質の高いデザインであって欲しい、 というこの発言は、 変化、 新しいものを許容しつつ、 自らの文化に確信をもつ京都の奥行きを示すものであり、 このような人々が「外」に対して積極的に発言し始めるとすれば、 大きな可能性をもつものと期待される。

 今回の試みが、 初歩的とは言えこのような年齢層を越え、 内―外を越えた共同作業のあり方のヒントを示すことになれば、 このワーキングは成功したと言ってよいだろう。

 今のところ着地点は不明であるものの(セミナーでの)幅広い議論に素材を提供するために、 最終的にはある程度“具体的提案”という形を取ることが、 第一歩としては“取り付きやすく”、 有効であろうと考えられている。

2。 テーマの確認

 1)「プロジェクト」の意義=議論のための具体的素材の提供
 今回のセミナーのテーマは、 「都市環境再生」という課題を「部分からの改変」のよって如何に実現化するか? そのための仕組みはどのようなものか? 目標とする将来像をどのような過程で構築するのか? というところにある。

 それを踏まえ、 ワーキングの目的はその将来像を構築するための“先行的”なあるいは“予備的な”シミュレーションを行うための「素材」を(セミナーに)提供することにある。 特に地元の人々(一部にせよ)の「夢」から町の将来目標の大枠を探り出し、 居住者自らがなしうることの第一歩を、 皆で考えることである。

 そのためには、 専門知識をもたない一般市民、 子供にもわかりやすいプレゼンテーションを考える必要がある。

 2)「テーマ」=「町らしさ」の継承と「自然回復」の両立
 これまでの2回のワークショップを通じて、 大人の関心はより社会的、 文化的問題に集中し、 子供の関心は、 自然的、 身体的な問題に集中しがちであるという、 大掴みの傾向を捉えることができた。

 このようなワークショップでの議論を踏まえて、 今回のワーキングのテーマを、 京都の町並みの持つ「町らしさ」を受け継ぎながら、 都市環境再生の鍵となる「水や緑」といった自然的要素を、 如何に町中に回復するか、 その空間的、 社会的システムを探る、 というところに置きたいと思う。

 「町らしさ」と「自然回復」という2項対立は、 言わば“文化的”存在としての「大人」と、 “自然的”存在としての「子供」の求めるところの対立、 というかたちで(きわめて図式的ではあるが)明確にされたといえる。

 (議論の中で、 子供のこのような要求は、 成長過程の過渡的なものであって、 成長に伴う行動圏の拡大によって、 解決されるはずである、 という大人側の指摘もあった。

 しかし、 “自然的”環境とのふれあいが、 子供たちの成長に大きな影響力を持つものであり、 いまの都市形態が、 このような要求と行動能力のギャップによって子供たちに「我慢」を強いるものとなっているとすれば、 それは、 それぞれの成長段階にあわせて、 触れ合える構造に改められるべきものであると考えられた。 )

 そしてこのような視点の違いから、 水―緑についても、 基礎的環境条件に関わる「文明的水―緑」と、 文化的価値観の投影としての「文化的水―緑」という捉え方が可能ではないか、 と仮説された。

 3)視点=「文明的水/緑」と「文化的水/緑」

 これまで、 「文明的水―緑」の問題は、 専ら「都市―非都市」という関係の中で説かれてきたといってよいだろう。

 しかし、 今日「非都市」もまた現代社会の一部として、 都市と共に大きな変動の波の中にある。 もはや「都市」はこれまでのように「非都市」の存在を、 “誰かが担ってくれる”所与のものとして“いいとこ取り”をすることは許されない。

 「都市」が「非都市」の持つ環境資産を必要とするならば、 「都市」は自らの負担によってそれを支えなければならない。

 そのために、 短期的には「都市―非都市」の連携、 支援、 より長期的には都市のコンパクト化、 あるいは「文明的水―緑」の都市内化と言うことも課題となってゆくであろう。

 このような視点を持ちつつ、 これら相対立する要請を、 一つの町の姿として解き得るシステムの可能性を探ることを、 ここでのテーマと仮定したい。 (このアプローチは、 JUDIセミナーのこれまでの「都市環境の遺伝子治療」シリーズの発展的展開でもある。 )

 4)「作業仮説」=参照すべきものとしての空間層序
 このような2項対立を包含し得るシステムとして、 京都の町が持ってきた「オモテ―ウチ―ウラ(オク)」という空間層序に着目をし、 ここから目指すべき空間システムを見出すことができるのではないかと、 考えられた。

 すなわち、 ありうべき将来像としての「市中の山居」のあり方を探ると言うことであり、 空間構造的には「町らしさ」という「オモテ」の様相と、 都市における「自然(生態系)の回復」という「ウラ」の重層的構造として町を理解する、 ということである。

 そして「ウチ=家」はそれら「オモテ」と「ウラ」の2面に顔を向けるもの、 2面を町中に結びつける「要」として理解された。

 このような理解により、 「オモテ」はより人為的な、 「文化」の表出として、 「ウラ」はより自然的、 有機的な「風土」の表出として位置づけられるものと考えられた。

 このような「オモテ―ウラ」という2面性を持った“これからの町”をどのように描けるか? そのような町の姿を、 どのような形で“議論の素材”として提供できるかが課題となった。

