「緑立つ道」「山の端・川の辺の道」見学会&セミナー
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土木デザインについて

 

榊原

 見学会で見ていただいた京都−大阪を直結する全長26.4kmの「緑立つ道」(第二京阪道路)と、 京滋バイパスと京都縦貫自動車道老ノ坂亀岡線を結ぶ「山の端・川の辺の道」(京都第二外環状道路)について、 簡単にその経緯をお話しします。


緑立つ道のデザイン

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緑立つ道(第二京阪道路)
 この二つの道路を造るとき、 当時としては画期的な事だったのですが、 デザイン委員会が作られ、 新しい道の風景づくりを検討しました。

 「緑立つ道」のデザイン委員会の設立は1989年(平成元年)です。 1990年(平成2年)3月に報告書を出して、 その後もいろいろと検討を続けています。

 「緑立つ」というのは、 新緑の候を表す俳句の季語です。 「緑立つ道」という名前自体は私がこの委員会に参画したときにはすでに付けられていて、 誰が名付けたのかはよく分からないのですが、 高速道路の景観のデザインテーマとしてはとても役に立ったという感じがあります。 ちなみにこの委員会の委員長は、 元大阪市都市再開発局長の三輪利英氏(当時は福山大学教授)で、 私は構造物や道路構造全体のデザインに関わり、 宮前さんは緑を中心にしたデザインに関わる形で参加していました。

 今日見ていただいてお分かりだと思うのですが、 この緑立つ道にも出来の良いところと悪いところがあります。 あるいは、 高速道路の高架橋のデザイン自体にも似ているけれど全然違うなあと思われた所がいっぱいあったと思います。 なぜそうなったかと言うと、 デザイン委員会が、 デザインの全てについて相談されたわけではなく(我々の立場は相談を受けたことに関してアドバイスするというものです)、 我々の口出しできるところが割合と少なくて、 後になって見ると不本意なものになった所もいろいろ出来てしまったからです。 つまりデザインの全体を統括したわけではなかったのです。 そういう経過でしたが、 何とか今日の段階までこぎつけました。

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第二京阪道路計画図 形成理念 緑のデザイン・イメージ
 

 デザイン委員会が担当したのは、 木津川以南の京都府域のところです。 ですから久御山ジャンクションについてはほとんど関係していません。 ただ、 ジャンクションの色についてはこちらで決めました。 大阪府域は、 大阪府域の担当が別にやっています。

 パンフレットに書いているように「総合的にデザイン」「21世紀の高速ネットワーク」「新しい緑の創出」など、 いろんな事を考えてやっています。

 また緑のデザインについては、 後ほど宮前さんに説明していただきます。

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高架橋部分の標準断面
 高架橋をどうデザインするかについて最初はほとんど話題に上らなかったのですが、 6車線の高架橋が地表から3層目にくるという大規模なものになるので、 デザインをちゃんと考えた方がいいと提案しました。 それが受け入れられて、 いろいろやることになりました。

 その際、 デザイナーに任せるのではなく、 私たちが中心となってワーキンググループを作り、 そこでいくつかの案を出し、 それをデザイン委員会にかけて選ぶというやり方をしています。

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橋梁デザイン案
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選ばれたA案の遠景のCG
 幹事会段階で8案を作り、 その中から3案に絞りました。 桁部分のデザインが異なるA案(天井部分がフラットなもの)、 B案(若干アーチ型になっているもの)、 C案(真ん中がふくらんでいるもの)の3案ですが、 このうちのB、 C案は構造的には無駄のあるデザインでしたので、 最終的にはA案が選ばれる可能性が高いのは分かってやっていたという面もありました。

 実施案として選ばれたのは、 やはり桁下部分がフラットなA案でした。 ただ、 A案の脚は真ん中に穴を開けた2本柱のデザインでしたが、 これはお金がかかるという理由から1本柱となりました。

