日本景色史・序
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質疑応答

 

 

風景の見方の根底に何があるか
(樋口先生への4つの質問)

山崎(立命館大学)

 まずは、 樋口先生が京都に来られたことに遅ればせながら歓迎の言葉を述べたいと思います。 先生が来られたことで、 京都のみならず関西の景観研究が活発になって、 その結果、 美しい景観が得られれば嬉しいことです。

 今日のお話の中で印象的だったのは、 京都新聞が四季折々の花の名所の紹介をしていますが、 これはよそではあまり見られないことだということです。 京都に住んでおりますとそういうことはあまり気づきませんで、 よそでもそんなニュースは普通なんだろうと思っていました。 これからも、 外からの目で京都らしさを語っていただけるのではないかと楽しみにしております。

 ではここで、 今日のお話で気がついたことを4つばかり話させていただきます。

(1)現代の都市景観の醜さとどう関わるか?
 今日は景観や風景ではなく「景色」という言葉でいろいろ教えていただきました。 日本の目に見える世界は文学的で情緒的であり、 特に言葉と深く関わっていることをお話しいただき、 大変勉強になりました。 私も以前から風景や景色というものは、 モノだけで見ていくものではないと思っていました。

 そこで先生に質問したいのですが、 景色論や風景論は現代の都市景観の醜さとどう関わるのかということです。 そこがなかなか分かりづらいところでして、 景色論と現実のまちづくりの間を埋めるようなお話をしていただければと思います。 私も埋めようとしているのですが、 なかなか上手にいかないのです。

(2)日本らしさと地域主義について
 今日、 先生は主に日本らしさや日本的なるものを追求してお話しされたと思いますが、 その中にも地域的な風景や景色のご紹介がありました。 私は約30年前から町並みの保存問題に従事していますが、 当初は学生運動が盛んな時代でもあり、 町並み保存をすることは国家主義、 国粋主義と結びつくのではないかと学生から随分批判を受けた事がありました。

 その時、 我々はこれは国家主義ではなく地域主義であるとはっきり標榜して批判に対抗しました。 日本らしさと言ったとき、 そこからこぼれ落ちそうな地域性、 しかも目に見えて実感できる地域性の景観を大事にしてやってきたのですが、 そのためにかえって日本らしい風景の本質とは何かという研究がおろそかになった気もいたします。 そんな事情が町並み景観に携わってきた者にはあることを紹介しておきます。

(3)「寿ぐ(ことほぐ)」という感覚
 今日は「寿ぐ(ことほぐ)」という言葉を使ってお話しいただきました。 先生は、 宇宙の正常な運行を祝う言葉だとおっしゃいました。 それで私が思いましたのは、 我々が風景や景色を見て何に美を感じるかは、 人間が住みやすいあるいは生き続けるのにふさわしい環境を美しいと思っているのではないか。 いわば、 人類が環境に依存して生き続けた何千年、 何万年もの感覚が美という感覚に知恵として入っているのだろうという気がいたします。 ですから「寿ぐ」という感覚は、 持続可能な景色とつながるんですね。 我々が風景美を大事にするということは、 すなわち持続可能な世界を作ることと結びつくと思います。

(4) 日本画は本質を描くものだ
 ベルグさんは「多感覚的」として「日本には透視図的な見方がない」とおっしゃったのですが、 私はそれは違うと思いました。

 私は日本画を習っていたことがありますが、 その中の山水画は実態をそのまま写生するのではなく、 心に残る本質を描くものです。 ひとつの風景をいろいろ写生しますが、 いざ一枚の絵にするときはそれらを見ないで一気に描きあげるということもあります。 もっと詳しく言うと、 三面法という技法では対象物の前、 横、 真上からじっくり見て理解した後に初めて絵に取りかかれと教えられます。 これは「林泉高致」という画論集で勉強したことですが。

 ですから、 ベルグさんのおっしゃる多感覚的という捉え方はちょっと違うなあと思いました。 東洋の風景の捉え方は、 景色や風景という言葉からして現象的ですよね。 風景は光の状態で「けしき」は気持ちの状態ですし、 景色と書けば光と色の状態ということになりましょうか。 現象的でありながら、 一方で日本画のように本質を描くという方向性もありますので、 興味深いのではないかと思いました。

