連鎖のまちづくり
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3。 連鎖のまちづくりの実例

 

 この「連鎖」という言葉をイメージするまでには様々な事業に関わってきました。 そしてそれらが何かのキーワードで一つに繋がるのではないかと思ったとき初めてこの言葉を使ったわけです。 ここではそのきっかけとなった事業を三つ取り上げます。

 一つは密集地区における密集住宅市街地整備促進事業、 それから二つ目は住市総事業(住宅市街地整備総合支援事業)、 三つ目は法定事業ですが市街地再開発事業、 これらについてそれぞれ事例を取り上げて検証しました。


(1)密集事業等

(1)戦前長屋密集(阿倍野阪南町地区)
 初めにご紹介するのは「阿倍野集合住宅プロジェクト」というコーポラティブ住宅です。 大阪市内には戦前長屋住宅が多く密集していますが、 昭和57年頃に阿倍野区の阪南あたりでそれらを何とか建て替えられないかと考えたのがこの事業です。

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戦前長屋の分布
 これは大阪市内で戦前長屋の密集しているゾーンを大きく描いたものですが、 このように大阪環状線の外側にリング状に広がっています。 大阪市内で約10万戸くらいあると思います。

 戦前長屋にはわりと良い建物もあるのですが、 こういったゾーンで無秩序に増築されたり切り取られたりとめちゃくちゃになってきていました。 そこで、 これら建替えを少し計画的にまちづくりにつなげないかということで、 住民に参加してもらえるコーポラティブをやろうとしたわけです。

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Rojiコート(パンフレット表紙・ヘキサ提供)
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Rojiコート(内部写真・ヘキサ提供)
 この事業が、 昭和62年に完成した「ROJIコート」で、 中庭のような路地を挟んで5階建て15戸のコーポラティブ住宅でした。

 このコーポラティブ住宅をつくるのに、 いろんな呼びかけをしました。

 まず共同の住宅、 いわゆるコーポラティブで住宅をつくりませんかと長屋の居住者に呼びかけ、 それによって上物の老朽化した住宅を少しずつ建替えつつ、 さらに環境に良いものを加えつつ、 それを連続的に繋げていけないかと考えて、 アンケートをとったり地元の人に説明会をしたりしました。

 さらに我々は、 これを設計した人達や地元の不動産業者にも加わってもらって、 建替えの相談を受けてもらえる研究所のようなものをここに設けてもらいたいと考えました。 それこそ不動産情報とまちづくりから家づくりまで、 一緒に進めるようなプロジェクトだったわけです。

 残念ながらこれはうまくいきませんでした。 今のところ長屋の建替はこのROJIコート一つで終わった状態です。

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Rojiコート・連鎖のイメージ

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Rojiコート・連鎖のイメージ
 このROJIコートは天王寺の阿倍野筋から南に下ったところにある公園のすぐ南側にあります。

 ROJIコートの南側には現在モータープールがありますが、 これは昔は長屋でした。 この辺りには長屋が結構沢山あって、 私達はできればROJIコートの南側の戦前長屋に声をかけながら街区として広げていこうと考えていました。 このROJIコートの真ん中に中庭とか路地のようなものをとって南に繋がっていくようなデザインにしたのも、 この路地を連続的に繋げていくことをイメージしていたわけです
 実は先ほど見て頂いた南船場の建物でも考え方は同じでして、 あそこでは玄関のアプローチがまっすぐ裏にぬけているのですが、 それはすぐ北あるいは西東に繋げていこうという意図でデザインしているのです。

(2)木賃密集 東大利・萱島東地区
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寝屋川市東大利、 萱島の位置
 大阪府下では木賃アパートの密集地区が数多く分布しており、 これら密集市街地を整備していくために密集法(密集市街地における防災街区の整備の促進に関する法律)によって大阪府下で約1500haが地区指定されています。

 このような密集地区での建替え及び整備事業は非常に難しいのですが、 ここでは寝屋川市の東大利(ひがしおおとし)地区および萱島東地区において、 この事業の展開がどうなっているかを調べました。

 まず東大利地区です。 当初は木賃が密集していた地区で約7100m2あります。 初めにここの家主さんから共同で建替えたいという相談を受け、 それに市も賛同して取り組もうということになりました。

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東大利・住宅形式図、 整備計画図
 そこでこのような整備計画をつくりました。 これは変更後の計画で、 初めはもっと小さい整備計画から始まりました。

 まずこの地区の真ん中あたりで公団が30戸程度の住宅を造りました。 この小さな地区での整備を起点事業として、 その後ゾーンごとに段階的に整備が進み、 最終的には公園が出来て、 この地区全体の整備ができた訳です。

