祭りとコミュニティ
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都市社会にふれあいをもたらす

 

 どうして祭りを取り上げるかという、 私のもう一つの関心を述べさせていただきます。

 以前、 このセミナーでもご紹介しましたが、 1998年にEUの都市計画家のグループが21世紀のあるべき都市に関するアジェンダとして「新アテネ憲章」を発表しました。 その中で、 「都市の中心部における人口の集中が進むと社会的な腐食が始まる。 孤独、 受動性や共同の目的や社会的な発案に対する無関心が一般的なものになっている一方で、 住民の生活はさらに画一的なものになりつつある」という文章が重要視されており、 このことをどのように防いでいったら良いかということが、 都市計画の課題であると位置づけられていました。 このような課題は私の関心とも繋がっていますので、 敢えて紹介しました。

 このような社会現象は、 古い時代から指摘されており、 1897年にデュルケームによって「社会の急激な変動が社会的規範の弛緩や欠如を招き、 焦燥や欲求不満がはげしく昂じる現象(アノミー現象)」が生じるということが指摘されていました。

 その後、 このような都市の病理に関する研究が世界中に広がり、 特にアメリカのシカゴの社会学者たちが大都市問題を検討しました。 その中でも元祖といえるワースは、 都市的生活様式という研究で「伝統的な社会集団の社会統制が崩壊し、 アノミー的な状況が都市社会を特徴づける」と1938年の著書で書いています。

 そして面白いことに、 その要因は「ソフィスティケートな態度」、 つまり、 一見歓迎されそうな「礼儀正しいこと」であり、 また、 社会学の人から見れば初歩的なことでありますが、 「ステレオタイプ操作やシンボル操作に動かされやすい人格」や「精神的緊張(ストレス)」でもあると考えられています。

 ケビン・リンチは環境を評価する五つのディメンジョンを提案し、 その一つであるアクセスビリティーを重要視しています。 私たちは普通場所や機能に対するアクセスビリティーを考えますが、 リンチは人へのアクセスビリティーということも書いており、 重要な指摘でないかと思います。 友人にアクセスできる社会環境でなくてはならないという考え方であり、 先ほど述べた問題意識とも繋がるものであると考えられます。

 昨年の春、 「行ってみたい都市」という国際セミナーを大阪でやった時、 オルデンブルグ教授をお招きして話をする機会がありました。 オルデンブルグ教授は「第3の空間」という本を書き、 アメリカで売れています。

 社会学の人はよく知っていることですが、 第1の空間は家で、 家に帰ると家族がいる。 第2の空間は職場で、 職場に行くと働くグループがいる。 第3の空間はその中間に位置し、 基本的に一人になっている状況です。

 オルデンブルグ教授は「good place」という本を書かれており、 その本の中で「カフェ・ソサエティ」について論じていました。 家でもないし職場でもない空間、 つまり第3の空間に、 かつては「good place」と呼ばれる豊かな交流の空間が沢山あった。 その典型的な空間が「カフェ・ソサエティ」ではないかということです。 そこでは集まってくる人が面白く、 日本の赤提灯も良く似た情景かもしれませんが、 互いにエンタテイナーになっている状況があります。

 ところが、 アメリカでも現代の中産階級の人たちは徐々に引っ込み思案でクールになってきており、 カフェに座っているのを見ても何も面白くないという。 なぜそのようになったのか、 ということがオルデンブルグ教授の関心なのです。 引っ込み思案でクールというのは、 言い方は少し誇張して言っていますが、 先ほどのワースの言っている礼儀正しさと同じであるといえます。

 フランシス・フクヤマさんは著書の中で、 人間は皆、 内発的社交性をもっているが、 それがなかなか発揮されないということから生じる様々な問題を論じています。 山崎正和先生はこの話を引用し、 「複雑な人格が複雑なままに接触できる交友の場」が近代社会、 とりわけアメリカの都市社会では徐々になくなってきており、 とても重大な問題であるということを指摘しています。 ところが「真の交友の場」の性格が日本の宴会にはあるのではないか、 日本の宴会の持っている性質をもう少し考えるべきではないかと述べています。

 これらのことに触発され、 祭りが面白いのではないかという認識を持つに至ったわけです。

 「まちづくり」は様々な定義ができるかと思いますが、 私は「まちが生き生きと生き続けるようにすること」であると考えています。

 まちづくり活動には様々な側面がありますが、 共通しているのは、 人々が集い、 共に考え、 行動することではないかと思います。 その点からも、 まちづくりには「イベントや祭り」の特質が欠かせない条件であると考えられ、 さらには、 まちづくりは「イベントや祭り」そのものではないかという発想も生まれてきます。

 1986年11月に大阪で都市計画学会の大会がありましたが、 その時私たちが企画して「まつりとイベント」というシンポジウムをやりました。 この頃はイベント流行の時代で、 各地で様々な博覧会が開かれており、 それらをまちづくりの牽引車にしたいという意図が働いていました。

 その中で私は「まちづくりを実践していくうえで、 そのタイミングをうまく設定し、 また市民のエネルギーを集めていくことが必要である。 このように考える時、 まつりやイベントはきわめて重要な役割を果たす。 〜〜都市計画の実践手法としてイベントのもつ役割が見直されなければならない」と述べました。 このように、 まちづくりとイベントや祭りがどこかで結びついていると考えており、 私自身のなかでは今回の調査と繋がっているわけです。

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