樋口

 非常に魅力的なコメントをいただき、 有り難うございました。 今いただきましたコメントに一つずつ答えさせていただきます。

(1) 国法の不在が都市景観を醜くした
 まず都市景観の醜さについてですが、 実際その通りでして、 建築学会でも4年間にわたって京都の都市景観に関する問題を扱い、 どうしたらいいかの提言を書きました。 それは「京都創生」という形でまとめられています。

 日本の都市景観がどの辺からずれてきたかを考えると、 多分それは明治の文明開化の頃まで遡れるだろうと思います。 中でも生活環境の景観の変貌が激しく、 景観という切り口から抵抗しても対応しきれなかった所があったと思います。

 そして私は「国法」の不在が一番大きな原因だろうと考えています。 国土交通省が今回考えている法律がどういう形になるのかはある程度見えてきているようですが、 もう少し理念的なところ、 つまり国として景色をどう考えていくのかをしっかり示してほしいと思っています。 そして、 その中でいろんな都市の条例ができて来る。 それができたら、 今の都市景観の醜さはかなり解消されていくことでしょう。

 私もいろんな都市の条例作りに関わっていますが、 やはり限界がありまして、 今は「お願い」という形しかとれないのです。 それでは景観が良くなることは不可能です。 しっかりした法体系が欠けていることが一番弱いところではなかったかと思っています。 ただ、 理念がどれほどしっかりした形でうたわれるのかを我々はよく監視していく必要があると思います。

(2) 地域らしさと日本らしさは同時にある
 地域主義と日本らしさについても、 非常に面白い話でございました。 京都には京都の風景があり、 新潟には新潟の風景があり、 それぞれの違いをはっきりと感じることができます。 ただ、 それぞれに違ってもお互いに日本人であり、 いろいろと交流する必要があると思います。 私も京都で面白い発見があれば新潟にそれを伝えるなど、 いろいろと情報を流しています。 交流しあう中で、 それぞれが刺激しあうことが大事ではないかと思っています。

 そういう意味で地域主義と日本らしさは、 どの地域に行っても両方存在していると私は思います。 また、 外国人の風景の見方を取り入れる場合もありますが、 風景の見方の根底に何があるかを把握してデザイン手法を取り入れる必要があるでしょう。

(3) 「住処(すみか)」観
 これは美意識の話ですが、 以前学芸出版社から出した
「都市のデザイン」という本の中で私は「住処」という言葉を使いましたが、 住処(あるいは環境という言葉が一般的でしょうが)ということを景色を考える時の基本に据えています。 それが大事だと思っています。 先ほど見てきた国見も住みかが基本にあって、 そこからいろんな景色の見方が出てきています。 日本人の自然観や都市観、 環境観も住処観というものが根底にあって、 そこから逸脱しないようになっているのではないでしょうか。

 住みか観とは何かと問われるとそれはよく分からないところですが、 ベルクさんは道教から来ているのではないかと言っています。 ただ私は道教で説明できるのかどうかは分からないと思っています。 ただ、 それに近い意識が根底にあってその辺から美意識(環境の美学ですね)を見ていく必要はあるだろうと思います。 また、 持続可能な概念や「寿ぐ」という概念についても、 いろいろ整理して議論していく必要があるでしょう。

(4) どういう本質の捉え方をするかが課題
 確かに日本画には多感覚的という形だけでは捉えられないし、 やはり本質を捉えるというところがあると思います。 現象的でありながら本質は抜かさないというところがあるし、 日本人の自然の把握の仕方にもそういうところがあると思います。 ただ自然以外のもの、 例えば住みかについてどういう本質の捉え方をしているのかはについては、 これからの課題だと思います。

 西洋的な概念で日本の景色を作ろうとしてもなかなかうまくいかず、 過去の手痛い失敗事例が沢山あるわけで、 何が本質なのかを地域ごとに目を凝らして見ていく必要があるでしょう。 多分それは外国と比較しないと見えてこないように思います。 ですから、 外国の人々とも交流を深めながら論じていく必要があるのではないでしょうか。