 この場合、 「ウラ」とは街区内の「路地」あるいは建物の屋上等を指す。

 そして、 グランドレベルの「路地」等は外の人間も入ってくる、 ややパブリックな性格を持ち、 屋上等は居住者のみのプライバシーの高い空間となる。 さらに建物に穿たれた「坪庭」や「光庭」等がプライベートな空間(オク)として位置づけられることになろう。

 そして、 グランドレベルの水、 緑はより文化的な表現として、 「庭園的(伝統的)」なしつらえになり、 屋上はより風土的な表現として、 生態的なあり方となるだろう。

 水、 緑のあり方にも「文明的水―緑」と「文化的水―緑」というあり方を包含した、 「オモテ―ウラ(オク)」という空間層序が表現されるという町の姿がイメージされるだろう。

 また、 住居(居室)と水―緑の関わり、 生活、 住居性能と街のあり方がどう関わるかについての検討も必要であるとの指摘もなされた。

 さらに、 「碁盤の目」の道路システム、 道の複合的な利用のあり方、 家と道との関係(ウチ―カド)、 道に面した建物の非住宅的利用形態、 (ウチに)内部化された緑のあり方などが“受け継がれてゆくべき町らしさ”として上げられた。

 また、 「ウラ」に造られる路地=「ナカの道」のあり方は、 スタティックに計画してしまうよりも、 緩やかなルールによって、 自律的に形成され、 水―緑を含み“(100年後に?)結果的に”連続、 あるいは不連続となった方が“京都らしい”のではないかとも思われた。

3。 課題の整理

 今回のワーキングの目的は、 「部分」のあり方についての考察である。 「部分」のあり方については次の3つのレベルで捉えることができるだろう。

 課題をこのようなレベルによって整理することで、 これからの具体的行動のあり方を明確にイメージすることができ、 焦点を絞り込んで実践に結び付けてゆくことが、 より容易になるものと思われる。



3−2。 次回に向けての方針


若林孝行

プレゼンテーションの作成について

 次回のワークショップは、 地元の方々の今までの意見をビジュアルな資料に変換し、 それをもとに意見交換を行ないながら、 「参加者の夢を具体的なイメージ(シーン)」で把握していく段階だと思われる。

 (こちらがプランを作成し、 それに対しての了承を得るという形はとらない)。

 対象となる空間は、 大通や学校、 ホテルなど、 生活の領域から離れた空間をはずし、

を中心とする。

 作成する資料は、 大きな模造紙にイメージ平面を貼り、 写真やスケッチをコメント付きでペタペタ貼っていくような感じでよいのではないか。

 広いオープンスペースや御池通、 二条城など「まちレベルにかかわるもの」にも多くの意見があったが、 これらについては意見の分析を行なっていく中で考え方を整理していき、 それが次回のワークショップで配布するテキスト資料に反映されればいいと思う。



4。 ホームページ読者からのメール

 昨年のセミナー「緑としての建築」の記録をホームページでご覧になった方より、 メールをいただきましたので、 ご本人の了解をいただいて、 掲載させていただきます。

 皆様も活発な議論を、 ぜひお寄せください。

 あて先は、 nnnet@mbox.kyoto-inet.or.jp 中村まで。

 なお、 今回のメールへのお返事は、 次回の「百年後の水と緑をデザインする」プレセッションに掲載いたします。

【可部 篤氏のメール】

2001年度第7回セミナー記録を読みました。

 地球温暖化防止を含めたエコという意味を建築家はどう考えているのか、 疑問に思うことしきりです。 エコガーデンのエコとは、 ポテンシャルを下げて暮らす姿勢なのです。

 建築美や都市景観の美しさを追求するにしても、 建築の効果/費用を最大化し、 ライフサイクルで考えた炭酸ガスの放出抑制や水資源の確保を無視して建築はできない時代に入っていると思います。

 日本建築センターの技術評定では、 屋上緑化の省エネ効果は小さいとなっています。 NEXT21では灌水に中水を使うと言いわけしながらやはり水資源、 特に夏場の、 浪費になっています。 また、 小さな屋上を緑化しても地球温暖化防止にはならないことは子供でも分かります。 なんとかかんとか理由を並べて屋上緑化を進めようとする建築家群がいるように思えてならないのです。

 石本幸良氏は貴セミナーの中で、 「京都の緑化はおもてなしの心だ!」と言っておられますが、 これには何のこじつけもなく、 庭師の気持ちで筋が通っていると思います。

 屋上緑化を勧める建築家に問いたい。 年間の緑化維持経費はいくらと予想しますか?
 水の消費量はどのぐらいですか? 何日間雨が降らなくても人工的な灌水なしで生き延 びられますか? 屋上緑化が消費エネルギーを最小にする最適な手段ですか? 建築前と建築後総炭酸ガスの排出量はどう変化しますか?等々。

 水不足で悩む福岡市は(大阪も同じ?)アクロスの水の消費量を調べ、 夏場渇水対策上これ以上の屋上緑化は推進しないと決めたと聞きます。 屋上緑化はバビロニアの空中庭園、 いずれ消える。

 詳しくは私のHPを参照ください。 ご反論を期待します。 早々
 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/7749/
 (以上、 可部篤氏のメールより)

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