 当地区ではスムーズに事業が進んだので計画的にやったのではと言われるのですが、 これはまったくの偶然で、 当初はここまで展開できるとは思いませんでした。

 市やコンサルタント、 公団が相当な汗をかいて頑張ったこともあり、 こういう結果になったわけです。

 一つのゾーンを整備する際に、 地家主さんの意向把握から経営問題など色んな対策をし、 錯綜した権利を解きほぐしたり少しずつ基盤を整備しながら、 といった事をこまめにやりながら事業を進めていったので、 非常に時間がかかりました。

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公団建替ゾーン
 実は、 この公団が造った建物のある地区には、 売却したい地主さんが上手い具合に固まっていたものですから土地を全て買収していきました。 ただ一カ所の地主さんが途中で気が変わり、 借家を経営したいということになりました。

 そこで、 右上の建物は一見一つに見えますが、 実は敷地境界に沿った部分に二重壁をつくることで権利を重ねないようにしました。 つまり建物は一棟で申請しているのですが、 一部だけは地主さんによる公団の民賃制度を利用した住宅で、 それらが一緒になっているわけです。

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連鎖の展開
 この例以降、 この地区でのプロジェクト全て「二重壁方式」を採用しています。 権利が重なる事を地権者は嫌うのです。 それをクリアできれば相当事業が進むということがわかったわけです。

 他には土地を交換分合したりして敷地を整備しながら基盤づくりがされています。 また、 そのために協議会を設立し、 全体のガイドプランを一緒にイメージしながら作っていきました。

 こういったこまめな動きがあって、 結果として全体が連鎖して大きく動いたわけです。

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東大利・整備前の様子

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東大利・整備後の様子
 事業前はこの辺りの木賃アパートの家賃は1万円/月くらいだったのですが、 新しい住宅ではその数倍になり、 もともと住んでいた人は皆出て行くことになってしまいました。 今でこそ家賃補助があり、 元いた人を戻すことができますが、 当時は出て行ってもらうしかなく、 新しい人に入ってきてもらっていました。

 そのため、 当時の公団は「借家人の追い出し事業をやっている」と新聞で批判されたものでした。 そんな中このような住宅ができ、 随分人気が出ました。

 《東大利地区での》事業の成功にあわせて、 寝屋川市では、 そのすぐ近くの萱島東(かやしまひがし)地区でもこれを応用してやろうと取り組みました。

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萱島東・全体整備計画図
 この萱島東の西側の密集地区は東大利地区とまったく同じ連鎖のやり方ですが、 この地区の特徴は、 密集地区整備を進めながら同時に主要生活道路のネットワーク化をテコに全体の整備につないで行ったことでした。 その際、 地区内の東側のアキ地を中心にした拠点的開発地区に受皿となる住宅・敷地をつくって、 ころがしていきました。

 実際のところ、 密集地で連鎖を実行するのは非常に難しく、 今でもこういった密集地区でこのような事業がどんどん進んでいるかというと、 そうではありません。

 そういった中で連鎖を促進するためには、 先ほどご説明した「連鎖誘引システム」をいかに効果的に構築していくか、 強化していくかが重要であると思います。


(2)住市総事業(住宅市街地整備総合支援事業・任意事業)

(1)神戸ハーバーランド地区
 住市総事業は、 都心で住宅の大量供給を進めながら、 一方で市街地整備を一緒にやっていくという総合的な手法なのですが、 強制力はありません。

 ハーバーランドは、 正式には「神戸駅周辺地区」のJR神戸駅南側のゾーンにあたります。 また隣接する東川崎はどちらかというと密集市街地、 駅北側のゾーンは新開地と呼ばれ、 昔は市役所が近くにあって映画館などが建ち並び随分賑わった古い商店街ですが、 今は衰退しているところです。

 これら三つのゾーンを一つの住市総事業地区として括り、 整備が始まったのは震災前のことでした。

 現在、 関西で住市総事業地区(総合再開発タイプ)に指定されている場所は全部で22地区あり、 うち12地区は震災復興のために指定された地区です。 ところが神戸駅周辺地区については震災前から指定されています。 そういうわけで、 ここでは早くから色んな事業が取り組まれていました。

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神戸ハーバーランド・整備計画図
 図は神戸駅周辺地区全体のプロジェクトが繋がっていった際の模式図です。

 実は住市総事業というのは住宅を中心とした事業であって、 住宅市街地の整備をすることが主な役割なのですが、 ここでは何故か新開地という商業ゾーンまでエリアに入れているうえ、 この商店街の両脇にプロジェクトが集中しています。 つまり商店街を再生するために住市総が使われたわけです。