 そういう意味ではベルクさんはうってつけで、 彼は日本のことをよく知っていますし、 よく彼と議論しながらこういう問題を考えてきました。 みなさんもいろんな外国人と議論をする事をお薦めします。 そのことによってお互いの位置がよく見えてくることもありますし、 ふさわしい景色の育て方が見えてくるんじゃないかと思います。


もし「景観基本法」の参考事例をあげろと言われたら

杉本(大阪大学)

 今日は「景色」から始まって「風景」「景観」と言葉の変遷を歴史的に分かりやすく説明していただき、 大変勉強になりました。 最後に「景観」という言葉までご説明頂いた後、 再び「持続可能な景色」つまり「景色」に言葉を戻されましたが、 このような「景色」の視点からこれからの「景観」を考えるヒントをいただきたいと思います。

 「美しい国づくり大綱」につづき「景観基本法」がつくられることになり、 これから日本の景観に関する法体系は大きく変わっていくと思います。 これはとても重要なことだと思います。 ただ、 以前「美しい国づくり大綱」の参考事例を見たとき、 「電線の地下埋設」だとか「看板をなくす」などの安易な参考事例にがっかりしたことがあります。

 もし樋口先生が「多感覚的」や「日本的」などというキーワードを踏まえて景観基本法の参考事例を挙げて欲しいと言われたら、 どんなまちのどんなものを挙げられますか。

樋口

 それは理想的な事例ですか、 それとも好ましくない事例ですか。

杉本

 好ましいほうです。

樋口

 そうですね。 いろいろあるでしょうが、 総合的にと言うと難しいところがありますね。

 京都は私は高く評価しています。 もちろん町中の景観の混乱など乱れたところはいろいろありますが、 周辺部分には魅力的な場所がまだ沢山あります。 今日私が挙げた10の項目がどれくらい育っているかをそれぞれの都市で見ていく作業をぜひやって欲しいと思いますが、 それに沿って言うと、 京都はいい線行っていると思います。 壊れている所も沢山ありますが、 残されているものも多く、 10の項目のほとんどが当てはまるのではないかと思います。 もっとも、 10の項目が誕生し、 育ってきたのが京都という街だったという歴史上、 項目が揃っているということもありましょうが。

 ですから、 具体的にこの街だということは挙げられません。 ただ、 10の項目のいくつかが生き生きと残っているところを評価したいと思っています。 そういう視点から言うと、 国土交通省で挙げられているものは大分ずれているとは思いますが、 景観を論じる人たちも一般には同じようなのかなとも思います。 景色という言葉にすると、 また違うイメージがでてくるのではないかと思います。


理想の風景とは

松久(大阪芸大)

 昨年のJUDIフォーラム・関西で「形と関係の風景デザイン」をテーマに議論をしました。 その時は、 形とは現象であり、 関係とはシステムの反映と捉えて風景を読み解こうとしました。 多分その双方が入り混じって問題になるのでしょうが、 そのことについてどうお考えなのかをお伺いしたいと思います。 つまり、 風景を捉えるとき風景をつくりあげたシステムが問題なのか、 結果としての風景という現象が問題なのかということです。

 それからもう1つ、 風景の過去の歴史には理想の風景がイメージとしてあったと思いますが、 今の時代は目標とする理想の風景がないように思われます。 先生は理想の風景についてどういったお考えをされていますか。

樋口

 最初のご質問については、 両方問題ですと答えるのが一番いいんでしょう。 やはり、 どちらかの問題と言うより、 両方に問題があるのでしょう。 現代社会はかなり複雑ですから、 それに対応した景観がうまく作れていないと思います。 かつてのシンプルな生活の中に科学技術の発達などいろんな要素が入ってきて、 環境そのものが複雑化しています。 また、 人間の住む密度や動く量なども大きくなっていて、 それに対するコントロールもうまくいかなくなっているということもあると思います。 あるいは「こうすればいい」という解決策があっても、 それに対応できるシステムや法的整備が欠けている面もあります。 特に私は法的な体系が整ってないことが大きいと思います。 先進国の中ではちょっと信じがたいことではないかと思います。 そうしたもろもろのことが混乱を引き起こしているのではないでしょうか。

