100年後にきっと僕の子孫がヘルシンキにやってくる。 4代後か、5代後か。 彼女は船でヘルシンキへやってくる。 同じルートを逆にたどって。
彼女は近づいてくるヘルシンキを眺める。 彼女の100年前の祖先である僕が、 彼女と全く同じ所から同じようにヘルシンキを眺めていたことなど彼女には思い至る筈が無い。
そしてそこで彼女は、 今僕が見ているヘルシンキと変わらない、 全く同じ風景を見るに違いない。 だから僕は今、 彼女と同じ100年後のヘルシンキを見ている。
そんなことを想わせるヘルシンキは、 凄まじい都市だった。
過去をストックすることがそのまま未来を創る事である都市の哲学を明快に示してくれた。
1000年経てば1200年と3000年の差になる。 その差は相対的に縮まる。 ヘルシンキもヨーロッパで無視できない歴史の重みを持つことになる。
そんな積りで都市をつくっている人達がこの世の中にはいるのだ。 その様な都市の展望を我々はどう受け止めたらいいのか。 答えは見つからないまま、 デッキからキャビンへ戻って僕は寝てしまった。
ここではもうこれ以上何も言いません。
フィンランド、そしてリーッタさん有難う。
街の中心は市壁で囲まれた旧市街の外、 南東部に整えられている。 道路の体系もそこから放射状に広がっている。 ここがタリンの中心なのだ。 10年前まで市壁で囲まれた旧市街のタリンは見捨てられてきたに違いない。 貧しい、 住む人も無い、 朽ち果てていく町だったに違いない。 それがソビエトの崩壊とともに生き返った。
気がつくと手付かずの古い町が、 そこに残っていた。 これはお金になる。 市場経済の西側世界の観光客が流れ込む。
お土産屋の売り子も、 レストランの呼び込みもまだ何処かぎこちない。 皆懸命に市場経済の人間になろうと努力している健気さが見えてくる。
大統領官邸もここにおいた。 永年ほおって置いた家屋を大改修する工事があちこちで進んでいる。 でもこの街に人が住んでいる気配は無い。 生きた街の気配は無い。 美術館、 博物館は在っても展示物は何も無い。 誰が何処へ持っていってしまったのか。 まさにテーマパークと化した歴史遺産。
人気のある歴史都市ほどテーマパークの謗りを受ける。 ディズニーランドとの違いがあるのか、 俎上にあげられる。 タリンほど完璧にディズニー化した歴史遺産は他にあるまい。 いや、旧ソビエト領の国々にはこの種の街がまだ他にあるのかもしれない。
訪ねてみたいような、馬鹿馬鹿しいような、 気がかりなことが一つ増えてしまった。
「HELSINKI・2102年」他2題
京都造形芸術大学 井口勝文
「HELSINKI・2102年」
タリンへ向かう船のデッキから遠ざかるヘルシンキの街を眺めながら、 ふとこう思った。 「僕は今、 100年後のヘルシンキを見ている」。
リーッタさんは言う「ヘルシンキの200年の歴史はヨーロッパ2000年の都市の歴史ではとるに足りない200年です」。 だから都市をストックする。
「想いを遂げたフィンランドサウナ」
ヘルシンキ西方25キロ、 HVITTRASK (なんと発音するんでしょう)で60年の想いを遂げました。 サウナを出て素っ裸で湖に飛び込んで、 この世で遣り残したことがまたひとつ減りました。
それにしても隣りのサウナ小屋が遥か彼方に見えるだけ。 見渡す限りが自分の世界。 贅沢だなあ。 こんないい目に会っていいのかしら。
「TALLINN・取り残された幸せと惨め」
エストニアの首都タリン。 地図を見れば一目瞭然、大都会である。 ソビエトの北海の玄関、 と昔の本には書いてある。 鄙びた街の佇まいは地図を見る限り想像できない。
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