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地車の運営

 

 現在、 地車を新調すると数千万から数億円くらいかかるそうです。 修理費は程度によって違ってきますが、 1千万円近くになることもあるそうです。

 このような状況の中で、 どのように地車を運営しているのかを今回の対象地別にみていきます。


大今里村

 大今里村では、 明治31年に大修理を行ないました。 その時は、 数年間夜なべしたり、 村人がかけずり回ったりして360円を集め、 修理をしたそうです。 昭和30年にも修理をしていますが、 また同様に資金集めにかけずり回り、 知り合いに頼み込んで修理費数十万円のところを7万円にしてもらうなど、 苦労したそうです。

 東今里村では、 「明治2年以前からあったことは確かだが、 正確にいつからこの地車があったかは分からない」ということでした。 一度、 小さな町工場のおじさんたちが集まって日曜大工などで修理しましたが、 それでも60万円くらいかかったそうです。 しかし素人の修理だったので、 地車の軸がずれてきたため、 現在400万円をかけて大修理中だそうです。

 東今里の地車保存会の会長さんは、 「地車の修理は自分の生涯の夢であった」と言われていましたが、 修理費400万円を集めるために、 地車をいっぱい引き回して沢山のお花代をもらったり、 地域の人に寄付を募って回るのがすごく大変だったということです。 昔からの豪農の家の方は、 一軒で50万円くらい寄付してくれてとても助かったそうですが、 次に修理しなければならなくなった数十年後、 そのような家がなくなっていたらどうするのだろうという不安があるということでした。


長原村

 長原村では、 神輿と布団太鼓はもともとあったそうですが、 地車3台と女神輿を新規で購入したそうです。 先ほど豪華な装飾品の写真も出てきましたが、 ものすごくお金回りのいい地域です。

 長原には昔、 大きな池があったのですが、 高校を建設するということで、 この池を売ったのです。 そのお金が約15億円。 町会がもっているのかまた別の団体がもっているのかはっきりとは分からないのですが、 旧コミュニティを中心として15億円もっており、 1台数千万円する地車3台などを気前よく買ったそうです。 しかし地車はあるけれども、 地車を引く人が少なくて引きずっているというような実情があります。 今でもまだ6億円くらいは残っているそうで、 しばらくは運営に心配はないということです。


六反村

 六反村は、 もともと地車がありませんでした。 昭和53年に、 新品だと数千万円くらいする地車を、 中古で250万円で購入しています。 「神戸の東灘区の双子地車の片割れが奈良に売られていく途中で中止になって、 それを買い取った」といういわれがあるそうです。 町会で集めたお金で日曜大工で修理したそうです。

 それぞれの地域でそれぞれの状況に応じてやりくりして地車を運営しています。

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