21世紀 都市デザインの課題


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30年振りに訪れた韓国と韓・日国際学術シンポジウムの回想
 
長谷川 弘直/都市環境研究所


良洞民俗村の山々と集落と道なみが子供の頃の田舎の風景に似て懐かしい

土の小石の坂道と小さな野面石の外構に野草の花が美しい

慶州の古墳公園と建造物は30年前に見た風景と同じだった

小高い古墳の丘陵地形と連続する風景が美しい。ランドスケープ大地のデザインに通じる

大邱で行われたサッカーワールドカップの競技場のエントランスプラザ
ダイナミックでモダンなデザインが印象的

ワールドカップの宿舎だった団地をリフォームし、市民のための集合住宅として再整備していた
オープンスペースの水の広場やプレイロット、モニュメントアートや遊具など質の高さに意気込みを感じる。この事業は設計コンペでソウルの建築事務所の手によって行われたという。

水のゲート シンプルなデザインが心地良い!

大邱タワーから見た市街地の風景
大阪のどこかでみたような気もするが!

アトリエを開設した翌年の1973年初夏、初めての海外体験が韓国であった。
韓国の庭園文化に興味のある友人に誘われて、胸躍らせながら釜山港に降り立った時の興奮は今も鮮明に覚えている。
第一印象は釜山の街からバスに揺られ、車窓から見える山村の風景は子供の頃に住み、体感し、育んだ故郷にまるでタイムスリップしたかのような、何処か懐かしく、切なく、不思議な想いで光景を眺めていたことを今も思い出す。
あれから30年、新たな想いで空港から高速道路を走るバスの車窓からみた街や農山村風景は大阪から中国自動車道を岡山へと走る風景となんら変わらなくて、あまりの変貌に驚いた。
しかし、日本は「木」の文化で韓国は「石」の文化であり、山々も石質土壌で浅根性の樹木以外は成育が難しく、石肌が剥き出し、日本の森のような深い緑の山岳風景は少なく、同じアジアの近い国でも風土・風景の違いを改めて知ることができた。

●慶州は日本の京都や奈良のように歴史の街と聞いている。古墳群の公園や建造物などの風景は30年前とほとんど変わってはいなかったが、その周辺はすっかり近代的な街に変貌していた。最も印象的だった<良洞(ヤンドン)民俗村>では数百年にさかのぼる韓国の集落と生活風景を見るようで何故かここでも子供の頃に見た故郷に里帰りでもしたような想いで郷愁と安らぎを感受していた。

●大邱(テグ)の都心は大阪ミナミの界隈となんら変わることなく高密度に集積する建築群に歴史の香りを残す東城路通りを離れ、ショッピング界隈を散策すると、その人と車の多さと喧騒に頭痛がして、メンバーと離れ2.28記念公園に逃げ込んでしまった。
友邦(ウバン)タワーランドの回る展望台からみる大邱の街は高層住宅が連立し、その周辺を赤や青屋根の低層住宅や建築群が取り囲む様に密度の高い都市を形成していた。
この光景は昨年訪れた中国上海にも似た活気と躍動するエネルギーに満ち、急成長する街の姿と一方で置き忘れられた街のような二極分化の様相にどこかお祭り後の寂しさと虚脱感に触れるようだった。
小さい頃から高い所と暗く狭い空間と動き回る乗り物が僕の三大恐怖症である。友邦公園のお化け屋敷は暗くて恐かったし、水上ジェットコースターは目が回るようで乗らなかったが、大邱タワーの展望塔からは360度回転しながら街を望遠カメラでしっかり押え、撮影を楽しんだことは成果だった。

●韓・日学術シンポジウムは、大邱都市環境デザイン会議(DUDI)発足記念事業として行われ、我々も参画した。シンポジウムは催武赫(慶北大学建築科教授・大韓建築学会大邱地部副会長)の挨拶で始まり、JUDI関西から角野、長谷川、江川、堀内の各氏が、韓国から河在明(慶北大学教授・建築工学)、權奇燦(大邱ハンイ大学教授・ランドスケープアーキテクト)の発表で進められた。
パネルディスカッションは金鐘河(東洋大学教授・建築環境)のコーディネートで韓国から大学教授三名、大邱市の元都市設計担当者の4名とJUDI関西から難波氏が参画した。
この中で韓国側の報告・発表とディスカッションについては日本語通訳による説明がなく、内容を理解することが出来なかったことが非常に残念だった。
学術シンポジウムの全体を通して感じたことは、日本における研究報告を主体におく「学会発表」に近く、JUDI関西が通常行っているシンポジウムやセミナーとはやや違う色合いを感じた。權氏から後に聞いたところ、日本のように民間の建築家やデザイナーやコンサルタントの職能人や組織は少なく、大学の学者や研究者の主導で街づくりやアーバンデザイン、ランドスケープなどが行われているということでしたが、実態はどうなのでしょうか?

●感想とあれこれ
三泊四日の短い韓国セミナーでしたが、学術シンポジウムでは参加した多くの人達の熱気を肌で感じることができ、嬉しかった。
僕の発表した「地域風景に呼応する新風景」と「都市再生・水辺・新運河のランドスケープ」は相当入れ込んで時間をかけ、4つのプロジェクトを明確なストーリーで制作したつもりですが、発表する時間が短く、完全燃焼できなかったことが残念でした。
30年前に見た韓国の特に都市風景の様変わりはテレビや新聞などメディアを通して知っていましたが、正直、これほどの変貌には驚きました。
改めて近い日、石造文化や歴史的な史跡や建造物・庭園など奥深い韓国の文化にゆっくりと時間をかけて観たいと思いました。
また断片的に見た大邱の街にランドスケープデザイナーの視点で改めて考察し、ライフワークである「川と風景」から、例えば洪水で氾濫した都市河川を「エコロジーからつくる水辺再生」の提言を試みたいという衝動と想いを胸に大阪へ戻りました。が、同行したアシスタント?の大矢京子が南海難波駅から乗ったタクシーの中にカメラと僕が撮影したスライドフィルムのいくつかを置き忘れてしまい、泣くになけない結末で僕の韓国セミナー回想録にオチがつきました。

−追記−
とうとう出てきませんでした。


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