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工事中の橋脚
 そうすると、 べたっとした大きな柱になってしまうので、 中央部に何か模様を入れることにしました。 図と地の関係で、 模様が図になると大きな柱面は地となって沈み込むと考えたわけです。 よくやるのは、 真ん中を帯状にしてテクスチャーを変えるといったものですが、 それでは面白くないので何か図形的なパターンを彫り込むことを提案しました。 唐傘をすぼめた形に見えるとか、 いろんな風に言う人がいますが、 私としては、 JHのマークをモチーフとしてアレンジしました。 彫り込み部分に色を入れたかったのですが、 それはかないませんでした。

 柱脚の外形のカーブは最初、 放物線を考えていたのですが、 それは施工できないからダメだと言われ(なぜ施工不能なのか分からないのですが)、 大きな円と小さな円を組み合わせたものに直線を合わせるという形にしました。 ですから、 直線−大きな円−小さな円−直線という形になって、 どうも中途半端になったような気がしています。

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出来上がった形
 土木では橋のデザインをするとき。 上部工、 下部工という言い方をします。 上の桁部分と下の柱脚部分のデザインを別々に考えるという奇妙な風習のせいなのですが、 私は何とか一体化したものにしたいと考えました。

 そのため、 桁がうすく見えるようにして、 その下部を斜めにして、 それがそのまま柱部分につながるようにして一体感を出すようにしています。


山の端・川の辺の道(京都第二外環状道路)

 ここの景観検討委員会は1990年(平成2年)に発足し、 1994年(平成6年)に報告書をだしています。 メンバーは先ほどの「緑立つ道」の時と似たような構成でした。

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山の端・川の辺の道(京都第二外環状道路) 3つの景観像 7つの技法 水の景
 

 この道路が通るところには、 町があり水があり山があるということを中心に考えました。 その中で問題になったのは、 4番目の河川の橋梁部で、 今日見ていただいた三川合流のあたりです。

 あのあたりは京都競馬場、 宇治川、 三川合流などいくつか良い景観があるのですが、 昔ここに山崎架橋があったらしいのです。 アーチ型の橋の絵が残っていて、 デザイン委員会もそうした歴史的経緯を考えて取り組みました。

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山崎架橋 3案のデザイン 工事中の橋梁
 

 デザイン委員会では3案を提案しました。 当時は斜張橋が全盛期の頃でその案も出され、 それにしたいという意見が一番多かったような記憶があります。 私は今さら斜張橋の時代じゃないだろうと言っていたのですが。 最終的には私の知らないところでV型ラーメン橋に決定したと言ってきて、 それを少しでもいい形にするためにいろんなデザイン提案をしました。

 各スパン毎には、 V型部分のかたち、 それと直線桁部分とのバランス、 V字が直線に摺りつくあたりのかたちなど、 全体的には、 スパンとか橋脚から上までの高さがまちまちだったのですが、 それをバランスよく見せるためにはどうしたらいいかなどを考えました。 最初にアーチ案が頭にあって、 それに引きずられながら考えていったきらいがあります。 私の考えでは足元を細くして上の方を太くしたかったのですが、 どうも結果は違うものになったようです。

 それと、 施工上、 部材をピースに分割したものを現場でつなぎ合わせるしかなかったのですが、 下手するとつぎはぎだらけで、 ボルトの頭剥き出しの汚いものになってしまいます。 そこで、 現場溶接をするなど、 その点への配慮を強く求めました。 その通りにしていただいたようで、 すっきりと出来上がってきているように見えました。

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V字部の近景
 その後、 デザイン委員会が出来た頃とは社会的情勢が大きく変わり、 1999年に、 西山の方の橋梁について、 環境と管理を考慮した橋梁構造を考える委員会が設けられ、 それまでとは違った形を考えるようになりました。 最近では、 道路公団民営化問題なんかもあって事情はもっと深刻になり、 これまでと同じような形では物事が動かなくなった感があります。 土木デザインでは、 そういう風に、 社会の流れがストレートにデザインに影響して来るということがあります。

 では続いて、 宮前先生から景観計画についてのお話をしていただきます。

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