 ふたつ目の質問の理想の風景については私も探しているところでして、 それが何なのかをうまく説明できないのですが、 道教的なところがあると言えるでしょう。 ベルグさんは以前「中国人が世界で初めて〈風景〉を発見した。 それは隠遁地の風景だ」と言っていましたが、 そこに理想の風景の鍵があると思っています。

 ただ、 日本の場合、 そのような風景を受け入れたのは隠者ではなく都に住む貴族でした。 中国の文献に接するのは都に住む貴族だけですから、 まず知識として入ってきたと思われます。 都市に住みつつ隠遁的な生活にあこがれるという傾向があって、 それで郊外に目が行く趣向が出てきたと理解できます。 ただ、 根底には都市に住む人たちが中国の思想に触れて、 自分たちが元々住んでいた田園の原風景を思い出したと言えなくもありません。 ですから、 日本の景色そのものの原型は都市に住みながら隠遁的な風景に憧れるところから生まれてきたように思います。 そこには中国的な価値観もあるし、 日本的な原風景への回帰志向もあるように思います。

 しかしながら今述べたのは最初の出発点でして、 その後都市の景色そのものの魅力も語られるようになってきます。 それでも都市の中の住まいには坪庭が設けられたり、 金閣寺や天龍寺のように山荘を作って外にすぐ出ていけるようにしていますよね。 宗教との関係もあるでしょうが、 田園回帰への憧れと両方あったのではないかと想像しています。

 再びベルグさんの言葉を借りますと、 世界の風景には3つの起源があってそれが今の風景に影響を及ぼしていると言います。 3つの起源とは、 中国の隠遁地の風景、 ギリシアのアルカディアの風景、 イギリスの田園都市の風景です。 ただヨーロッパの場合は、 都市に対する価値の置き方が我々と違うのではないかと思いますが。


景観は「視覚」だけのものか

澤(日本カラーテクノロジー)

 先生の「景観の構造」は私の大学時代のテキストとして随分勉強させていただきました。 有り難うございます。 今日はいくつか質問させていただきたいと思います。

 まず、 先生の景観のお話の中では「見る」という姿勢が大きいように感じます。 観光という言葉は「見る」と「聞く」が合体して生まれたということを聞いたことがありますが、 見る、 聞く、 匂うなど五感との関係で景色はどう関わっているのか、 先生のお考えを聞かせていただきたいと思います。

 もうひとつは、 日本語の対比という言葉が「いかに周りと同じになるか、 類同性の言葉」という語源を持つのに対し、 ヨーロッパでは自己証明が語源なので、 全く視点が違うんです。 日本で調和というと「類似調和」が基本であり、 西洋では「違いを明らかにする」ことを基本にしています。 そこで先生に調和しているとは何か、 調和の概念についてうかがいたいのですが。

樋口

 最初の質問について言うと、 ベルグさんが言ったように日本人は「見る」ことにも多感覚的なところがあるのではないかと思います。 景色を詠っている歌にしても視覚だけでは捉えられない風や匂いの描写が頻繁に出てきますし、 日本の景観が視覚だけで成り立っているとは思いません。

 ただ、 私の「景観の構造」という本は視覚に偏った見方をしていたと思います。 というのも、 当時は西洋的な見方で景観を捉えようとしたところがあって、 それでああいう捉え方をせざるを得なかったところがあります。 西洋人の見方でいくと、 どうしても視覚にこだわった見方になってしまいます。 今でもそうだと思います。 ですから、 西洋人は特異な人を除くと、 多くの人が視覚にこだわってランドスケープデザインをしています。 景観的な見方も透視画から来ていますから、 そこから抜けられないのではないかと思います。