 その起点となった事業が神戸1と呼ばれる神戸市がもともと持っていた土地につくったコーポラティブ住宅です。 これが次から次へと連鎖していったわけですが、 これが連鎖した一番の要因はこの商店街のモール化でした。

 以前はアーケードが薄汚い商店街のイメージを象徴していましたが、 アーケードをはずして造り替えたわけです。 これが大きな契機となって、 このモールを中心にいろんな事業が起こってきました。 建物デザインの質を上げようということで「建築デザイン誘導制度」が設けられています。 そういう事で、 ここでは再開発事業も含めて全部で九つの事業が連鎖しています。

 一方で、 《東川崎工区の》密集市街地では寝屋川市の事業と同じ様に、 2000m2くらいの小さな住宅地区改良事業が起点となって、 このあたりで共同建て替えのプロジェクトが連鎖的に進んでいきました。

 また、 神戸市が受皿住宅等をつくり、 地区内に道路を整備し、 ついこの間これが開通しました。

 それに合わせて、 地区の中心のところに密集のかたまりがあるのですが、 ここを今、 基盤整備をやりながら上物の整備の誘導を試みています。

 このような連鎖事業はそんなに簡単には進まず、 最初の頃はずっと止まっていました。 それが震災を契機に、 補助金の率が高くなったりしたことや、 市民の危機意識が高まったことにより事業が連鎖的に進み始めたのです。


(3)再開発事業(市街地再開発事業・法定事業)

(1)川西能勢口駅前地区
 住市総はそんな感じなのですが、 もう一つ、 市街地再開発事業があります。 再開発事業で連鎖的に街が変わっていくというような事例は全国的にも少なく、 今から紹介する阪急川西能勢口駅前の再開発事業は関西でも珍しい事例です。

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川西能勢・事業実施状況図
 ここでは阪急とJRを機能的に結んだ基盤整備をしながら、 一方で建物の再開発事業をやろうというとんでもないことを考えた人がおり、 昭和48年に整備計画案を作ってから一度も変更せずに今も再開発事業を続けています。

 再開発事業をやっているのがアミ点の部分で、 六つあります。 そのうち一つは任意事業で、 共同化でやった事業です。 これらがこんな形で繋がって基盤整備も合わせて周辺に広がっていっています。 他に再開発ではないのですが、 現在はEゾーンで事業が進んでいます。

 ガイドラインをつくって、 それをかたくなに守りながら、 成功したのは、 地元の商業者に対するコンセンサスづくりを丁寧にやっているということです。 それでまとまったところから事業に着手していっているわけです。 従ってD地区はそういう事情を踏まえて1と2に分けています。 またCにも1と2がありますが、 2は受け皿住宅で、 1はメインの阪急デパートがある地区です。

 ここでも商業者のコンセンサスを得るために商業床は法定容積の6〜7割に抑えて、 余裕を残しています。 それが後の再開発事業をやりやすくしたというところがあります。

 再開発事業はその制度上・構造上、 地域のポテンシャルを一気に食いつぶしてしまい、 その辺の商業床の売り上げを全部かっさらっていくような結果になることも多いのですが、 ここではそれをセーブしながら、 その余ったポテンシャリティーを周りに配分しています。 そして3〜5年の期間を置きながら地価が沈静していくのを待ち次の再開発事業をやるという具合にまちづくりを進めていきました。

 先ほど言った色んな誘引システムが上手く作用したときには、 再開発事業でも繋がっていくわけです。

 実はこの駅前は改良事業でやろうかと言っていたぐらい密集していて老朽化していた市街地だったのですが、 改良をやめて市街地再開発に切り替えたのは、 改良事業は全面買収方式ですから、 そこから固定資産税等の税金があがってきません。 一方再開発事業はうまく使われれば使われるほどそこから税収が上がってくる。 そういうことで再開発事業を取り入れたわけです。 もちろんそれだけではないのですが、 そういう手法を取り入れて税収を上げることによって再開発事業に対する公共投資をうまく循環させながら再開発事業をやっているという地区です。

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川西能勢口駅前地区・全体
 年間売上げが350億円と飛躍的にのびたと聞いています。 従来は池田の商圏でしたが、 今や完全に独立して大きな商圏を形成しています。

 また乗り換えが非常にスムーズになって来街者数は以前の2.2倍、 約20万人の乗降客数となりました。 駅前が見違えるような景観になって市民が愛着を持っていると聞いています。

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