フィンランドセミナー
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セミナー全行程の報告

大阪ガス・近畿圏部 長町憲一

 


8月31日(土) ストックホルム市内

 本日より活動開始。 別便で既に到着していたメンバーの方々と合流。

 昨晩は夜11時にホテル着のためはっきり分からなかったが、 ホテルのあるガムラスタンの様子にストックホルムの実感が沸いてくる。 朝早くのため人通りはまばらであったが、 石畳の通りの雰囲気はここでしか味わえないもの。

 

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ストックホルムのまちなみ ガムラスタン
 
 ガムラスタンから市の中心部へ向かう。 セルゲル広場はクルマ、 地下鉄の一大ターミナル。 人工地盤で有名であり、 人工地盤会議という会議で訪れたことがあるという方もおられた。 広場の部分が1階でその上に作られた人工地盤部分が車道や歩道となっている。

 セルゲル広場周辺からガムラスタンへ戻り、 船でユールゴーデン島へ渡る。 スカンセンへ。 スカンセンは1891年にできた世界最古の屋外博物館。 都市化が進み住民の昔ながらの営み、 古い伝統が消滅していくことに危機をもったハッセリウスが各所から様々な施設を集め、 ここに開設されたもの。 中ではボランティアの方々が昔ながらの衣服、 家屋等の佇まいのなかで、 家事ら労働を再現している。 例えば、 わらから衣服等の素材となる繊維を取り出す作業や川辺での洗濯など。 おばあちゃんや母親、 子供などボランティアの方々も多様で、 その時代にタイムスリップしたような気になる。 今の豊かなストックホルムの根源にある歴史を重んじる気概を感じさせる博物館であった。 「新しいものは新しいものに取って代わられるが、 古いものは古くならない。 」というが、 都市づくりにおける歴史の大切さ、 それこそが都市の独自性を発揮するものであり、 都市の競争力向上に寄与するものということを改めて感じさせられる。

 

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セルゲル広場 ストックホルムのまちなみ
 
 建築博物館へ行こうとシェップスホルメン島へ亘るが、 リニューアル工事のため閉鎖中。 歩いてガムラスタンの港へ戻り、 アンダー・ザ・ブリッジ・オブ・ストックホルムという観光船に乗船。 ストックホルム市はいくつかの島々からなっており、 豊かな海岸線、 そこからみた市内の景観を楽しむために、 多くの観光船のコースがある。 私たちが乗船したこのコースは所要2時間のコース。 海からみた街並みを見て感じるのは、 海という楽しみの資源をフル活用するため、 海岸線には商業系・住宅がほとんど。 工場はほんの一角にしか見られない。 また、 こうした観光船と個人のプレジャーボートやヨットで海上は賑わっている。 何箇所かには水門があり、 狭い箇所を通るのだが、 そこではあらゆる船がごっちゃになって大渋滞。 しかし、 なんら通航の規制はないとのこと。 豊かな資源を住民、 観光者みんなが満喫するためにはこれが一番なのだろう。


9月1日(日) ストックホルム市内

 市内南部のスクークスシュルコゴーデンという墓地へ。 「森の斎場」として建築やランドスケープの分野で有名。 墓地でありながら世界遺産に登録されている。 自然の地形を利用した緑の芝がまるで絨毯の様であり、 そのなかに花崗岩で出来た十字架が聳え立ち、 その奥の管理の行き届いた針葉樹林の森の中にお墓がある。 「ゆりかごから墓場まで」の一端を見たような気がする。 日本においてもゴルフ場からの転用によって、 これに似たものはできるのではとメンバーの声。

 

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スクークスシュルコゴーデン 正面がストックホルム市庁舎
 
 ストックホルム市庁舎は有名建築。 また、 それは海からの眺めが良い。 陸側から見るのではなく、 海からの眺めを重視するところも、 いかにもストックホルムらしい。 海から眺めるために、 対岸のスラッセンという街へ行く。 市民プールやクラインガルデン(市民農園)がある住宅街であるが、 市庁舎を眺める一等地にはヒルトンホテルがある。

 市立博物館、 ゴンドーレン(海岸沿いにある観光施設、 レストラン)を経て、 北方民族博物館へ。 民族の暮らしを家屋、 家具や意匠まで時系列に展示してあり、 ここでも、 都市における歴史の持つ重みのようなものを感じる。

 隣接するヴァーサ号博物館へ。 1628年に処女航海にて港の中であっという間に沈没した戦艦ヴァーサ号が1961年に333年振りに引き上げられた。 それを復元し、 展示してある。 オリジナルと復元部分など事細かに多国語(日本語もあり)で説明されてある。