 ふたつ目の調和という概念ですが、 それは日本人の価値観の根底にあるものではないでしょうか。 その場の雰囲気に合わせるのは、 日本人の鉄則です。 昔、 山本七平が「空気の研究」で言っていたことですが、 その場その場の空気に合わせることが日本人の生き方ではないかと。 また心理学者の人で「日本人スパイは捕虜になるとすぐしゃべってしまう。 それは捕虜になったという状況に合わせることを考えるからだ」と言った人もいます。 アメリカの捕虜になると、 アメリカ人と仲良くなって一体化することに価値を置くからだというのが理由ですが、 これは周りと調和しようということです。 正義や信念ではなく調和の方が価値があるのが日本人で、 それが日本人の生き方としてあるんじゃないでしょうか。


景色の中で人間はどう位置づけられるのか

三宅正弘(徳島大学)

 私は今、 景観の研究の中で人の表情とか町並みの中に入ってくる人間を観察しています。 西洋の透視画から来る場合、 景観の中に人の姿や表情は入ってこないという考え方をするものなのでしょうか。 今の西洋で捉えられている景観の中で、 人間がどう位置づけられているかをお聞かせ下さい。

 また、 江戸時代の図絵を見ると昔から日本では景色の中に人の表情が生き生きと描かれていますが、 景色という概念の方が人間も広く取り込んでいるように思います。 先生も先ほど、 国土交通省が景観ではなく景色という言葉を使った方が計画がもう少し広がるんじゃないかとおっしゃって、 私もそれを興味深く聞きました。 私も景色という言葉の方が、 人間のことも考えた広がりのある考え方になるんじゃないかと思いました。

樋口

 私も景観の中の人間という視点で細かく見てるわけではないので、 景色という言葉についてお答えします。 「けしき」という言葉は、 人がどういう気持ちでいるかを捉える言葉でもあります(その場合は気色と書きますが)。 「院の御けしき いといみじきなり」というのは院がどういうお気持ちなのかということですよね。 日本人はそのように人の気持ちがどうかをとても気にします。 ですから、 そういうものの捉え方が景色の中にあるのではないかと思います。 そういう視点で、 日本の表現物を調べてみると面白いと思います。

 源氏物語の景色描写を見ると、 自然の景色ばかりではなく人の様子を書いた描写が相当あります。

 また文学だけでなく、 絵画ではどうかということも調べていくと面白いと思います。 西洋画との比較で、 人物がどのように描かれているかの違いを見るのも面白いでしょう。 日本の絵の場合、 人が描かれていないということがない。 点景人物という言葉がありますが、 風景がメインの絵でもそこに点景として人間を描かないと絵が生きてこないと言われています。 西洋画と比べると、 面白い視点ではないかと思います。 ぜひ研究を続けて下さい。


淋しい景色、 恐ろしい景色はどこに位置づけられるのか

佐久間

 風景や建築のイラストレーションを水彩画で描く仕事をしています。 それをやっていると、 風景はそれを見る一人一人の感情と重なって見えるもので、 感情が重なってこそ景色なんだと今日のお話を聞いて思いました。 見える景色にはポジティブな話が多かったと思いますが、 時に恐れや悲しみの感情が景色に重なることもあると思います。 例えば空の色に恐れを感じてそれが霊的なものやアニマティックな世界につながるとか、 冬の日本海が演歌の背景になったりとか。

 うら寂しさの感情の景色と言えば、 藤原定歌の歌で「浦の苫屋の秋の夕暮れ」で人一人いない海岸べりの淋しい景色を詠っており、 もちろんそれは都人の一時のセンチメンタルでもあるでしょうが、 荒れた風景なのに心ひかれるということがあると思います。 佐伯祐三がパリで描いた東京の風景も楽しいものではなく、 電柱が立ち並ぶ荒れた風景なのにやはり心ひかれるものがある。 そういった景色は先生のお話の中でどこに位置づけられるのか、 またどう捉えられるべきなのかをお聞かせ下さい。

樋口

 多分それは4番目の四季や年中行事の項目に入れられるのではないかと思います。 日本人の美意識には侘び・寂びという感性がありまして、 それは季節感から出てくることが多いのです。 ですから、 淋しい風景や恐ろしい風景を避けているわけではなくて、 今日は全体を紹介するのを主にお話ししたので、 そこまで踏み込まなかったと考えて下さい。


