3。 連鎖のまちづくりの実例
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図は神戸駅周辺地区全体のプロジェクトが繋がっていった際の模式図です。 実は住市総事業というのは住宅を中心とした事業であって、 住宅市街地の整備をすることが主な役割なのですが、 ここでは何故か新開地という商業ゾーンまでエリアに入れているうえ、 この商店街の両脇にプロジェクトが集中しています。 つまり商店街を再生するために住市総が使われたわけです。 その起点となった事業が神戸1と呼ばれる神戸市がもともと持っていた土地につくったコーポラティブ住宅です。 これが次から次へと連鎖していったわけですが、 これが連鎖した一番の要因はこの商店街のモール化でした。 以前はアーケードが薄汚い商店街のイメージを象徴していましたが、 アーケードをはずして造り替えたわけです。 これが大きな契機となって、 このモールを中心にいろんな事業が起こってきました。 建物デザインの質を上げようということで「建築デザイン誘導制度」が設けられています。 そういう事で、 ここでは再開発事業も含めて全部で九つの事業が連鎖しています。 一方で、 《東川崎工区の》密集市街地では寝屋川市の事業と同じ様に、 2000m2くらいの小さな住宅地区改良事業が起点となって、 このあたりで共同建て替えのプロジェクトが連鎖的に進んでいきました。 また、 神戸市が受皿住宅等をつくり、 地区内に道路を整備し、 ついこの間これが開通しました。 それに合わせて、 地区の中心のところに密集のかたまりがあるのですが、 ここを今、 基盤整備をやりながら上物の整備の誘導を試みています。 このような連鎖事業はそんなに簡単には進まず、 最初の頃はずっと止まっていました。 それが震災を契機に、 補助金の率が高くなったりしたことや、 市民の危機意識が高まったことにより事業が連鎖的に進み始めたのです。
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ここでは阪急とJRを機能的に結んだ基盤整備をしながら、 一方で建物の再開発事業をやろうというとんでもないことを考えた人がおり、 昭和48年に整備計画案を作ってから一度も変更せずに今も再開発事業を続けています。 再開発事業をやっているのがアミ点の部分で、 六つあります。 そのうち一つは任意事業で、 共同化でやった事業です。 これらがこんな形で繋がって基盤整備も合わせて周辺に広がっていっています。 他に再開発ではないのですが、 現在はEゾーンで事業が進んでいます。 ガイドラインをつくって、 それをかたくなに守りながら、 成功したのは、 地元の商業者に対するコンセンサスづくりを丁寧にやっているということです。 それでまとまったところから事業に着手していっているわけです。 従ってD地区はそういう事情を踏まえて1と2に分けています。 またCにも1と2がありますが、 2は受け皿住宅で、 1はメインの阪急デパートがある地区です。 ここでも商業者のコンセンサスを得るために商業床は法定容積の6〜7割に抑えて、 余裕を残しています。 それが後の再開発事業をやりやすくしたというところがあります。 再開発事業はその制度上・構造上、 地域のポテンシャルを一気に食いつぶしてしまい、 その辺の商業床の売り上げを全部かっさらっていくような結果になることも多いのですが、 ここではそれをセーブしながら、 その余ったポテンシャリティーを周りに配分しています。 そして3〜5年の期間を置きながら地価が沈静していくのを待ち次の再開発事業をやるという具合にまちづくりを進めていきました。 先ほど言った色んな誘引システムが上手く作用したときには、 再開発事業でも繋がっていくわけです。 実はこの駅前は改良事業でやろうかと言っていたぐらい密集していて老朽化していた市街地だったのですが、 改良をやめて市街地再開発に切り替えたのは、 改良事業は全面買収方式ですから、 そこから固定資産税等の税金があがってきません。 一方再開発事業はうまく使われれば使われるほどそこから税収が上がってくる。 そういうことで再開発事業を取り入れたわけです。 もちろんそれだけではないのですが、 そういう手法を取り入れて税収を上げることによって再開発事業に対する公共投資をうまく循環させながら再開発事業をやっているという地区です。
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年間売上げが350億円と飛躍的にのびたと聞いています。 従来は池田の商圏でしたが、 今や完全に独立して大きな商圏を形成しています。 また乗り換えが非常にスムーズになって来街者数は以前の2.2倍、 約20万人の乗降客数となりました。 駅前が見違えるような景観になって市民が愛着を持っていると聞いています。
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