 建物や彫刻など芸術的なものへのこだわりが、 戦艦にも表れており、 とくに船尾の彫刻は圧巻。

 市中心部へ戻る。 途中、 仮設の写真展が公園内で開かれているのを見かける。 公園内のオープンカフェの傍らで写真展があたりまえのように開催され賑わっている。 さりげないことなのかもしれないけれど、 こうした仕掛けがあるのもストックホルムの魅力ではと感じる。

 ヒョートリエットという広場で毎週日曜日に開催されているノミの市を見学したのち、 ガムラスタンへ戻る。 夕刻のガムラスタンは観光客で賑わっている。


9月2日(月) ストックホルム市内、 午後からシリアライン(国際船)でヘルシンキ

 ストックホルム地下鉄駅の地下美術館へ。 地盤が岩盤ということを活かして、 地下鉄の駅は、 壁画や彫刻が施されている。 駅それぞれに違いがあって、 十分楽しめる。

 市庁舎の見学ツアーへ参加。 ノーベル賞の受賞式典が開催されるホールなどが見学できる。 ここでは、 多くの日本人を見かけた。

 

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地下美術館 シリヤラインのデッキ上
 
 ガムラスタンへ戻り、 シリアラインターミナルへ。 シリアラインは5万トンの豪華客船。 船内に吹き抜けのショッピング街や免税店、 カジノやバー、 サウナやスパがある。 船のデッキからは島々の別荘、 夕陽が楽しめる。


9月3日(火) 朝ヘルシンキ着ヘルシンキ市内

 ヘルシンキは今セミナーのコアタイム。 ヘルシンキ市都市計画課のリィッター様がスケジュールを全部組んでくださり、 案内いただいた。 ここから3日間はバスをチャーターして、 ヘルシンキ市内の伝統的建築物や市街地、 港湾部の住宅再開発地区、 郊外の林間住宅地を回った。

 元老院広場見学の後、 市の都市計画課訪問。 市内の都市計画検討のための各種資料室や木造の模型などを見せていただいた。

 昼食後、 ピック・フォパラハティ地区、 カピュラ地区へ。

ピック・フォパラハティ地区
 市の中心部から4kmという近距離にある。 全体計画の竣工が1998年で居住人口は約9000人。 入江と沼地に加え、 計画面積150haに対して60haが公園にあてられている。 市有地において市が全体のプランを練り、 分割してディベロッパーに渡すというヘルシンキの一般的な手法で建てられている住宅街である。

 

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ピック・フォパラハティ地区
 
 通常は床平均で1社あたり5000m2ぐらいであるが、 ここでは2000m2ぐらいと、 より小さく分割することによって、 バラエティーに富んだ住宅地区となっている。 一番はじめに訪れた住宅地だったのでなおさら感じたことであるが、 住宅内を走るオシャレなトラムや、 水や緑の豊かな環境、 市の中心部へは車で15分という立地でありながら、 それでいて家賃は月5万円程度という。 こちらの住宅事情は羨ましい限り。

カピュラ地区
 市中心部から約5kmにある1920年代の木造住宅保全地区。 1917年にフィンランドがロシアから独立し、 ロシアからの引揚者がヘルシンキに急増したうえに、 ただでさえ1900年代初頭は産業発展によりヘルシンキに人口集中が著しかった。 そのため、 早急に住宅を整備すべしということで建てられた4戸1の木造住宅。 戸当たりの床面積は65m2ぐらい。 補修はなされているけれども、 1960年代に建替えのコンペも開催されていたが、 建築家グループの反対運動が契機となって、 保存へと転換し、 1970年代の補修で建築から80年が経った今も建設当時の外観が残っている。

 

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カピュラ地区
 
 建築された当初と異なり、 現在では、 建築家や芸術家、 大学教授などが好んで住むという。 若干狭いけれど、 交通の利便性も高く、 豊かな広い庭を見ると、 入居待ちも多い人気住宅であるというのも納得。 しかし、 なぜ同じ木造でこんなに耐久年数が違うのだろう。 ペンキは10年に1回ぐらいのペースで塗り替えているというが、 木そのものの性質に加え、 雨、 湿度などの自然条件でこんなに変わるものなのか。


