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平野区旧長原村
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次に、 志紀長吉神社の秋祭りをご紹介します。
大阪市の一番南側の平野区で、 地区の南側に大和川が流れています。 先ほどと同じく、 赤い線で囲った部分が明治以前から村だった場所です。 現在もあまり市街化が進んでおらず、 まだ部分的に田んぼも残っている地域です。
青い線は町会の線です。 今里と全く違うことが分かると思います。 村の東側と南西側が市営住宅団地で別の町会をつくっており、 長原村の町会の範囲は虫食いのように穴があいています。 周辺の小規模開発住宅は、 旧コミュニティを中心とした町会が取り込んでいますが、 面的開発による住宅団地はバサッと切られるという状態です。
村の東部に志紀長吉神社があって、 南に向かって参道が通っており、 お祭りをやっています。
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地車
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長吉の祭りは、 地車が3台、 布団太鼓が1台、 女神輿が1台と五つも練り物が出ます。 地車は子供が引くのですが、 子供が集まらないため、 仕方なく大人たちが引き、 子供たちが綱にさわっているだけという状態でした。 そのようなこともあり、 長吉では地車より布団太鼓がメインとなっています。 この布団太鼓は大人の男たちが担いで盛り上がっていました。 女神輿は最近になって作られました。 15人ぐらいの美鈴会という会で担いでいますが、 女の人で「神輿を担ぎたい」と自分から手を挙げる人はあまりおらず、 知り合いに頼まれて仕方ないから参加しているそうです。 けれども、 楽しいからそれからも毎年来ているという人が多くいるようです。
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布団太鼓
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布団太鼓を担いでいるのは、 年齢ごとに男の人を分けた青友会、 青年団、 長友会、 長老会という四つの団体です。 神社のところに布団太鼓が置いてあります。 各団体に寄り合い所という拠点がありますが、 まず一番遠くから青友会が出発し、 青年団、 長友会、 長老会と年長者を徐々に迎えるように寄り合い所を巡って合流していき、 参道に集結して布団太鼓を担ぎます。 その時、 場所とりのために布団太鼓へ一斉に走っていきます。 みんなで担ぎ出しますが、 各団体で対抗心があるらしく、 他団体に力がかかるように持ち上げたりというような競争があるようです。
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灯篭
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これは、 参道の灯篭ですが、 練り物が通ったりするため、 祭りの時だけプロテクターのようなものを付けています。
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提灯
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祭りの日に飾る提灯です。 住宅の好みは洋風だったのでしょうが、 提灯は代々受け継がれており、 提灯を掛ける場所が作ってありました。
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昔のお神輿
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明治の前からあったお神輿の残骸です。 新しいお神輿を購入したので、 今は倉庫で眠っています。
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お神輿の装飾品
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新しいお神輿の装飾品です。 一個数十万程するそうです。
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