何故我々は今の環境を寿げないのか

丸茂(関西大学・JUDI関西幹事)

 今日は感銘深いお話を聞かせていただきました。 特に「寿ぐ」というのは今まで考えたことのなかった言葉で、 しばらくじっくり味わいながら勉強していきたいと思います。

 ところで、 今のわれわれは都市の風景を寿いでいませんよね。 そんな実感を持っています。 おそらく近代に入る前の日本人の感覚の中では、 周りの環境や世界に対する基本姿勢として「寿ぐ」ことがあったのだろうと思います。 先ほどのご質問の「侘び」「寂び」の感情も、 大きな意味では寿ぐ感覚の中に入りうるのだろうと思います。

 しかし、 今我々が持っている景色に対する感覚は寿ぐという感情にはなりにくい。 私の考えでは、 近代化によって日本の都市の風景が本格的に変化し始めたおそらく明治30年代くらいから、 寿げない状況が出現したのではないかと思います。 そして、 その過程で日本人は初めて「都市の醜さ」というものを発見したんじゃないでしょうか。  今我々が環境に対して持っている「寿げない」感覚を、 はたしていつ頃から日本人は持ち始めたのか、 その辺を樋口先生にお聞きしたいと思います。

 またもうひとつ。 我々がいつも学生に接しているときに思うことですが、 学生に「ダメだダメだ」と言っているばかりでは、学生はなかなか伸びないですよね。 やはり学生も「寿いで」やらないといけない。 景色の育て方もひょっとするとそうで、 実は今の風景が醜いのも、 我々が寿いでやらないから、 誉めてやらないから育たないのかもしれない。 電柱を埋設しようという話ばかりではなく、 電柱がある風景をほめてやるとか。

 つまり、 今我々がいる環境を寿いでいないことが、 景色を育てられずにいる原因にもなっているような気がしますが、いかがでしょうか。

 この二つについて何かお話いただければと思います。

樋口

 一つ目はなかなか難しい問題で、 やはりその時代の意識をたどって証明しないといけないと思います。 今でこそ景色とは認められない電線や煙突も褒め称えられていた時代が確かにありました。 工場の煙突からモクモクと煙が上がる景色をみんなが寿ぎ、 教科書にも載せられていたんですから。

 それを寿ぎたくなくなった時代はやはり高度経済成長以降で、 嫌う感覚が極端に出てきたと思います。 公害を始めとするネガティブな社会問題が沢山出ましたから、 その中で価値観が変わっていったと思います。

 日本人は最初に登場する新しいものに対しては神様として捉える傾向があり、 良い面もありますが、 祭り上げているうちに公害のように悪い面が出てくるところがありますよね。 論理的に捉えないで、 フィルターをかけて物事を見てしまう面があるのです。 その性格についても我々はもう少し反省する必要があると思います。 それを克服するためには事例を詳細に挙げて、 我々自身が振り返るという形しかないのではないかと思いました。

 対照的なのが、 パリのエッフェル塔の話です。 パリもエッフェル塔を肯定したではないかという人もいますが、 実はエッフェル塔に反対だった人が大勢いたのも事実です。 日本では歴史的町並みに近代的な高層を建ててもいいんだという風に伝わっていますが、 日本と違うところはふたつ目のエッフェル塔は絶対に建てないことです。 おそらくそういう合意があるのでしょう。 しかし、 これが日本だったら各地にボコボコとエッフェル塔を建てただろうと思います。

 モンパルナスの高層ビルもエッフェル塔と同様に賛否両論があり、 いけないというコンセンサスが出来たのでしょう。 その結果ふたつ目は絶対に建てられていません。 そういうフランス人と比べると、 日本人は寛大すぎる精神を持っているのか、 それとも新しいものを神様として見る傾向があるのかなと思います。 景色ではなく神様の気色のように見てしまうということですね。 我々はもう少し冷静に見る必要があるでしょう。 我々の景色(気色)の捉え方については歴史的に詳細にチェックしていくべきだと思います。

司会

 樋口先生、 どうもありがとうございました。 これで今日のセミナーを終わらせていただきます。

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