9月4日(水) ヘルシンキ市内

ヴオサーリ地区
 市中心の約13km東にあり、 近年ヘルシンキ近郊で建設される住宅のうちで最大のもの。 工事は1994年から始まっている。 前面の海には市内域で最大の群島があり、 水上スポーツのパラダイスとなっている。 ウォーターフロント地区は高級住宅地(それでも3000万円ぐらいらしい)となっていて、 ヴオサーリ地区独特の雰囲気を醸し出している。 ここにふさわしいデザインを求めて1996年に海外からも建築家を招いてコンペが実施されている。

 

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ヴオサーリ地区
 
 入選作は運河を掘って海岸線を増やそうとする提案であり、 住宅は全て海岸に接して配置され、 どの住宅からも海が眺められる。 ガラス張りのバルコニーは立派なダイニングスペースであり、 海を眺めつつゆったり食事をしている家庭も見える。 目の前の海には自身のヨットが係留されている。 気候の良い時期に見ているからなおさらそう感じるのであろうが、 限られた季節の良いときは、 ホントに心地良いだろう。

ヴィーキ地区
 この地区はバイオサイエンスやバイオテクノロジーを中心とするサイエンスパーク、 広大な住宅地、 自然保護地区等からなる1100haであり、 90年代半ばからの開発地区。 サイエンスパークは、 ヘルシンキ大学、 市、 国、 民間企業による共同事業である。

 

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ヴィーキ地区
 
 この地区内のラトカルタノ地区は環境共生住宅で有名。 その南部地区は環境共生をテーマにデザインコンペの入選案に沿って1700戸の住宅が1998年から建設されている。 広大な敷地の中の豊富な緑やビオトープ池や家庭菜園、 ソーラーパネルを見れば、 それだけで充分、 環境共生と思ってしまうのであるが、 それ以外にも雨水の利活用、 ゴミの再利用、 環境にやさしい耐久性のある建設資材など、 様々な仕掛けがされている。 羨ましい限りの広大な敷地の中に斬新な住宅(まるで実験住宅を思わせるような)が次々建設されているといった印象。

アラビアンランタ地区
 この地域は、 主としてかつて工場や倉庫で占められていた。 地域自体の名前のアラビアは有名な陶磁器工場の名称からきている。 工場・倉庫のいくつかはその姿を活かしつつ、 転用され、 工業デザインセンターやヘルシンキ芸術デザイン大学などに生まれ変わっている。 こうした施設群と海岸との間は3000戸の住宅地へと開発が進んでいる。

 

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アラビア工場 アラビアンランタ地区
 
 海辺の倉庫群を活かすという取り組みは日本にもあるけれど、 その海岸地域に住宅地としての魅力も当然のように兼ね備えているところ、 そしてまた、 それほどの住宅需要のあるところがヘルシンキの強みなのだろう。 ヘルシンキでは19世紀には海岸地域は軟弱地盤で湿度も高く、 住宅地としては不向きと考えていたらしい。 しかし近年では、 港湾や工業地域を可能な限り集約し、 海岸を住宅地、 レクリエーション用地として最適なものとして政策転換している。

ルホラハティ地区
 もともとは入り江を整備した港湾施設であったものをさらに埋め立て、 住宅、 オフィスビル、 インターナショナルスクール、 幼稚園、 学校などが整備されている。 地下鉄の駅もあるけれど、 ヘルシンキ中央駅まで歩いても約15分。 オフィスビルのなかには有名な電機メーカーであるノキアのビルもある。 都市居住としては絶好の位置にありながら、 ここでも住戸のすぐ脇にヨットを係留できる。

 

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ルホラハティ地区
 

9月5日(木) ヘルシンキ市内、 エスポー市内

タピオラ地区
 有名建築のミュールマキ教会。 これまでに見学した住宅でも多くの保育所を見たが、 この教会内にも保育所がある。 フィンランドは共働きの割合が高いが、 こうした福祉面での充実がそれを支えているのであろう。 年収に占める税金は35%とのことであるが、 行政サービスに対して概ね満足している人が多いとのこと。

 その後、 アールト財団を見学。 手がけたフィンランディアホール等の作品の模型などが無造作に(触ることまでできてしまう)置いてある。 そこから歩いて数分のアールトの生家へ。 現在補修工事中であり、 工事で出たレンガやブロックなどがあり、 職人の方に確認のうえ、 記念に小さなブロックをもらった。

