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平野区旧六反村
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最後は、 平野区旧六反村の赤坂神社秋祭りです。
長原村の隣村になります。 町会の状況は長原村とよく似ています。 大阪市の町会の多くは一つが200戸程度ですが、 六反村は1600戸程度あり、 異例の大きさとなっています。 道が入り組んでおり、 どこで町会を分けていいか分からないことに加え、 地域活動を先導する人たちが旧六反村に集まっていて分けられたところはリーダーシップをとる人がいないということで、 分割せずに異例の大きさとなったそうです。
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六反村のミニ開発
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旧六反村周辺は、 田んぼ1枚をミニ開発しているところが多い地域です。 地車はそのようなところにできる行き止まりの細い道まで全部入っていき、 奥でUターンして戻ってきます。
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地車
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地車は一つですが、 昼間は小学生たちが楽しんで大人は見守っており、 夜になると10代後半から20代くらいの人が、 地車を引きながら走ったりします。 昼は「良い子の地車」で、 夜は「大人の地車」というように二つの顔を持っています。
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車座
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神社の境内です。 手前の水色のハッピが長老グループ、 その奥の黒い衣装が20歳くらいのグループ、 その奥が小学生たちというように、 年齢ごとに車座になっています。 夜の地車巡行の前に精をつけるということで、 お酒を飲んでご飯を食べています。
この神社は、 個人の家の守り神を村の守り神にしたものであるため、 宮司さんがおらず、 伝統的な祭りもありませんでした。 昭和40年代くらいから地域の周りに団地や家が次々と建てられて田んぼが減ってきていました。 そのような状況の中で、 子供たちがもっと地域に愛着をもって生活していくためには地車がいいのではないか、 ということで町会の人たちが昭和53年に地車を買ったそうです。
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炊き出しのメニュー
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炊き出しはおばさんたちが町会で購入した大きな釜でしていました。
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村の長老への挨拶
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地車保存会の人とその若奥さんが、 村の長老に「子供が産まれました」という報告に来ているところです。 「あそこの人は誰と結婚してどんな子がいる」ということを皆が知っており、 そのような良い意味での村社会が残っているところです。
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漫談
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毎年、 祭りの最後に地車保存会の代表が地車上で漫談のようなものをして地域の人を笑わせるというものがあります。 若者が大人と認められる登竜門のようなもので、 今回は三兄弟がグループでネタを披露していました。
現在、 六反村の北側で区画整理をやっており、 神社が公園として整備されることになっているのですが、 「大きな道路も通ってマンションも建っているけど、 六反は地車があるから、 みんな地車で心を一つにして町が変わっても頑張っていこう」と言って祭りの最後をしめくくっていました。
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