私も江川さんと同様、 建築と都市設計を生業としております。 今日は天神祭りにも関わらず大勢の方が出席されていてビックリしていますが、 今日ここに大阪市や公団の方は来ておられますか? あ、 いらっしゃらないのなら、 気楽にしゃべらせてもらいます(笑)。
締め切りの12月間際まで実は出す気はしなかったのですが、 直前にランドスケープの長谷川さんとコンペについて議論しましたところ、 なかなか面白かったものですから、 長谷川さんとディスカッションしながらコンペ作品をまとめていきました。
エコ・トラスト・フロンティアOSAKA
PPI計画・設計研究所 三好庸隆
三好さんと共に一生懸命取り組んだ仲間として、 一言述べさせていただきます。 何かしゃべらないと、 汗をかいた意味もないような気もしますんで(笑)。
実は三好さんから声がかかる前に、 私は別のチームとこのコンペに取り組んでいたのですが、 どうしても波長が合わなくてコンビを解消してしまったんです。 三好さんの話の文脈で私が特に興味を持ったのは、 計画地の北ヤードから南のOCATまでをトランジットモールでつなぐ新しい都市交通と全体のまちづくりを一体化するという考え方です。
私は計画地を森にしようという提案がいくつか出てくるだろうと思っていました。 私もランドスケープをやっている人間ですから、 24ha全部を山や森、 丘、 公園にする提案をすれば一番分かりやすいのですが、 それでは事業になりません。 では、 どのくらいの規模になるのか比較・検証すると、 大坂城、 靫(うつぼ)公園、 天王寺公園ぐらいで、 それぐらいでは大規模でも何でもないんですね。 そんなに大きくない空間とはいえ、 森にしたり公園にしたりして、 都市に杜をつくることは重要なことだけど、 事業としては成立しないだろうということで、 三好さんの提案にのる形で参加しました。
また三好さんの話の中で50メートル×50メートルのプランニングユニットが出ましたが、 この2500m2はちょうど都市計画で言う街区公園の大きさにあたります。 私はプランニングユニットを碁盤の目のように並べていく中で、 これを一つのまちの単位にしたいと思っています。 そして計画が完成するまでは、 このひとつひとつを花と緑と果実の楽園にしてみたい。 まちが完成する50年後まで緑の楽園にしておいて、 そこに何か作りたい人がユニットの中にひとつ施設を作ったり家を作ったりするプロセスにしてはどうかと思います。
言い換えれば、 都市が完成するということは、 20世紀初頭に作った緑の楽園を一つずつ食いつぶしながら出来ていくことになるわけです。 そこで都市を完成する素晴らしさと共に都市の一等地にある緑地をなくしていく罪悪感も感じてもらうという二重の仕掛けになっています。 そういう提案を三好さんにしました。 デザインではなくまちづくりのプロセスとして、 都市の中の緑の大切さを都市計画のプロセスの中で知ってもらうことが、 ランドスケープアーキテクトとしての私のメッセージです。
最後に言いたいこととして、 都市の中の水路についても触れておきます。 淀川から堂島まで約1.2kmあります。 わずか1.2kmですから、 淀川から計画地を通して堂島川、 そして大阪湾に水が流れるようにしてはどうかと思います。 自然を使ったダイナミックな手法をぜひこれからのまちづくりに取り入れていただきたいと思っています。 私の話は以上です。
ランドスケープからの視点
長谷川:
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