 有名建築のオタニエミの礼拝堂見学の後、 アールト設計のオタニエミ工科大学へ。 有名な階段教室の中へもタイミング良く入ることが出来た。

タピオラ地区
 1950年代から60年代にかけて建設された地区。 戦後の都市化が顕著となった時期に、 理想的な都市環境を維持するために、 新たな居住エリアを整備するという考えのもとまちづくりが行われた。 この地区は官民が共同出資した住宅財団が整備主体となっている。 公募で決められたタピオラという地区名は「森の神の郷」という意味。

 

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タピオラ地区
 
 20〜30年ぐらい前には、 日本からの視察団が毎週のようにこの地を訪れていたとのことである。 建設年代のせいか、 あるいはこの2日間最近の住宅を見てきたせいか、 タピオラは若干古めいた物寂しい感じがするけれども、 何はともあれ、 日本が公営住宅など大量の住宅供給に邁進していた時代に、 早くもそうした理想を追求していたと言うこと自体に驚かされる。 豊かさといった言葉がもてはやされ、 その中でわが国の居住環境の劣悪さが良く取り上げられるが、 フィンランドと日本の間には、 こうした長年の取り組みの差(当然、 国土の面積、 人口、 自然環境、 土地所有関係などどうしようもない諸条件はあるにしても)が如実に現在、 現れているのだと感じる。

キベンラハティ地区
 エスポー市(ヘルシンキの隣接市)にある海沿いのテラスハウス地帯。 この地区もタピオラ同様、 住宅財団が整備主体。 海に面して階段状の階層になっており、 外観もモダンな感じ。 海側には植栽、 芝生と浜辺が広がっており、 ホテルか別荘のような雰囲気。 しかし、 すでに建築から約20年経過しているとのこと。 それを感じさせない魅力を放
った地区であった。

 

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キベンラハティ地区
 
 建築家サーリネンのアトリエを見学した後、 ヘルシンキの打ち上げは本格的フィンランドサウナ。 サーリネンのアトリエの近くに湖畔の本格的サウナ小屋がある。 聞くところでは競争が激しいため予約が難しく、 フィンランドの方でさえ、 なかなか来れないところらしい。 サウナに入ったあとは湖で泳ぐ。 まさかこの時期に北欧に来て、 泳ぐとは思わなかった。 その後、 小屋の中で夕食、 打ち上げ。 3日間、 分刻みのスケジュールであったが、 限られた時間の中で、 これだけの地域を効率よく回ることができた。 スケジュール設定、 案内とお世話になったリィッター様へ感謝。


9月6日(金) 朝、 船でタリンヘタリン市内

タリン旧市街
 ヘルシンキからバルト海の対岸エストニアの首都タリンまでは距離85km。 高速船で1時間30分で到着する。 旧ソ連のバルト3国(エストニア、 リトアニア、 ラトヴィア)のうちで、 エストニアは最も速いペースで西欧化が進んでいると言われている。 確かに、 ヘルシンキから移動してきても、 入国もスムースであり、 特にこれといった違和感は感じなかった。

 

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 キベンラハティ地区タリンの見所は約2.5kmの城壁に囲まれた旧市街に集中している。 旧市街は15世紀の中世の石畳、 建築物が残り、 まち全体が世界遺産となっている。 城壁の外にある新市街は比較的新しい旧ソ連時代の建築物が並ぶ、 全く雰囲気の異なるまちなみであり、 実際のタリンの人々の生活が行われているのはこの新市街となる。 タリン滞在は時間が限られていたため、 旧市街を中心に歩いた。 歴史的な建築物の保存のためか、 まちのあちこちで建築物の補修工事が行われている。 600年の石畳とガイドブックで紹介されている。 まちの中心地ラエコヤ広場を中心にオープンカフェや土産物店が並ぶなど観光地化しているけれど、 城壁を利用してセーターを売っている露天商など生活感の漂う雰囲気も併せ持っている。 ストックホルムの旧市街ガムラスタンほど洗練されておらず、 むしろそのおかげで、 その歴史を感じられる雰囲気がある。 訪れた他の2都市、 ストックホルム、 ヘルシンキと比べて、 街中の物価が非常に安く、 カフェではコーヒーが日本円にして100円程度。

9月7日(土) 朝、 船でヘルシンキへ、 帰路
 帰途までの時間を利用して、 イタケスクスの地下プールを見学。 市中心部の地下には硬い花崗岩の岩盤があるフィンランドでは地下は防空シェルターの役割を持つ。 しかし、 近年では技術の進展により、 地下をスポーツ施設や美術館として活用する事例が多くなっている。 イタケスクスの地下プールはその代表例。 その後、 国立現代美術館キアズマを見学の後、 帰路。

 

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イタケスクスの地下プール
 
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